ダンケルク1964
2017年のクリストファー・ノーラン監督による「ダンケルク」ではなく、1964年に、アンリ・ベルヌイユ監督が撮った「ダンケルク」という映画を鑑賞。
この監督は、勇ましい戦争映画というよりは、メロドラマの方を得意とした監督で、過去には「過去を持つ愛情」や「ヘッドライト」などを撮っています。
主演は、ジャン=ポール・ベルモンド。
この時代のフランス男優というと、日本ではアラン・ドロンがお馴染みですが、フランス本国では、明らかにイケメンではないこの人の方が、実は人気は高かったんですね。
さて、ダンケルクの戦いの歴史上の主役は、イギリスです。
それをイギリスではなく、フランスとイタリアの合作で撮ったのが本作品。
この辺りが味噌ですね。
さて、ダンケルクの戦いは、イギリス軍の作戦コードしては、ダイナモ作戦と言われています。
ナチスのポーランド侵攻により勃発した第二次世界大戦。
開戦初期には、ナチスドイツの、戦力を集中させて一気に殲滅させていく電撃作戦が威力を発揮します。
これによりポーランドは蹂躙され、ドイツに吸収されてしまいます。
この間、ドイツの主力部隊は、ポーランドの電撃作戦に割かれているので、当然西部戦線は、圧倒的に手薄な状態でした。
歴史に「イフ」は禁物ですが、この時イギリス・フランス軍が一気に、ドイツ軍を侵攻していれば、西部戦線はほぼ連合軍の勝利で終わっていたはず。
しかし、ドイツがポーランドに戦力を集中させている間、西部戦線はまったく動きませんでした。
世にいう「まやかし戦争」といわれる期間です。
これを、ヒットラーは読み切っていました。
足並みが揃わないイギリス軍とフランス軍の腰抜けは、戦争の初動段階では、じっくり慎重に様子を伺うことは歴然。
こちらが動かない限り、絶対に先手を打ってはこない。
ナチスの主力部隊は、ポーランドを陥落させてから、悠々と東部戦線に移動し、腰が引けている連合軍に向かって、悠々と電撃戦を仕掛けられたわけです。
始まったこのナチス軍の怒涛の攻撃を受けながら、連合軍は、ジリジリと後退していきます。
気がつけば、背後にはイギリス海峡。
そこは、ベルギーとの国境から10キロのところにあるダンケルクという港町でした。
ナチス軍に包囲された連合軍の50万の兵士たちは、そこで完全に袋の鼠になってしまったわけです。
この時期に、イギリスの首相になったのがあのウィンストン・チャーチルです。
彼は、躊躇せずにこの連合軍の兵士たちを救出する指令を出します。
この大救出作戦を阻止するべく、ドイツ空軍が空からの攻撃を展開してくるわけですから、兵士たちの一割も助けられればいいというのが大方の予想でした。
しかし、ここで発揮されたのがグレートブリテン魂。
イギリス中から、水に浮かぶものならなんでも集結という大号令が出され、釣り船、ヨット、手漕ぎボート、はしけからランチにいたるまで、ありとあらゆる民間の船舶がダンケルクの海岸と沖に停泊する大型船の間を、兵士を乗せてピストン輸送。
これが五日五晩にわたって展開され、終わってみれば、なんとイギリス軍21万5千人、フランス軍12万人の兵士が救出されるという奇跡的な成功を収めていました。
これが世にいうダンケルクの戦いです。
戦いというよりは、大撤退作戦ですね。
映画には描かれていませんでしたが、この救出作戦を援護するために、ダンケルクの厚い雲の上では、イギリス空軍も戦っていました。
そして、ドイツ軍を引きつけるために、結果的に犠牲になった、カレー駐屯の3万のイギリス軍もいました。
しかしそれでも、軍と民間が一致団結して成功させたこの作戦は、少なくともイギリス全体の士気を大いに高めました。(フランスは微妙)
そしてチャーチルは、すかさずラジオ放送で、このダンケルク・スピリットを鼓舞し、ナチスドイツに対するイギリスの対決姿勢を国民に、強くアピールしたわけです。
しかし、戦争を継続していくマンパワーは確保出来たものの、あらゆる武器と装備は、ダンケルクに放棄してこざるを得ず、以降イギリスは、戦争を継続するためのあらゆるハードを、アメリカに依存するを得なくなり、チャーチルはもはや、アメリカには足を向けて寝られないということになっていくわけです。
さて、映画ですが、主演のジャン=ポール・ベルモンドが演じたのはフランス軍の兵士です。
ですから、描かれているのは、当然ながらフランス軍視線のダンケルク脱出作戦。
当然のように、イギリス軍が乗船を優先される状況は、映画にもしっかりと描かれます。
しかし、この人のキャラクターが、良くも悪くも飄々としていることが、この映画に果たして貢献していたかどうかは、かなり微妙なところ。
少なくとも戦争の悲惨さを訴える映画にはなりにくかったかもしれません。
敵役のドイツ軍も、空から攻撃してくる、メッサーシュミット(これしか知らない)しか、画面には映らないので、これもイマイチ感情的になれないところ。
そして、もう一つ最大の欠点。
ベルモンドの相手役のカトリーヌ・スパークが、そのファッションも含めて、この映画の中ではあまりにお人形さんのように綺麗すぎて、とても戦時下の緊迫感が伝わってこないこと。
ラストは、ドイツ軍に爆撃されたダンケルクの浜辺を、すでに死んでいるベルモンドの元へ向かう彼女のロングショットでしたが、名手アンリ・ドカエのカメラは、しっかりと仕事をしているものの、それは「戦争の残酷さ」や「悲劇」には映らず、なぜか「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」のような、どこかヌーベルバークの香りのするシーンになっていました。
アンリ・ベルヌイユ監督の狙いがどちらにあったかは定かではありません。
フランスでは、大ヒットを記録している映画ですので、少なくとも監督の狙いは、フランス本国では理解されたということでしょう。
あまりに、感情にドーンと訴える演出を良しとしないフランス人気質というのはあるようですので、これをハリウッド演出で撮ったりするとと、案外フランスではヒットしないのかもしれません。
ベルモンドもそうですが、ジャン・ギャバンもアラン・ドロンも、確かに映画の中では、あまり泣き笑いはしませんよね。
ある意味では、大人なんでしょう。
しかし、この一歩引いて、どこか達観したような大人の視線というものが、こと戦争という局面においては、ナチスドイツのように、征服欲をギラギラさせて、荒々しく吠えまくる獰猛な怪物の肥大化を許してしまうことになったのかもしれません。
それゆえ、フランスは、このダンケルクの戦いの後、戦争に向かって一つにまとまったイギリスのようにはなり切れず、ナチスドイツの、パリ侵攻を許してしまうことになるわけです。
さて、このダンケルクの攻防を、イギリス出身のクリストファー・ノーラン監督はどう描いているのか。
こちらの「ダンケルク」も当然見てみたくなりました。
ちなみに、ノーラン監督は、CGを一切使わない現物主義の監督として有名ですが、今回鑑賞した「ダンケルク」も、製作年から考えれば、CGはありません。
すべて本物と思われます。
待て。
あのメッサーシュミットは、もしかしたら合成だったかも。
目に自信のある方は、確認してみてください。
よろしくね。
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