蟹工船 小林多喜二
1929年に執筆された、プロレタリアート文学の金字塔。
恥ずかしながら、読み始める前までに持っていた知識は、その程度でした。
本書の中に、こういう件があります。
毎年の例で、漁期が終わりそうになると、蟹缶詰の献上品を作ることになっていた。(中略)
「石ころでも入れておけ! かまうものか。」
献上品といえば、恐れ多くも天皇陛下に差し出す品物です。それに「石ころでも」とやってしまったものですから、これが不敬罪に問われてしまいました。
共産主義活動は、当時は犯罪です。もともと、特高警察には目をつけられていた小林多喜二は、これを追求されて逮捕され、その日のうちに拷問により虐殺されてしまいます。
歴史の教科書にも、日本の共産主義運動の流れで、しっかり載っていた事件ですが、やはり「拷問死」というのは、インパクトがありました。
ネットで検索すると、遺体を抱いた母親の痛ましい姿が見つかります。
母親はこう言って叫んだそうです。
「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」
小林多喜二は、享年29歳でしたが、自身が書いた小説よりも、はるかに悲劇的な人生でした。
多喜二は、てっきり蟹工船に乗り込んだ経験があるとばかり思っていました。
しかし、実際には、本作は乗組員だった友人から聞いた話をもとに書かれたのだそうです。
それにしては、船内の描写があまりにリアルでした。
特に「匂い」の描写が圧倒的。
よせばいいのに、その匂いを想像して、何度も顔が歪みました。
そして、読み進めていてるうちに気がつきます。
本作の登場人物の中で、名前が出てくるのは、監督の浅川一名だけ。
後は一切の固有名詞が出てきません。
すべて「学生」であり、「雑夫」であり、「水夫」であり、「吃り」などなど。
小林多喜二は、蟹工船の乗組員たちをまるっと全員一括りにして「主人公」として設定しているわけです。
「虐げられた労働者たちの団結」が映画のクライマックスになりますので、そのドラマツルギーとして、あえて特定の主人公を置かないことには、最後まで強い「こだわり」を持って執筆していたように思われます。
YouTubeに、本作の1953年映画版がそっくりアップされていたので見てみましが、原作には設定のない「のんだくれの松木」(演じているのは監督も務めた山村聰)が主人公として登場しています。しかし、この主人公はなんと映画の中ほどで自殺してしまい、クライマックスには登場しません。
蟹工船から離れて漂流した川崎船が、ロシア人に救助される件があります。
船員が身振り手振りで、船内の実情を伝えると、「プロレタリアートはなぜ戦わない?」と逆に諭されてしまいます。
本作では「露助」などと言われていましたが、この頃のロシアはレーニンによる社会主義革命を1917年に成し遂げて、世界初の、労働者による社会主義国家を作り上げていたばかり。
しっかりと、蟹工船の労働者の背中を押していましたね。
それ以後の20世紀の歴史の中で、資本主義と社会主義の争いには、一応の決着は付いてしまいましたが、それでも資本主義が、すべての点において社会主義に優っていたわけではありません。
資本家と労働者の格差は、資本主義の全ての国家において深刻な社会問題になっていますし、この「蟹工船」ほどではないにしろ、「ブラック企業」の横行は、若者たちの精神を確実に蝕んでいます。
そんな中で、平成の時代になって、本作「蟹工船」が、新作書物の中に混じって、突如ベストセラーとして躍り出たの記憶に新しいところ。
これに伴い、映画も作られたりしましたね。
今から90年も前の、小林多喜二の問題提起は、脈々と資本主義の現代において、時の壁を超え、イデオロギーの壁を超えて、息を吹き返しています。
先日、勤めていた会社の後輩から電話がかかってきました。
「ひどい話ですよ。ちょっと聞いてもらっていいですか。」
そこから彼が語り出す、会社に対する不平不満の数々。
ひとしきり付き合いましたが、やはり建設的な話にはなりません。
彼にはこう言ってあげるべきでした。。
「『蟹工船』でも、読んでみたらどう?」
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