ビージーズは、そのキャリアを、1963年にスタートさせていますから、年季が入っています。
彼らの知っている曲は、全部歌ってやろうと思っていましたが、これが意外と歌えないもんです。
ざっくりとは歌えるのですが、どうも途中で頭が真っ白になってしまいます。
あれ?どうだったっけ?
「ホリディ」「ジョーク」「ワーズ」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「傷心の日々」
どれも、サクッと歌えるつもりでしたが、すべて途中で棄権。
これはちょっとショックでしたね。
しかし、このアルバムの収録曲だけは別。
「小さな恋のメロディ」のサントラ版です。
このアルバムは、あの当時、友人の家に遊びに行くと誰もがみんな持っていた一枚でしたね。
実は、この映画は、本国イギリスとアメリカでは大コケしています。
しかし、なぜか日本と、ラテン系の国々で大ヒット。
主演のマーク・レスターは、日本のコマーシャルに引っ張り出されていましたし、トレイシー・ハイドの方は、出演作が、ほぼこの1本だけなのに、それからしばらくの間は、たびたび雑誌「スクリーン」「ロードショー」の表紙を飾っていました。
本屋の息子でしたので、その辺は、よく覚えています。
このアルバムに、ビージーズは多くの楽曲を提供していますが、これはほぼ全部覚えていましたね。
そりゃそうだ。
あれだけ聞いたんですから。
よっしゃ。
その中で、「SMULE」にOCがアップされていたものが4曲。
そして、それとは別に1967年の代表曲からこちら。
そして、彼らはその後、ディスコの波に乗って、大変身を遂げます。
決定版は、なんと言ってもこれ。これもまたサントラ盤。
そう「サタディ・ナイト・フィーバー」です。
ディスコ・ムーヴメントの火付け役になった2枚組のコンピレーション・アルバム。
実は個人的には、ディスコの頃は、ちょうどお年頃だったのですが、なぜかブームには背を向けて、ジャズやフュージョンを聴きあさっていました。
かなりひねくれていたとは思います。
しかし、ディスコも、社会勉強のために、誘われれば行くこともありましたね。
「何やってる人?」
「ペンキ屋。」
これくらいのジョーク(映画主演のジョン・トラボルタの職業がそれ)には、ついていけました。
このサンドラ盤から、ビージーズがヒットさせた3曲のビデオクリップは、今でもYouTubeで確認できますが、これは今でもよく覚えています。(確かコマーシャルにも使われていました。)
この大変身に、それまでのビージーズの楽曲のファンだった人達は、目が点になったことでしょう。
個人的には、ここに至るまでの”Jive Talkin’”や”You Should Be Dancing”の方が、好きだったりするのですが、OC(「SMULE」では、アップされてるカラオケ音源のことをそういう)がありませんでしたので、今回はこの大ヒット3曲を歌いました。
本年の畑作業は終了いたしましたので、ここはストレス発散。
Night Fever (ゲストの方とコラボ。僕よりもこの楽曲をご存知の様子)
そして、この曲はとくに好き。
あの頃ディスコに通っていたか方ならご存知かと思いますが、チークタイムにかかる曲の定番でした。邦題も「愛はきらめきの中に」
この後のビージーズは、ディスコ離れをして「失われた地平線」というアルバムを出して「哀愁のトラジティ」というヒット曲もあったのですが、やはりこの辺になるとこちらの記憶もかなり怪しくなってきます。
結局、たくさん歌える曲があるつもりだったビージーズも、いざ歌ってみると、覚えていたのは、2枚のアルバムの楽曲のみということになりました。
情けない。
しかし、今から思えば、バリー・ギブのあの突き抜けるようなファルセット・ボーカルは、スタイリスティックスのラッセル・トンプキンスJrのボーカルと共に、後のカラオケ道楽では、大いに参考にしたテクニック。
おかげで、地声のキー的には無理な、ユーミンや松田聖子の楽曲も、しれっと歌えたりしますので。
ちなみに、流石に”Staying Alive”は、ロレツが回らずに難儀いたしました。
これはチャレンジ精神のみ評価してくださいませ。
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