いやあ、やっぱり無理でした。
すいません。見栄を張りました。
せめて、タイトルだけでもと、ドカンと書かせてもらいましたが、読んだのは本書ではなく解説書。
それでも、何度も寝落ちを繰り返しながらなんとか読み切った次第。
疲れました。
前回、小林多喜二の「蟹工船」を読んだ流れで、チラッと開いてみたのですが、やはりマルクスの経済理論はあまりに崇高すぎて、無学の百姓の頭には到底理解できるものではありませんでしたね。
しかしこれでも、一応経営学部は出ていますので、過去に「資本論」に挑んだことは何回かはあります。
大学に通い始めた時、一応経営を勉強する学生っぽいことをしてみようかと、学内の図書館に行って、自意識過剰気味に「資本論」を開いたのがおそらく最初だったと思います。
しかし、最初の三章くらい読んで、クラクラっときましたね。
まず、書いてある文字を、脳内でビジュアル変換するシステムが、「資本論」では、まるで作動しません。
テレビ放送終了後の、砂嵐画面を見ているような感じでした。
そして、意味不明な単語が三つ以上並んだら、眠くなってくるというスイッチも自動的にオン。
気がつけば、前の晩のアルバイトの疲れがどっと押し寄せて、図書館のテーブルに突っ伏して寝てしまい、危うく図書館の蔵書にヨダレを垂らす寸前だったのを覚えています。
大学は、5年通いましたので、それ以外に、もう一度くらいはトライした記憶がありますが、おそらくそこからもう2〜3章進めただけ。
「資本論」は、第一巻だけで、25章もある大著です。
しかもそれだけでは終わらず、マルクスの盟友エンゲルスが引き継いで現した第2巻、第3巻まであるわけですから、これはもう、僕如きのミーハーな頭脳で、ゴールまで辿り着けるシロモノではないと、「資本論」読破は早々に諦めました。
しかし、一度は開いた本です。
どこかで潜在的に未練はあるようで、解説書くらいは時折購入してはパラパラ。
わからないなりにも、せめてそのエッセンスくらいは理解しておきたいという色気は、ずっとありました。
今回も、関連書籍を2冊ほど読んで見て、Amazon プライムにあるNHKの「100分で名著」のアーカイブから、「資本論」を取り上げた回をチェック。
それでもなんだか、まだモヤモヤするので、畑作業をしながら、YouTubeの教養系動画をBGMがわりに聞いておりました。
しかしながら、やはり「資本論」の真髄は、僕にとっては遥か彼方の霧の中。
頭脳明晰で、そこに手が届いた多くの知識人が、この「資本論」を語りたがるのは、よくわかるような気がします。
そりゃそうでしょう。
こんな難解な本が理解出来たら、僕なら、鼻の穴を膨らませて自慢したくなりますね。
というわけなので、経済学のバイブルとも言われる本書を通読したわけではないことだけ、まず最初にお断りしておきます。
マルクスは、この難解な経済指南書を、当時のプロレタリアートたちに、読んで欲しいと思っていたと言います。
実は、彼は後にこう言っていたんですね。
「資本の基礎を説明した第7章までは、難しいかもしれない。よくわからなかったら飛ばして、第8章から読んでみて欲しい。」
これを今まで知らなかったのは不覚でした。
いやいや、どうしてそれを、本の最初に書いておいてくれなかったか?
これは、ちょいと悔やまれます。
最初を飛ばしていいんなら、絶対に飛ばしていましたね。
「資本論」の第8章は、「労働日」について。
確かにこの章で述べられているのは、イギリスで1850年に制定された「工場法」を巧みにシカトして、労働者たちを酷使する工場主の横暴ぶり。
マルクスは、工場の実情を綿密に調査して、その蛮行を暴いています。
ここには、難解な単語も、数式も比較的少なく、ドキュメンタリー・タッチで確かにわかりやすい。
何より、書いてある事のイメージが、頭の中でハッキリ描けます。
こうなれば、閉めたもの。多少なりとも理解は進みます。
「資本論」の「つかみ」としては、バッチリじゃないですか。
第7章までの内容は、資本主義経済の中では、すべてのものが「商品」という形態になって現れるということをベースに、それをミクロ的に、唯物史観的に解析していく内容です。
いわば、「資本論」を述べていく上での基本中の基本部分。
学者であるマルクスとしては、冒頭には、まずこの章の展開が外せなかったのでしょうが、この辺りが、知識人の融通の効かないところ。
「スター・ウォーズ」を世に送り出したジョージ・ルーカスを思い出して欲しいわけです。
映画9作品に渡るスター・ウォーズ・サーガを、最初から順番に描いていくのではなく、まずは観客のハートを掴むことを最優先にして、最もストーリーがわかりやすくて、クライマックスが盛り上がる展開である4作目のシナリオから、最初に映画化したのは有名な話。
最初がコケたら、その後の映画化はないという、厳しいハリウッド事情を分かっていたからこその判断でした。
マルクスにも、ジョージ・ルーカス的な「つかみ」の配慮が出来ていたら、「資本論」を読み進められた人は、もう少し増えていたかもしれません。
マルクスは、元々哲学を勉強していた人です。
しかし、本書を表すまでに、ヨーロッパを転々として、最終的に行き着いたのがロンドン。そこで彼は、毎日大英博物館図書館に通っては、経済学、歴史も徹底的に勉強しました。
それゆえに、本書は、資本主義経済に対して、一元的ではない、多様な科学的アプローチが施されて成立しています。
トーマス・モアやフランシス・ベーコンたちによる、それまでの社会主義を「空想的社会主義」という立場に追いやってしまい、自らの唱える社会主義を「科学的社会主義」と言わせしめたのが、マルクスとエンゲルスによる「資本論」です。
しかしそれゆえ、「W-G-W」だの「剰余価値」だの「相対的価値形態」だの「本源的蓄積」などという難解な単語が、とにかく並び過ぎます。
こちらは、たちまち、ついていけなくなります。
簡単に説明しているはずの解説書でも、何度も同じ箇所のループになることが度々。
理系的アカデミズムは、なかなか理解できない脳の構造になってしまっていているので、マルクスが科学的に攻めて来れば来るほど、こちらはお手上げです。
今回もなかなか苦しい読書でしたが、しかし、なんとか理解できそうだったのが、資本論をめぐる歴史的アプローチでした。
これは、去年のシーズン、畑作業をしながら、YouTube の「高校世界史講座」の動画をずっと聴いていたことも手伝って、世界史がこのコロナ禍でのささやかなマイブームになっており、意外にもすんなり頭に入ってきました。
というわけで、今回はここだけに的を絞ることにします。
偉大なる「資本論」の深淵の、ほんの「歴史的」さわりだけを理解して、今回はよしとさせていただきます。
マルクスは、ヨーロッパの歴史を徹底的に勉強して、革命とは常に、階級闘争の末に成し遂げられるという法則を見出します。
絶対王政に争った一般市民が王権を倒したイギリスのピューリタン革命、聖職者や貴族からの支配にキレた平民が、武器を取り暴動を起こしたのがフランス革命。
マルクスが生まれる前のヨーロッパは、とにかく激動の時代で、これ以外にも各国で、相反する二つの階級の衝突が相次ぎました。
その争い自体が、ヨーロッパの歴史そのものだったと言ってもいいほどです。
そして、これを具に調べ上げたマルクスは、これらがすべて、「暴力」による衝突の末に勝ち取られているという法則を導き出します。(日本の、徳川幕府江戸城無血開城は調べなかったかな?)
マルクスは学者でしたから、自然界にある法則同様に、人間の社会にも、その行動体系に一貫する普遍的な法則があるはずだと確信していたんですね。
歴史は、常に現状を維持しようとする階級と、それに不満を持つ階級の武力構想の繰り返しである。
そう気が付いたマルクスが、自分の生きる19世紀のヨーロッパに目を向けた時、支配者と被支配者に分かれていた二つの階級はなんだったか。
この時代は、まさに産業革命の真っ最中です。
数々の産業的技術革新が進む中で、工場や機械を持つものが、持たざる者を雇用するという主従関係が拡大していました。
つまりそれが、資本家と労働者だったわけです。
マルクスの導いた法則によれば、この二つの階級は、資本家による労働者階級への搾取が行き着くところまでいけば、最終的には暴力による衝突になり、その支配関係はひっくり返るという結論に達します。
もちろん、革命はこれで終わりではありません。
マルクスは、その先の世界についても、しっかりと考察していました。
マルクスは、差別が横行する格差社会には、はっきりと「ノー」を唱え、経済的に平等な社会を理想としていました。
従って、資本家が倒れた世の中では、労働者たちが共同で資本を所有し、その代表が管理し、労働者たちに公平に分配する国家体制になるべき。
その生産も国家が計画的に行い、そしてそれは、労働者に計画的に分配されるべきと考えたわけです。いわゆる計画経済ですね。
そして、マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」によれば、これで終わりではありません。その先の世界がまだあります。
労働者が支配階級として組織化された国家においては、やがて、その国家自体が自らの階級支配を廃し、その国家権力も「政治的性格を失う」こと。
そして「ひとりひとりの良心的、献身的な成長が、国家管理さえ必要としない、自由闊達で身分差別のない共同体を醸成していく」という見通しを述べています。
マルクスは、1883年に没しますが、その30年後に、彼の予言通り、労働者(プロレタリアート)たちが立ち上がって、時の皇帝を退陣に追い込む革命が起こりました。
教科書でも習った、世界で初めての社会主義革命となるロシア革命ですね。
この革命で、労働者たちを指揮したのはウラジミール・レーニンです。
彼が樹立したのは、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国。
ソビエトというのは、労働者たちの評議会を意味していて、国家の名前に、地名以外の名前が使われたのは、これが初めてでした。
レーニンは、マルクスの唱えた理論に、巧みに自分の思想をブレンドして、世界初の社会主義国家の基礎を作り上げます。
これを引き継ぎ、異議を唱えるもの、もしくは、その疑いのあるものに対して、徹底的な粛清を行い、何千万人とも言われる人を犠牲にして、強引に社会主義を牽引したのがヨセフ・スターリンでした。
ソ連の強力な影響を受ける東ヨーロッパの国々も、次第に社会主義国になっていきます。
そして、1949年には、混沌としていた中国に、共産党を指揮した毛沢東率いる中華人民共和国が樹立。
毛沢東は、スターリン指揮下のソ連を目標として、彼なりの社会主義国家を目指しました。
第二次世界大戦後は、自由主義国家の雄アメリカと、社会主義の先頭に立つソ連は、世界の覇権を競って、冷戦の時代を迎えます。
ソ連は、すべての社会主義国家の手本となる国でした。
1950年代の宇宙競争では、アメリカに先んじて、世界初の有人宇宙飛行を成功させたソ連は、大いにアメリカを慌てさせましたが、しかし、その国家運営は、社会主義とは名ばかりで、その理想とは、大きく乖離したものでした。
特に酷かったのは農業。
学校の教科書でも習った集団農場コルホーズ、ソフホーズの理想は、全く絵に描いた餅で、まるで機能しません。
とにかく、社会主義国家では、働いても働かなくても、農民の給料は皆平等なわけですから、誰もまともに働こうとしないわけです。
本来であれば、ソ連国内で最も農業に適した肥沃な大地を持っていたはずのウクライナ地方で、なんと1500万人近い餓死者を出していることが全てを物語っています。
一事が万事です。
同じことは工業にも起こります。
社会主義の計画経済では、とにかく競争相手がいないので、製品の品質が全く向上しませんでした。
同じ「顔」をした商品がズラリと並び、当然それらは大量に売れ残ります。
ソ連の経済は、次第に壊滅的な状況になっていきました。
そして、ソ連は、ゴルバチョフ大統領時代のペレストロイカ政策で、グラスノスチ(情報公開)が実現するまで、この結果を徹底的に隠蔽して、偽りの成果を喧伝し、それを信じた中国や、カンボジアなどの社会主義国家で、第二第三の悲劇を生んでいったわけです。
そして、1991年には、社会主義の旗手であったソ連が、あっけなく崩壊してしまいます。
当然、ソ連以外に、社会主義を目指した国々にも惨憺たる末路が待っていました。
スターリンの国家運営に範をとった中国では、毛沢東の指導により「大躍進政策」が展開されましたが、その結果はソ連と同様で、農業は壊滅的な打撃を受け、3000万人以上の犠牲者を出しています。
1976年に、カンボジアで、クメール・ルージュを率いて政権を握ったポル・ポトも、社会主義を掲げた国でした。
彼が目指したのは原始共産主義。
これに基づき彼が打ち出したのは、空前絶後のとんでもない政策でした。
金持ちや、少しでも教養のあるものは、自らの推し進める重農主義には必要なしと判断して、片っぱしから処刑していったのです。
中には、眼鏡をかけているという理由だけで、殺された人もいます。
ポル・ポト支配下の数年間で、殺されたカンボジア国民はおよそ200万人。
彼が去った後の、カンボジアの大地に累々と横たわる死体は、「キリング・フィールド」と呼ばれました。
社会主義を目指した国家では、戦争をしたわけでもないのに、大量の国民が犠牲になっていったわけです。
20世紀における社会主義国家のドミノ的崩壊を見て、果たしてマルクスはどう思ったか。
1991年のソ連の崩壊を以って、資本主義と社会主義の争いには、一応の決着が付いたと思った人は多くいたはずです。
事実、これ以降、あれだけ世界中の共産主義者を熱く団結させたマルクスの理想と、「資本論」による経済理論は、だんだんとかつての熱量をなくし、下火になっていきます。
確かに、マルクスは、資本主義の行き着くべき未来を、あの時代に科学的に論考し、労働者による革命を予言しました。
そして、そこまでは間違いでなかったことは、歴史が証明しています。
マルクスが読み違えたのは、プロレタリアート革命が起こった後の世界でした。
「資本論」で論考を進めた、資本主義経済が内包する矛盾、格差社会に対する警鐘、非人間性やその危険性については、21世紀の現代を生きている人なら、誰でも当たり前に実感出来ることばかりだと思います。
では、マルクスの思い描いた革命後の世界は、所詮夢物語だったのか。
そもそも、「共産党宣言」でも述べられているように、社会主義というのは、マルクスの理想とした共産主義に到達するまでの一過程に過ぎません。
社会主義が理想通りに成熟していけば、その先には、もはや国家さえ持たない共同体が現れるとマルクスは言っているわけです。
レーニンや毛沢東が作った社会主義国家は、あまりに「国家の存在」が大き過ぎました。
考えてみれば、マルクスは革命の後に、その資本の所有者として、便宜的に国家を上げてはいましたが、彼が言ったのは、あくまで、労働者の総意で資本を共有する形です。
多くの社会主義国家のリーダーたちは、ここを無視して、自らの権力を強引な形で強大なものにしていくことに、都合よく利用しました。
そうして出来上がった社会主義国家は、資本家と国家がただ入れ変わっただけで、支配する階級と、支配される階級で成り立つ社会という図式は、実は、それ以前の資本主義の時代と何ら変わっていなかったということに気がつきます。
人間における普遍の法則を模索したマルクスが読みきれなかったのは、権力という「化け物」を手中にした人間が、その万能感から得る快感の虜になり、次第に人間性を麻痺させ、その権力を維持することに固執し、やがて暴走していくという法則だったかもしれません。
社会主義の旗を掲げている国は、もちろん今でもまだ残っていますが、マルクスがその先に描いた共産主義を実現させている国は、未だ世界中のどこにもありません。
権力という「悪魔」に取り憑かれるのが人間の本能であるとすれば、社会主義の敗北は、実はマルクスの理論によるものではなく、彼が読みきれなかった「人間の理性」の敗北と読めるかもしれません。
最近「人新生の資本論」というベストセラーを描いた斉藤幸平という若い経済学者が、中国から招かれて「資本論」の講演に行った時のことを、こう述べていました。
「社会主義の中国なのに、実はマルクスの資本論を読んでいる人があまりに少なくてがっかりした。しかし、そんな彼らは習近平の著作なら、繰り返し読んでいる。」
マルクスの「資本論」は、後の社会主義国家のリーダーたちに、正しく伝わっていたのか。
20世紀における、社会主義の崩壊の真の原因は、本当にマルクスにあったのか。
これは、もう一度検証してみる余地のあることだと思います。
マルクスは、資本主義の行き着く先には、必ず労働者による革命が起こると言っています。
しかし、よく考えてみると、真っ先に革命の起こったロシアの資本主義は、他のヨーロッパ各国に比べれば、まだまだ未熟なものでした。
そんなロシアに起こった社会主義革命は、もしかしたらマルクスにとっては意外だったかもしれません、
マルクスの予言した通りなら、最も早く社会主義革命に到達するのは、世界に先駆けて産業革命を起こし、資本主義を発展させていったイギリスだったはず。
もちろん、イギリスにおいても、マルクスの資本論は浸透してゆき、しっかりと研究はされました。
そして、マルクスの言う通り、時期が来ればいずれはおこるはずの労働者たちの革命を回避するために、イギリスが選択したのは、国家による労働者の保護でした。
イギリスには、1833年に工場法が成立しており、労働時間や、児童や女性を保護する法律はすでにありましたが、マルクスの「資本論」以降は、有名な「ゆりかごから墓場まで」と言われた社会保証制度や、国民保険制度を充実させるなどして、マルクスの鳴らした警鐘に国家レベルで対策を講じて来た訳です。
労働者たちを取り巻く環境は、これにより、格段に向上し、イギリスにおける社会主義革命は、この努力によって回避されたと言ってもいいと思います。
ヨーロッパの資本主義国の多くは、イギリスを見習い、それぞれに労働者の権利を守り、その生活を保護していく政策を推し進めることでことで、資本主義経済を持続させていったわけです。
しかし、それでも、やはり資本主義は資本主義。
これで資本家と雇用者の貧富の格差問題がなくなったわけではありません。
マルクスが、「資本論」で指摘した労働者の搾取問題は、今もなお変わらず、資本主義国家共通の社会問題であり続けています。
非正規社員の「派遣切り」など、労働者の形態こそ、マルクスの時代とは大きく変わってきていますが、マルクスの言う通り、資本家はその富を際限なく蓄積させ、労働者には、貧困が蓄積されていくという図式はまるで変わりません。
社会主義国家の多くは、その先にある共産主義という成虫に孵化する前に、自滅してしまいましたが、資本主義経済に取り憑いた悪魔は、今や資本それ自体も飲み込んで、資本家自身にも制御できない怪物になり、すべての労働者に牙を剥いているように思えます。
資本主義社会は、本当に、社会主義主義よりも優れた社会なのか。
その答えは、まだまだ、そう軽々に出せるものではないような気がします。
2008年のリーマン・ショック以来、マルクスの「資本論」は、再び見直されていると言います。
「大洪水よ。我亡き後に来たれ!」
資本論の第8章には、こんな印象的なフレーズがあります
これは、ルイ15世の愛妾であったポンパドゥール夫人が言ったとされるセリフを、マルクスが引用したものです。
彼女は、フランス革命前夜のフランス王室で、贅沢三昧の限りを尽くしていた人。
側近に、「こんな浪費をされては、国が傾きます。」といわれ、涼しい顔でこういったそうです。
「そんなの私の知ったことではないわ。大洪水(財政破綻の意)が来るというなら、私が死んでからにして。」
マルクスは、彼女のこのセリフにこそ、資本主義社会における資本家の本心があると看破しています。
労働者にひたすら過酷な労働を強いることで、資本を増大させ、潤っていった当時の資本家たちは、労働者の人間的存在の権利を守らなければ、いずれ資本主義社会は断ちいかなくなるということを薄々と理解していたにも関わらず、そんな先のこと(洪水)にはお構いなしに、目先の損得だけを考えて、労働者たちを酷使し続けていることを、マルクスは、このセリフで痛烈に批判したわけです。
これは妙に引っかかりました。
今の我が国の政府もやっている政策も、多分にこの感じがありますね。
国民の安全を二の次にして、今なお推し進めようというオリンピック政策。
福島の現状や、我が国の未来のことなど、お構いなしの原発政策。
既得権益者にだけ目を向けて、国民の生活を犠牲にするばかりのコロナ対策。
過去に何度正されても、いつの間にか復活している利害企業による高級官僚たちへの接対。
全てがまさに「今だけ、ここだけ、自分だけ」という、300年前のポンパドゥール夫人マインドそのものです。
後はどうなろうと、自分がやっている間は、こんなおいしいこと、やめるつもりはありません。
なんとかするなら、自分が辞めてからしてねという無責任極まりない空気が、今の政権を支配している気がします。
「共産党宣言」の有名な冒頭です。
「ひとつの妖怪がヨーロッパを歩き回っている――共産主義という妖怪が」
国家権力という怪物に歪められてしまった社会主義ではありましたが、マルクスの思い描いた、その先にある共産主義の社会ということなら、それがどんなものか、ちょっと見てみたい気はしますね。
人間の本能と欲望を抑え込んで、本当に、自由で平等な社会というものが築けるものなのか。
人間の性善説を信じるなどと言われてしまうと、僕のようなひねくれ者はすぐに眉間に皺が寄ってしまいますが、理性が本能を上手にてなづけるという姿なら、ちょっと想像できる気はします。
マルクスは、革命は常に暴力的に行われると言っていますが、どうかその辺りはお手柔らかに。出来るなら是非とも穏便に参りましょう。
その世界を明確にイメージできていたのは、やはりジョン・レノンでしょうか。
ちょっと「イマジン」でも聞き直してみますか。
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