多分、小学校4年の時ですね。
学校の定期健康診断で、「耳アカあり」と診断されてしまった僕は、これを取ってこないとプールの授業には参加できないと先生に言われ、渋々近くの耳鼻咽喉科に行きました。
当時は、京浜東北線の与野駅西口に住んでおり、駅前商店をまっすぐ進んだ、国道17号線の手前に、黒崎耳鼻咽喉科はありました。
学校の診断書を渡し、白衣の医師の前に座る僕は、やや緊張気味。
医師は顔色ひとつ変えず、ハロゲンランプのスイッチを入れ、額帯反射鏡をクイッと折り、僕の耳の中を覗くと、何やらスポイドで一滴二滴耳の中にさし、取り出したのはピンセット。
これを耳の中に突っ込み、何やらガサゴソという音が耳の中で響いたかと思うと、一瞬で耳垢除去作業は終了。医師が一言。
「見るか?」
思わず首を縦に振ると、差し出した手のひらに乗っかったのは、見るも巨大な耳垢でした。
保険証を提示し、学校の診断書に、ペタンと病院の判子を押してもらい、これでめでたくプールの授業には参加オーケー。払った治療費が、20円だったのを覚えています。
大事に持ち帰った耳あかですが、これが耳の中にあったのかと思うと、なぜか愛おしくなり、しばらくは、マッチ箱の中に入れて保存し、時々眺めていたのを覚えています。
これ以来、僕の耳かき作業は、完全に「大物ねらい」になりました。
愛用の耳かきは、オーソドックスな、先がへら状になっている木製のもの。
反対側に、ワタがついているやつですね。
最近では、色々なタイプの「耳かき」があるのですが、基本的には使いません。
実用性はそれなりにあるのでしょうが、どのタイプも、耳垢を外耳道の手前から少しずつ崩していくスタイルなので、「大物ねらい」には向きません。
やはり、耳垢の存在を、耳の中に感じたら、そうっと耳かきのへらを、その向こうまで進入させ、外耳道の壁にへらの先が当たる時の、妙な快感と痛感を感じながら、グイッと一気に掻き出す。
完全に、このスタイルになってしまいました。
さて、子供の頃に、耳掃除をよくやってくれたのは祖母でした。
あの膝枕の感触は、今でも覚えています。
祖母が亡くなってからは、もちろん自分でしていましたが、のちに付き合った彼女が、この「耳かき」の名手でした。
彼女の職業は、エレクトーンの教師。
子供の頃から、ピアノを弾いていた彼女は、元々指先が器用だったようで、母親の「逆さ睫毛取り」なんていう繊細な作業もこなしていたといいます。
付き合ってしばらくした頃、僕はその彼女に、ニッコリ笑ってこう言われます。
「耳かきしてあげようか?」
その笑顔には、自信があふれていました。
彼女が、バッグから取り出したのは、お馴染みの後ろに綿のついた木製耳かき。
色々使った末にたどりついたそうで、一番自分の手先にフィットする一品だそうです。
耳かき作業には、当然彼女の膝枕を拝借するわけですが、祖母とは違って、とてもいい香りがしましたね。
その彼女の「耳かき」が絶品。
祖母には「痛かったら、言うんだよ」なんて言われて、多少緊張したもんですが、彼女はそんなことは一言も言わず、まるで僕の耳の中の構造をわかっているかのように、耳垢の外回りから、外耳道の壁には極力触れないように優しくアタックしているのがわかります。
そうして、掻き出された耳垢は、「大物」ではなく、すべて細切れの断片でしたが、それでもそれを彼女が見せてくれるたびに、なぜか幸せな気分になったものです。
残念ながら、その彼女とは別れてしまうことになり、再び「耳かき」は、セルフ作業になりました。
いまだに、あの小学生の時の耳垢よりも、立派な耳垢には巡り会えておりません。
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