パリは燃えているか
不謹慎を承知で申しますが、オールスターによる戦争映画には、昔からなぜか萌えてしまいます。
「史上最大の作戦」然り「遠すぎた橋」然り、そして「大脱走」然りです。
ええっ!というような大スターが、たったワンシーンだけの出演を確認出来たりするともうニヤニヤが止まりません。
映画オタクというのは、そういう性を生まれ持っているものと思われます。
映画の出来がどうのこうのという以前に、その映画のスケールと品格に、へへえ!と平伏してしまう次第。
もともと大作映画となると、血湧き肉躍る体質ですので、映画史に残る名作となれば、なおさらです。
お金を払って映画を見るなら、お金をかけた映画をみたいという、さもしい根性が根っこにあるのかもしれません。
クラシックなら、大抵の映画はみてきたつもりでしたが、この映画だけは、なぜかその選に漏れておりました。
これは映画オタクとしては、不覚中の不覚。
今回しかと鑑賞させていただきました。
DVDは、NHKの衛星映画劇場をしっかりと録画してありました。
ではなぜ、2020年の大晦日に「パリは燃えていてるか」なのか。
実は、この師走は、畑の野良仕事をしながら、YouTube で無料で視聴できる「高校世界史B 世界史20話プロジェクト」という動画の音声だけをずっと聞いていました。(もちろん画面は見れない)
1話が10本からなる授業動画です。
1本30分前後の世界史授業動画が200本ですね。
これを、およそ1ヶ月かけてずっとBGMがわりに聞いていました。
野良仕事はあっという間に、軍手が泥まみれになります。
畑作業中、そうそうスマホをいじっているわけにもいきません。
ですから、短いものや、やたらと広告が入る動画はパスして、長めの動画、もしくは、ノンストップで連続再生できる動画を探していたら、このシリーズと出会いました。
世界史の授業は、当然高校時代以来です。
あの頃は、やたらと暗記項目が多いというだけの印象で、興味のないことは、まるで覚えられない脳の構造をしている自分としては、ハッキリ言って好きになれない科目でした。
ですから、大学受験で選択したのも、ある程度は常識で答えられる政治経済。
しかし、今回聞いた世界史の授業は意外と楽しめました。
なぜか。
それは、高校時代以来、今までに見て来た数々の映画が原因のようです。
学校の勉強となるとドン引きしていた世界史ですが、実は映画の方は歴史モノは大好物。
戦争物も含め、かなりの本数の作品を見ています。
旧約聖書時代のモーゼによる出エジプトを描いた「十戒」
ローマ時代の奴隷たちの反乱を描いた「スパルタカス」
中世ヨーロッパ時代、スペインのレコンキスタを描いた「エル・シド」
アメリカの南北戦争を描いた名作「風と共に去りぬ」
中国義和団事件の顛末を描いた「北京の55日」
今年になって見たものでしたら、第一次世界大戦を描いた「1917」
そして、第二次世界大戦で、連合軍とレジスタンスよるパリ解放を描いたのが「パリは燃えているか」でしたが、歴史上、この直前にあったのがノルマンディ上陸作戦。
これを描いた映画は、前述の「史上最大の作戦」が白眉でしたが、1998年に、スピルバーグ監督の「プライペート・ライアン」が登場して、こちらの方が有名になりました。
そして、このパリ解放から1ヶ月後の、連合軍によるマーケット・ガーデン作戦の失敗を描いたのが「遠すぎた橋」。
フランスを支配下において、ナチが次に触手を伸ばしたのがイギリス。
その制空権をめぐり、ドイツ空軍とイギリス空軍が激突したのがバトル・オブ・ブリテン。
これを映画化したのが、「空軍大戦略」。
こんな具合に、自分の脳裏に映像として刻まれていた映画が、この歴史の授業の中で、どんどんとカットバックされ、繋がっていくわけです。
おそらく、教科書を持って授業を受けていたら、その教科書は、映画のタイトルのメモだらけになったと思われます。
とにかく、これがことの他、今回のYouTubeの高校世界史の授業を楽しませてくれました。
要するに、それまでは点として積み重なった映画による世界史の知識が、この歴史の授業の中で、線になって繋がっていく快感です。
まるで、とてつもなく長い、大河小説を聞いているように世界史を楽しめましたね。
さあ、こうなってくると、この世界史の授業を聞きながら、見たくなった映画もたくさん出てきました。
帝政ローマ時代の剣闘士を描いた「グラディエーター」。
アメリカン・インディアンと北軍兵士の交流を描いた「ダンス・ウィズ・ウルブス」
カンボジアの悲劇を描いた「キリング・フィールド」
恥ずかしながら、この辺りはまだ未見です。
そして改めて、見直したくなった映画もありました。
今回の「パリは燃えているか」は、その筆頭でしたが、「ベン・ハー」や「アラビアのロレンス」そして清王朝最後の皇帝を描いた「ラスト・エンペラー」などなど。
この辺りの有名作品は、すべて、これまでBSで放送された映画を撮りためたDVDの中に在庫がありますので、見ようと思えばいつでもみられる状態。
これだけで結構ワクワクしています。
世間は、コロナ騒動で、外出するにもビクビクしなければいけないようになってしまいましたが、映画オタクとしては、当分は自宅から出るなと言われても何も困りません。
畑でとれた野菜を料理しながら、見たい映画を、好きな順番に存分に観るだけです。
この状況はむしろウェルカム。
さて、「パリは燃えているか」
これは、ヒットラーの絶叫です。
連合軍によるパリ奪還の前に、パリの街を破壊しろという命令に背いて、仕掛けた爆弾を爆発させることなく、連合軍に降伏したドイツの将軍(実際は大将)コルティッツはもちろん実在の人物。
彼が連行されていく中、パリにあるドイツ軍本部に繋がっている電話の向こう側で、ヒットラーがヒステリックにこれを絶叫しているというわけです。
これにより、彼は後年「パリを救った男」などと言われることになりますが、まさかナチスの将軍を主人公にするわけにもいきません。
もちろんこの映画で活躍するのは、フランスのレジスタンスたち。
監督のルネ・クレマンは、終生レジスタンスを描くことに執念を持っていた監督で、デビュー当時の「鉄路の闘い」や「海の牙」も、レジスタンスを描いた力のこもった佳作でした。
1966年の映画ですから、当然カラーで撮られても良さそうなものですが、これはルネ・クレマン監督のこだわり。
戦争映画をカラーで撮ると、作り物っぽくなるからと嫌ったそうです。
しかし、その他にもちゃんと理由はありました。
この映画には、所々で、1944年当時の実写が上手に使われているんですね。
まさか、撮影でパリの街を破壊するわけにはいきませんから、当時あった実写フィルムを巧みに脚本の中に織り込んで映画を製作していったようです。
この映画の、共同脚本として、フランシス・フォード・コッポラの名前がありました。
凱旋門広場を埋め尽くす歓喜のパリ市民の先頭を歩いていた、身長195cmのシャルル・ドゴールの姿ははっきり確認できますから、これはパリ解放の実際の映像です。
ドキュメンタリー・タッチにこだわったルネ・クレマン監督の面目躍如とも言える演出です。
そして、ラストでは、このパリの街が俯瞰されて、エンドクレジットが流れていくのですが、これが突然カラーになります。
これはちょっとビックリしました。
映画をモノクロで撮ったのは、明らかにこのサプライズを狙った、ルネ・クレマン監督の確信犯かと思いきや、後のインタビューで彼は、「そんなラストにした覚えはない」と言っています。
これは最終編集権を持っていたパラマウント映画の独断かもしれませんね。
でも、これは正解でした。
ヒットラーは、1933年にドイツの首相になると、瞬く間に全権委任法を成立させ、民主主義の手続きで、政権を掌握します。
その後ヒットラーはベルサイユ条約を公然と反故にして軍備を拡大し始め、その領地的野心の毒牙を、近隣諸国へ向け始めました。
手始めに、ロマノフ条約で、非武装地帯と取り決められていたラインハントに進駐。
その後、チェコスロバキアのズデーデン地方も、強大になった軍事力を背景に恫喝し、直接的軍事衝突なしに、支配下においてしまいます。
そして、1939年に、突如ポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発。
電撃作戦により、ベルギー、オーストリア、ノルウェー、デンマーク、オランダをたちまち制圧し、その勢いはついにフランスに及びます。
イギリスと共にドイツに宣戦布告はしていたものの、戦争に対するフランスの足並みは必ずしも揃っていません。
終戦から20年も経ったこの頃でも、いまだに第一次世界大戦のスタイルから抜け出せておらず、アルデンヌの森をたった一日で走破してパリに迫ってきたナチス陸軍に、オタオタしっぱなしのなす術なし。
ナチス軍に、足をけりあげてのシャ ンゼリゼ行進を許し、エッフェル塔の上に屈辱の鉤十字が翻えさせてしまいます。
それから、パリは、およそ4年にわたってナチスに支配されます。
ヨーロッパの歴史の常に中心にあったパリに繰り広げられた信じがたい屈辱の日々。
その絶望と、踏み躙られたパリ市民のプライドが、映画には時にユーモラスにも描かれていきます。
ドイツ支配下のパリ市民の心の支えになったのが、イギリスのロンドンに避難して、ラジオ局の地下から、ラジオ放送の電波で、レジスタンスを指揮し、パリ市民を鼓舞したたシャルル・ドゴール。
彼は、パリ解放のその日まで、パリにはいなかったわけですが、フランスの臨時政府を組織して、歴史にその名を刻んでいます。
レジスタンスたちも、連合軍の進軍に合わせて、一斉に蜂起して、市庁舎を占拠し、パリ解放を自分たちの手で掴み取ります。
連合軍の戦車部隊がパリに入城してくると、ドイツ軍に狙われるのも忘れて、駆け寄ってハグしまくるパリ市民たち。
最後は凱旋門広場を埋め尽くすパリ市民。もちろん、その渦の中にはドゴール将軍の姿。
この歓喜の解放の後、パリではその反動で、女性たちによる丸刈り事件が起きます。
これは、ドイツ支配下の4年の間に、ドイツ将校たちと付き合うことで保身を図った女性たちを公道に引きずり出して、衆人環視の中で、その髪をバリカンで丸刈りにしてしまう陰湿なリンチ。これがエスカレートして、殺してしまうケースもありました。
この事実は、NHKの「映像の世紀」(確かあったはず)でも見ましたし、他の映画でもみたシーン。(「二十四時間の情事」など)
しかし、本作では、パリ解放のこのネガディブな部分までは、描かれていません。
「映像の世紀」といえば、この番組のテーマ音楽に使われていたのが、加古隆編曲による、「パリは燃えているか」のテーマでした。
作曲したのは、60年代の映画音楽の大メジャーであるモーリス・ジャール。
さて、本作の主役は、あくまでもパリの街そのものと言っていいでしょう。
その美しさと威厳そのものが、この街を破壊を破壊する爆弾のスイッチボタンを押させなかったと言っても過言ではないわけですから、登場人物の中には明確な主役はいません。
キラ星のようなスターが、話の中で、贅沢にもどんどんと通り過ぎていくという展開。
ですが、そんな中でもやはり目立ったのが、アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンド。
両名とも、パリに派遣されたドゴール臨時政府の役人役で出演しますが、二人が対峙するシーンは、ちょっとゾクゾク。
この映画の後に、「ボルサリーノ」とその続編でも顔を合わせます。
紅一点は、レスリー・キャロン。レジスタンスの指導者の夫が、目の前で射殺されてしまいます。
その彼女が、救いを求めるスウェーデンの領事に、オーソン・ウェルズ。
あれだけデップリとした巨漢が、あの時代にいたかどうか疑問ですが、さすがに貫禄の存在感。
ワンシーンだけ、パットン将軍の役で登場したのがカーク・ダグラス。
同じく、ブラッドレー将軍にグレン・フォード。
ドラマ「アンタッチャブル」で有名だったロバート・スタックも将軍役。
フランス映画なら当然この人という感じで、シャルル・ボワイエとイブ・モンタン。
タンク曹を演じたモンタンは、射殺されてしまいます。
射殺されたといえば、アメリカ軍兵士を演じたアンソニー・パーキンス。
ほんのワンカットだけ確認できたのは、「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリス。
連合軍が侵攻する田舎町のカフェのママがシモール・シニョレ。
兵士たちとキスしまくっていました。
ゲシュタポに通じている悪徳大尉がジャン・ルイ・トランティニアン。
そして、ヒットラーの命令を無視することで、バリを破壊から救ったコルティッツ将軍には、ゲルト・フレーべ。
この人は、007シリーズ第3作で、ゴールド・フィンガーを演じた人です。
パリ開放後のナチスドイツは、東部戦線でもソ連に敗れ、次第に守勢になっていきます。
それでも、敗戦をギリギリまで認めようとはせず、悪戯に自軍の被害を拡大させていくという展開は、どこかの国と負けっぷりとほぼ一緒。
ヒットラーは、最後は、地下壕の中で、愛人エバとともに自殺。
ナチスは、ドイツの国民に大きすぎる負の遺産を残したまま歴史から消滅。
後に残ったのは、死屍累々に虐殺され続けたユダヤ人の物言わぬ夥しい数の骸でした。
映画の背景にある歴史を、多少なりともわかっているだけで、グッと広がってくる映画の後味。
ちょうど、昨夜(大晦日)に、読み終わったこの本も、大いに映画の感想を膨らませてくれました。
映画の中のフィクションと、歴史的事実の混ぜ具合をしっかりと理解した上で鑑賞するのも、また面白い映画の楽しみ方になるかもしれません。
動画で受けた世界史授業の復習は、しばらくは映画で楽しむことにいたします。
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