古い写真フェチといってもいいでしょう。
何故かわかりませんが、とにかく古い昔の写真を眺めているのが好きなんですね。
きっかけは、おそらく母親が亡くなった時です。
母は1999年没ですが、その遺品整理をしているときに、古い写真が大量に出てきたんですね。
我が母親は、写真愛好家というわけではありませんでしたが、非常に几帳面な人でしたので、親族の写真は、いくつものアルバムに分けて、きちんと整理されていました。
それらを全て、スキャンして、デジタル変換したあたりから、「古い写真」の味を意識し始めました。
母親は、東京都伊豆七島の三宅島が故郷です。
大正時代最後の年生まれでしたから、1925年生まれ。
昭和時代をまるまる生きた世代です。
僕は、昭和34年生まれですが、それ以前の写真もたくさん残っていました。
それでは、我が家にある一番古い写真はいつ頃のものなのか。
残念ながら、写真には、「いつ」「どこで」のデータがほとんど記されていなかったので、写真の被写体の情報から判断するしかないのですが、たった一枚だけ、裏面に「情報」が記されているものがありました。
「昭和十六年十一月二十三日 成田参拝の際記念の為に写す」とあります。
中央に写っている眼鏡の学生が、母の兄(つまり、僕から見れば叔父さん)だと思われます。
母はあまり多くを語らない人でしたが、叔母が、よく言ってました。
「あんたんとこのおっかさんは、島のタバコ屋の看板娘だったんだぞ。」
それを頼りに推察すれば、以下の2枚の写真は、そのタバコ屋の前で、おすまししている十代の頃の母親。
やはりこれも、戦前の写真ということでしょう。
たばこ屋とは言っても、実際は雑貨屋で、写真を見る限り、当時のコンビニのような店だったと思われます。
当時のグラビア雑誌の切り抜きと思われる写真もあって、そこから、一般的な「島の娘」の当時のファッションがわかるのですが、若かりし母親も、ほぼ同じ姿です。
こちらの風景写真も、おそらく戦前の三宅島のどこかの海岸だと思われますが、詳細は不明。
こちらは、母方の親族の集合写真。
最前列の一番左が、母親です。
中央には、明治生まれの祖父の姿もあります。
昭和二十年代ですね。
母親は、島で学校を卒業してから、埼玉県与野市にあった「興文堂」という本屋兼文房具店に就職しています。
これが、後に経営者が変わって、「いずみ書店」となり、僕が小学校三年からの少年時代を過ごした実家になるということになります。
ツーショットの男性は、この「興文堂」の経営者の息子さん。
この人が、実は我が母親の最初のご主人になる人です。
かなり大きな店だったようで、店員も数名はいた模様。
当時の従業員レクリエーションで、江ノ島(?)あたりに行っている写真もありました。
これも昭和二十年代。
当時の写真を見ると、今のようにバチバチ撮りまくるスナップ写真は少なく、一枚一枚に時間をかけて、非常に丁寧に撮られているのがわかります。
この店は結局畳むことになり、そのあたりの諸々の事情で、母親は最初のご主人とは離婚。
その店の負債を引き受けて、店を引き継いだのが、僕の叔父に当たる人でした。
その関係から、当時サラリーマンをしていた父親が指名され、彼は脱サラをして、この店の店長となります。
そして、そこで母と知り合うというのが、僕が生まれる以前の両親のドラマということになります。
さて、最後に、この写真がいやに気になりました。
こんな美人が、母の知り合いにいたとは聞いていません。
あなたどなた?
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