映画史・時代劇研究家の春日太一氏が、日本映画の中でも5本の指に入る傑作と熱弁をふるっていた動画を、YouTubeで見ました。
この作品は、公開からしばらくたってテレビ放映されたものを見ています。
市川崑・石坂浩二が組んだ金田一耕助シリーズとしては、2作目となるのが本作。
前作の「犬神家の一族」が角川映画の第1作目として大ヒットしたのを受けて、東宝が製作した作品です。
市川・石坂コンビによる金田一シリーズは、2006年の「犬神家の一族」のセルフ・リメイクを含めて、全6作品ありますが、本作こそ、間違いなく、その頂点となる一本であるという春日氏の熱弁に触発されて、本作をしかと再検証してみたくなりました。
「悪魔の手毬唄」の原作は、言わずと知れた横溝正史。
映画が公開された当時の1977年には、古谷一行によるテレビ・シリーズも並行して放映されていて、横溝正史は一大ブームになっていました。
我が実家は、書店を営んでいたので、角川文庫発行の金田一シリーズが、文庫コーナーで平積みになっていたのはよく覚えています。
杉本一文画伯による文庫版の表紙は、どれも刺激的で、学校の勉強はしなかった僕でしたが、平積みになっていた横溝作品は、商品を拝借して、かたっばしから読んでいった記憶があります。
映画の原作となる小説を、並行して読んだという記憶は、後にも先にも、この横溝正史の金田一シリーズと、「人間の証明」などの森村誠一だけでしたね。
今で言う、メディア・ミックスの先駆けとなったのが金田一シリーズでした。
映画をヒットさせた相乗効果で、原作の文庫本の売れ上げをアップさせるという角川戦略は、本屋の息子視線でしっかりと目撃しておりました。
「ヒッチコック映画術」の中で、サスペンスの神様アルフレド・ヒッチコック監督は、フランソワーズ・トリフォーのインタビューに応えて、こう言っています。
「私にとって、ミステリーがサスペンスであることは滅多にない。謎解きにはサスペンスは生じない。そこにあるのは、クロスワード・パズルを解く快感のようなもので、映画的エモーションが欠けている。」
ミステリーを映画にすることの難しさを、天下の巨匠が公言しているわけです。
例えば、松本清張の「砂の器」は大ヒットしましたが、あの映画は、ミステリーの原作を、犯人が判明した後の、ラスト30分で、親と子の流浪の旅を描いて、感動のクライマックスにしています。
横溝原作としては、松竹が渥美清に金田一耕助を演じさせて「八つ墓村」を撮っていますが、こちらは、あの夏八木勲演じる野武士の生首の形相が物語るように、ミステリーというよりは、ホラー映画として盛りあげています。
傑作と言われるミステリー映画と言うのは、このヒッチコックの金言を肝に銘じて、実は謎解きメインのミステリーからは、逃げることで成功していることが多い。
もちろん、大ベテランの市川崑監督も、この辺りは十分承知していたはずです。
数々の文芸作品を巧みな解釈で映画としても成功させたり、都会的なコメディ・タッチを得意としてきた市川監督ですが、まだそのキャリアに、本格的なミステリーはありませんでした。
しかし、自らのペンネームを、アガサ・クリスティをもじった九里子亭にするほど、ミステリーには造詣の深かった市川監督。
やっと、お声がかかったミステリーの企画に、彼は敢然とファイトを燃やすわけです。
「如何にして、ミステリー映画の中に、エモーションを持ち込むか」
そこに、彼のキャリアの中で培った様々な技術を総動員して取り組んだのが、前作「犬神家の一族」でした。
おどろおどろしい山奥の寒村のドラマに、都会的でスタイリッシュな映像を持ち込む工夫、巧みなコメディ・リリーフ、そしてなんと言っても、金田一耕助に石坂浩二を配したキャスティングのセンス。
冴え渡った市川流ミステリー演出と、巧みな角川春樹事務所による宣伝効果で、映画は大ヒット。
ヒットをすれば、さあ続編というのが映画界の常。
そこで製作されたのが本作「悪魔の手毬唄」になるわけです。
当然ご指名は、市川監督になるのですが、ここで彼は、前作で試みた様々な実験を修正し、ミステリー映画における演出の完成形を目指します。
要するに、前作での「やりすぎ」が巧みに修正され、市川崑流ミステリー演出としてこなれてくるんですね。
例えば、あまりに色気のなかった金田一の衣装には、マントを羽織らせてちょっと都会的にしてみたり、加藤武の演じたコミカルな立花警部に、哀愁漂う若山富三郎の磯川警部を絡ませてバランスを取るなどなど。
そして、天下の美人女優岸恵子に・・・
市川監督は、「映画の成功は、キャスティングの時点で、7割り程度は決まってくる」と言っています。
1958年の大映作品「炎上」で、ニヒルで二枚目な剣豪のイメージが強かった市川雷蔵に、丸坊主で吃音症の青年を演じさせることで、演技の新境地を切り拓かせた実績を持つ市川監督。
その意味では、本作の成功も、東映の極道シリーズや子連れ狼で、強面を演じ続けてきた若山富三郎に、岸惠子演じるリカに密かに想いを寄せる純朴な田舎の警部を演じさせて、あの哀愁感を引き出した市川監督の眼力は光ります。
このシリーズの大ヒットにより、名探偵・金田一耕助の名は、日本のミステリー界では、その名を広く轟かせていますが、実はよくよく考えてみると、本作での金田一は、事件の解決には一切貢献していません。
起こるべき殺人は、犯人にすべて実行させてしまっていますし、最終的には、その犯人の命さえ救えてはいません。
実は、金田一探偵は、鬼首村で起こる猟奇的な殺人の推移を、わかりやすく観客に説明してくれる狂言回しなんですね。
彼の立場は、名探偵というよりは、いつでも複雑に絡まった人間関係の外側にいる旅人であり、傍観者でした。
しかし、複雑に絡まるミステリーにおいて、決してドラマを邪魔することのない、観客と同じ視線に立つ事件の「解説者」はどうしても不可欠です。
その役に、日本一のナレーターでもある石坂浩二を配したことが、実はこのシリーズ最大の成功要因であったと言えるかもしれません。
コメント