Amazon プライムで、ちょいとすごい映画を見つけてしまいました。
おそらく、TSUTAYAにも、GEOにも、並んでいないと思われる作品。
今までの、僕の映画知識の中でも、全く引っかかってこなかった作品です。
こういう映画に出会えると、嬉しくなってしまいますね。
本作が製作されたのは、1926年と言いますから、大正時代の最後の年。
つい先日見た、阪妻の「雄呂血」の翌年に作られた映画という事になりますから、世の中はまだサイレントの時代です。
本作もサイレント映画。
サイレント映画は、チャップリンの喜劇なども含めて、それなりに見ては来ましたが、本作には、字幕が出てきません。
こんなサイレント映画は初めて見ました。
表現は、純粋に映像のみ。
Wiki によれば、当時の上映興行には人気活弁師・徳川夢声による活弁がついたとのことですが、今回鑑賞したものには、新録音されたと思われる音楽がついていました。
とにかく、セリフは一切なしで、映像でグイグイ見せる本作のインパクトは強烈。
舞台になるのは、精神病院です。
これは、1920年のドイツ映画「カリガリ博士」の影響を受けていたかもしれません。この映画も、先日見ました。
患者達の妄想や、自分のDVが原因で、精神に異常をきたしてこの病院に入れられた妻を追いかけるようにして、この病院の管理人になった老人の過去と現在が、入り乱れるように、シュールに幻想的に画面に展開されていきます。
ストーリーなどは、あって無きが如しで、ひたすらイメージの洪水が見るものを圧倒するアバンギャルドな展開。
冒頭の5分を見て、すぐに脳裏に浮かんだのが、ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」でした。
「アンダルシアの犬」はたった20分足らずの作品でしたが、見た当時は、その強烈なインパクトに唸りました。
しかし、あの作品を、ブニュエルが、サルバトーレ・ダリの協力を得て、世に送り出したのが、1929年のこと。
まさに、アバンギャルドの極みといった作品でしたが、本作はそれに先立つこと3年も前の作品です。
こんな作品が、すでに我が国で作られていたなんて、ちょっと驚きです。
監督は、後に「地獄門」なども撮ることになる名匠・衣笠貞之助。
「アンダルシアの犬」には、ダリという強力なオブザーバーがいましたが、実は本作の製作にも、日本文学界の超ビッグネームが関わっていました。
その人は、あの川端康成。
セリフなどはまるでないこの映画の脚本を、担当しているのが彼です。
一体本作に、彼がどれだけの影響を与えたのか。
これは、ちょっと興味があるところです。
少なくとも、彼の代表作「雪国」のような、抒情的なリリシズムは、本作には皆無。
完全な前衛芸術作品に仕上がっています。
それにしても、この映画には、当時可能な限りの映像技術が、ふんだんに詰め込まれています。
スピード感あふれるカット割、オーバーラップ、映像の歪曲化、多重露光などなど。
僕の知る限り、映像のオーバーラップの技法は、黒澤明のデビュー作「姿三四郎」で、時間の経過を、下駄が転がるオーバーラップで見せた演出が、思い出せる限りの最も古い例。
1943年の映画です。
多重露光で言えば、阪妻主演の「無法松の一生」のラストで、無法松の回想シーンに登場したのが、僕の記憶に残るところ。
カメラマン宮川一夫の、至芸ともいえる技術でした。
こちらも、同じく1943年の作品です。
しかし、それに遡ること17年も前に、この技術を見事に、映像表現として使いこなしていた作品があったということです。
日本映画恐るべし。
我が国初の前衛映画と言われる本作ですが、見方によっては、Jホラーの元祖と言ってもいいのかもしれません。
今から95年前の映画ですが、あの「貞子」や「伽耶子」の原型がきちんと描かれていましたよ。
シュールレアリズム的演出は、実はホラー演出と紙一重ということが、この映画を見るとよくわかります。
セリフがない分、見る側が妄想を膨らませてしまうということかもしれません。
舞台が精神病院なので、もしもこの映画にセリフがあったとしたら、おそらく、当時の常識として「キチガイ病院」なんてワードが頻繁に出てくる危ない映画として、Amazon プライムにもリストアップされなかったかもしれません。(先日見た1965年の「ウルトラQ」の「2020年の挑戦」には、このワードが出てきました)
しかし、サイレント映画ですから、そんな心配もなし。
それから、ホラー映画は、実はモノクロ映像の方が怖いということに、改めて気が付かされました。
とにかく、今見ても十分に面白い、こんな宝物が、まだまだ日本映画のクラシックには眠っていると思うとワクワクですね。
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