何が彼女をさうさせたか
1930年製作の傾向映画。
傾向映画というのは、当時の社会情勢を色濃く反映した、左翼的思想がムンムンの映画群です。
昭和初期のムーブメントだったようです。
こういう、こちらのこれまでの映画知識には引っかかってこないようなレアな作品を、最近のAmazon プライムは、よく拾ってくれるのでなかなか隅におけません。
うちの父親が生まれたのが、昭和6年ですから、その前年の映画ということになります。
日本国内では、フィルムは現存しておらず、このフィルムが発見されたのはなんとロシアだったそうです。
ロシアといえば、社会主義の本場。
傾向映画のコレクションならありそうです。
本作は、ロシア語字幕で残っていたそうですが、映画の冒頭とクライマックスとなるラストのシークエンスがない状態で発見されて、日本に里帰り。
幸い台本が残されていたため、これをベースに字幕で、ストーリーが説明されるという形で復元されたのが、今回の作品です。
無声映画ですので、当時は活弁師の「語り」がフューチャーされて上映されたわけですが、今回は活弁なし。
フルオーケストラがBGMに流れて、字幕のみで進行するスタイルでした。
親に捨てられた一人の少女の流転の人生を描いた内容ですが、これはもう映画というよりは、製作された当時の時代の空気を味わう貴重なドキュメント作品として見る方が正しい。
NHKの「映像の世紀」を見ているようなつもりで楽しませてもらいました。
親に捨てられ、親戚に捨てられた、高津慶子演じる(生きていれば108歳)14歳のすみ子が売られた先がサーカス。
今の若い人たちにはピンとこないかもしれませんが、僕が子供の頃には、親からこう言われた記憶が、まだ微かに残っております。
「こらっ。あんまりいうこと聞かないと、サーカスに売り飛ばしちゃうぞ。」
両親に言われたのか、それとも祖父か祖母に言われたのか。
その記憶は定かでありませんが、怒られた時に言われるわけですから、サーカスというところはさぞや、子供にとっては恐ろしいところなのだろうと想像していたものでした。
気になったので、ちょっと調べてみました。
1948年に「児童福祉法」が改定されるまでは、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事は禁止されていなかったようです。
当然この年齢の児童に芸を仕込むには、さらに幼少期からの「特訓」が必要だった訳です。
当時は、日本にもサーカスの団体が、20から30もあり、幼児に対するスパルタは、この時代の人たちの間では、ある程度コンセンサスだったかもしれません。
僕が生まれたのは、1959年で、サーカスの団体数も激減していた頃。
覚えているのは、「木下大サーカス」と「キグレサーカス」くらいのものでしたが、まだこの頃には、こんな常識も生きていたのでしょう。
映画では、主人公すみ子が、心中未遂の末保護された教会施設も、偽善と不正の巣窟であることに絶望した彼女が、その教会に火を放つ展開で幕を下ろします。
このシークエンスは、現存フィルムには残っておらず、字幕説明で処理されていましたが、この字幕を読みながら、僕の脳裏にオーバーラップしていたのは市川崑監督の「炎上」。
あの映画で、金閣寺に火を放った青年僧を演じたのは、市川雷蔵でした。
三島由紀夫の原作では、「美への嫉妬」という解釈がされていましたが、映画を見る限り、その背後には宗教界の腐敗もありましたね。
「何が彼女にそうさせたか」。
腐敗した資本主義社会にケツをまくり、さあ立ち上がれ! プロレタリアート諸君。
労働者を舐めるなよ。
映画の主張はそういうことだったでしょうが、この薄幸の少女の放浪を見ていると、頭に浮かんだフレーズは、実はこれ。
「こんな女に誰がした」
ご存知でしょうか。
昭和22年にヒットした「星の流れに」の一節です。
戦後の荒れ野原で、娼婦(当時の言い方ではパンパン)に身を持ち崩しても、生きていかなければならなかった女の悲哀を切々と歌った曲です。
もちろんこちらも、僕が生まれるよりも遥か前の流行歌ですが、こんな曲がサッと浮かぶあたりは、まだまだ僕もコテコテの昭和世代のようです。
「星の流れに」をYouTube で検索したら、藤圭子(あの宇多田ヒカルのおっかさん)の歌ったバージョンが出てきました。
しばらく聞いていたら、藤圭子と90年前のこの映画ヒロインの顔が見事にオーバーラップしました。
このコロナの世の中で、女性の自殺率が去年以前に比べて急増しているそうです。
そんな女にしたのは一体どこの誰か。
それはそれで考えて見る必要はありそうですね。
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