ハリー・ポッターと賢者の石
シリーズものは、全部揃えて、はじめから一気に見るというのが習慣になっています。
世の中には、様々なシリーズものがあるのですが、過去衛星放送の録画は結構行き当たりばったりにしていたので、抜けてしまっているシリーズものも結構あります。
このハリー・ポッター・シリーズは、定年退職後に作ったリストを改めてチェックしたところ、全8作がすべて録画してありました。
「スター・ウォーズ」「007」「バットマン・トリロジー」と見てきましたが、今回はこれにします。
そういえば、こういう王道のファンタジー映画も、しばらくみていません。
多分、最初の2作品ほどは、録画した時に見たかもしれませんが、もう記憶が定かではありませんので、今回は改めてシリーズの一本目から見ることにしました。
最近は、Amazon プライムが便利で、自前のDVDよりも、見る頻度は高いのですが、貴重な2時間あまりの時間を捧げるのに、あんまりハズレの作品も見たくないという思いがあって、気がつけば1本を選ぶのに、結構な時間を費やすことが度々あります。
考えてみれば、これほど無駄な時間はありません。
シリーズものであれば、製作順に見ると決めてしまえば、しばらくはその心配もナシ。
本作は、J.K.ローリングが書いて、大ベストセラーになった子供向けファンタジー・シリーズを映画化したもの。
その一作目で、製作されたのは2001年。
子供向けファンタジーというと、やはり頭に浮かぶのはディズニー・アニメ。
実写版も、もちろん数多くありますが、その多くの原作は古典であることが多いのですが、本作の原作が描かれたのは1998年。
イギリスの片田舎で、ゴシック風の屋敷と美しい庭に囲まれた邸宅に育った文学少女は、家の周囲に広がる鬱蒼とした森に妄想を膨らませていました。
その少女はやがて、生活保護を受けるシングル・マザーになってしまいますが、そんな暮らしの中、エジンバラのカフェの片隅や、アパートのキッチン・テーブルの上で書きあげたの小説は、やがてハリー・ポッター・シリーズとなって結実します。
しかし、出来上がった原稿を、出版社に送っても、最初は、ろくに読まれもせず相手にされませんでしたが、やがてその原稿は、その面白さを理解する人の目に留まることとなり、出版された本は大ベストセラーになっていきます。
まさに、このサクセス・ストーリーこそ、現代のファンタジーというべきでしょう。
いつの時代も、「子どもに受ける」というヒット作品の面白さは理屈では説明できないものです。
そこに、作り手の計算や、売るための妙な色気が見えてしまうと、子供というものは敏感なもの。すぐに、離れてしまいます。
本シリーズの人気が最後まで続いたのは、やはり原作がそれだけ、読み手にとって「純粋」であったということの証かもしれません。
ちなみに、僕も若かりし頃、子供向けの歌というのを何曲か作ったことがあります。
当時は音楽の基本は、ビートルズやニュー・ミュージックでしたので、聴くも作るもロックやフォーク・ソングが中心だったのですが、なぜ畑違いの童謡にまで手を出したか。
これは、白状してしまいますが、当時好きだった女の子にモテたい一心でしたね。
作る動機が不純なファンタジーは、やはり、どこか「純粋」さに欠けるもので、すぐにお里が知れてしまいます。
閑話休題。
さて、物語です。
主人公のハリー・ポッターは、自分が魔法使いであることを知らないまま、11歳までを、親代わりの叔父一家の家で、差別的待遇を受けながら育ちます。
そこに、ホグワーツ魔法魔術学校から届く入学案内。
叔父叔母はそれを拒否しようと逃げ回りますが、ホグワーツからやってきた大男はハグリットの協力を得て、ポッターは無事に魔法学校に入学。
そこで知り合ったハーマイオニーやロンと意気投合し、寮生活を始めます。
学校内に住む怪物たちとの対決、空飛ぶ箒でのクィディッチの試合などを経て、三人はホグワーツに潜む「賢者の石」の謎に迫っていきます。
そして、自分の両親を殺したヴァルデモートとの対決・・
ファンタジーを「語る」ほど野暮なことはありませんので、ここらあたりにしておきましょう。
主演の三人は、ハリー・ポッターがダニエル・ラドクリフ。
ハーマイオニーに、エマ・ワトソン。そして、ロンに、ルパート・グリント。
ダニエル・ラドクリフは、眼鏡と太い眉毛がなければ、その昔「小さな恋のメロディ」で、同じ年頃の小学生ダニエルを演じて人気者になったマーク・レスターにどこか雰囲気が似ているなと思いました。
このシリーズの続くおよそ10年間を、三人は実年齢のまま最後まで、演じていきますので、次作からは、その成長ぶりも楽しんでいくことにいたします。
第二作目は、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」
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