読書「風の又三郎」宮沢賢治
読了後、すぐに頭に浮かんだのは、NHKの「みんなのうた」で歌われていた「北風小僧の寒太郎」。
堺正章や北島三郎が歌っていた名曲です。
ヒュルルルン ルンルンルン♪
この曲は、絶対に「風の又三郎」の影響を受けているだろうと踏んで、Wiki してみましたが、特に関連性はなし。どうやらこちらの思い過ごしでした。
この曲のベースになったのは、当時ブームだった「木枯し紋次郎」だったそうです。
でも、背景にある子供たちの精神世界には、かなり共通するものがあるように思います。
さて本作は、宮澤賢治の童話です。
発表されたのは、彼がなくなった後でした。
もちろん、「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」と並んで、よく知られた作品ですので、概要はなんとなく知識としては知っていましたが、実際に読んだのは今回が初めてでした。
田舎の小さな小学校に、ある日、高田三郎という一人の転校生がやってきました。
この転校生が、父親の仕事の都合で、再び転向していってしまうまでの12日間を描いた童話が本作。
どこか得体の知れない「よそもの」の雰囲気を漂わす三郎少年に、生徒たちは最初戸惑いますが、一緒に遊んでいるうちに、次第に打ち解けていきます。
野山を駆け回っているうちに、夢か現か、生徒の一人喜助は、ガラスの靴とガラスのマントを着て空に浮かび上がる三郎を目撃。
三郎こそ、噂の風の又三郎と信じて疑わない子供達。
ある日、胸騒ぎがして、早めに学校に行くと、教師が子供たちに告げます。
「三郎くんは、お父さんの仕事の都合で、昨日、北海道に帰ったよ。」
やっぱり三郎は、又三郎だったと顔を見合わせる生徒たち。
童話ですから、三郎は、実は「風の又三郎」だった、でもよかったかもしれません。
しかし、宮沢賢治は、本作の中では、あえてその答えを提示していません。
ただ、豊かな自然の中で育まれていく子供たちの心象風景を見事に切りとっただけ。
これが、本作を心に残る童話にした由縁でしょう。
読みながら、思い出していました。
実は僕も小学校3年の時に、東京都のダウンタウン大田区大森から、埼玉県の浦和市に(現さいたま市)引っ越してきて、一度転校を経験しています。
学年の最初に撮ったクラスの集合写真が今でも残っているのですが、よく見るとやや緊張した面持ちの自分が写っています。
幸い記憶の中に、あまり「よそもの」「東京もの」扱いされた思い出はないのですが、クラスに馴染むために、9歳の自分が意識して実行した戦略は覚えています。
あの頃の男の子なら知らぬものはない漫画ヒーローは、「鉄人28号」でした。
僕も、おやつはグリコのキャラメル専門でしたし、下敷き、筆箱、果ては上履き入れ袋まで、鉄人グッズで揃えるほどハマっていました。
そして、本屋の息子の強みで、お店の漫画を拝借しては、ノートに描きまくっていたのが、「鉄人28号」のスケッチです。
金田正太郎くんはもちろん、オックス、バッカス、ロビー、モンスター、ギルバード、渋いところでは大塚署長にいたるまで、そのレパートリーは広く、そのレベルも当時の平均的ファンの水準は超えているという自負がありました。
そこで、意識して実行したのは、学校の休み時間になると、「お絵描きノート」を机に広げて、「鉄人28号」の漫画を、2Bの鉛筆で描くこと。
しばらくすると、関心のあるクラスメートが集まってきて、「あれ描いてこれ描いて」ということになります。
こうなればしめたもの。
まさに、芸は身を助けるではありませんが、自然と友達は増えていきましたね。
その中の一人、シュウイチ君に、僕はある日、自宅に遊びに来るように誘われます。
行ってみてビックリ。
彼の家には、当時光文社から発売されていた「鉄人28号」のカッパコミックスが全巻揃っていたのです。
そして、見せてもらった彼のノートには、横山光輝氏の原作をアレンジしたストーリー漫画がビッシリ。
ただ好きなロボットだけを好きなように描いているだけの僕とはレベルが違いました。
それ以後、「鉄人28号」を通じて、彼との友情は、小学校が終わるまで続きましたね。
後になって聞いた話ですが、当時両親は引っ越しのタイミングを、わざわざ学年がわりに合わせてくれたようです。
「風の又三郎」の三郎くんが、引っ越してきたのは、二学期の始まるタイミングでしたが、クラスが馴染んできた頃に、転校生が来ると、やはり子供たちは正直で、出来上がりつつある自分たちの輪の中に入ってくる「よそもの」の意識はどうしても強くなります。
ひどいケースでは、「いじめ」の対象になることもあるかも知れません。
そこまで、両親が考えていたかどうかはわかりませんが、クラス替えをした直後の、4月に転校すれば、そのリスクは減るだろうとは考えてくれていたようです。
最近、縁あって当時のクラスメイトたちと、定期的に「飲み会」(僕は飲めないので烏龍茶)をする機会があるのですが、その集合写真にも一緒に写っていた友人の一人には、こう言われますね。
「おまえ、そういえば、いつの間にかいたよな。」
三郎くんは、「又三郎」になって、ある日突然、風のようにいなくなってしまいましたが、僕は、ガラスのマントも、ガラスの靴を履くこともなく、その悪友たちとは、増えたシワと白髪をつきあわせて、今でも子供の頃の記憶を肴に一杯やっております。
一句整いました。
宮沢賢治柿沢謙二に讃えられ
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