Amazon プライムで鑑賞。
雨が続くと露地栽培メインの百姓としては、見る映画の本数が増えてきます。
これは、ドキュメンタリー。
1969年5月13日に、東大駒場キャンパスの、900番教室で行われた、作家・三島由紀夫と全共闘との公開討論会の模様を、TBSのカメラが収めたものです。
関係者たちや、三島に近い知識人たちのインタビューを織り交ぜて、ともすれば難解な単語が飛び交う討論を、わかりやすく編集してくれていました。
三島由紀夫は、この翌年に、「楯の会」のメンバーとともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地に方面総監を人質に立て篭もり、バルコニーから、自衛隊員たちに向ってたちに「決起せよ」という渾身の檄を飛ばしますが、それが受け入れられないことを知るや、切腹して自害するという壮絶な最後を遂げます。
映画の中には、このことを暗示するような、三島の発言もあり、ゾゾっと背筋が寒くなりましたね。
恥ずかしながら、三島由紀夫の小説は、まだ一編も読んでいません。
彼の作品を原作にした映画を何本か見ているだけ。
大正14年生まれの三島由紀夫は、実は我が母親と同じ年齢です。
この年に生まれますと、昭和の年号と、自分の年齢ががシンクロするということになります。
昭和22年に、22歳で大蔵省に入省。
翌昭和23年に、23歳で、大蔵省をやめ、作家活動に専念。
翌昭和24年に、24歳で、「仮面の告白」で文壇デビュー。
昭和33年に、川端康成の仲人で、33歳で結婚。
昭和43年に、43歳で、「楯の会」結成。
そして、昭和45年に、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。享年45歳。
ですから、この討論会が行われた、昭和44年では、三島は44歳ということになります。
1000人を超える血気盛んな学生たちで溢れかえった900番教室に、彼は警察や「縦の会」の警護も断って単身乗り込みます。
教室の外には、三島を揶揄する挑発的なポスターなども貼ってあり、実際には、三島の身に何かあれば、すぐに飛び出せるように「楯の会」のメンバーが、秘かに学生に紛れて教室内に潜伏したというくらいの物々しい空気の中、討論会は始まりました。
意外だったのは、三島由紀夫の堂々としながらも、驚くほど紳士的な態度です。
正直申すと、もっと激しいトークバトルを想像していました。
マイクを持った学生論客たちの挑発に乗ることもなく、終始微笑みを浮かべて、真摯に、時には彼らに質問を返しながら、ディスカッションしていく三島由紀夫。
「朝まで生テレビ」にありがちな、相手を言葉で凹ましたり、恫喝しようなどという、荒っぽい場面は一切ありませんでした。
この討論は、事実上、右翼対左翼という、全く違うベクトルを持った思想同士ののぶつかり合いということになります。
しかし、三島は終始余裕綽々。
感情的になることもなく、全共闘側にも時にはエールを送りながら、当意即妙に、時にはユーモアも交えて訴え続けています。
彼は、全共闘から売られた喧嘩を買いに来たのではなく、会場に集まった1000人近い学生を、たった一人で、本気で説得しに来ているというのが、この映画を見た僕の印象ですね。
「僕は、君たちの熱情だけは信じる。そして、自分の言霊だけを置いてここを去る。」
彼はそう言い残して、会場を後にしますが、その表情は晴れ晴れしているようにも見えました。
映画の最後で、しみじみとこういっている出演者がいました。
「三島由紀夫という人は無の人。それも、大虚無を抱えた人。」
文学音痴の百姓には、そう言われても、最初はピンときませんでしたが、よくよく考えてみると思い当たる節もあります。
これまで、マスコミで紹介されている彼の姿を見る限り、彼が自分のビジュアルというものを、相当意識している特異な作家ということはわかります。
こんな文学者はちょっと知りません。
ボディビルで鍛えた自らの肉体を公表したり、映画にも俳優として主演したりもしています。
自衛隊に体験入隊して、戦闘機に登場している映像なども、マスコミに公表。
そして、凛々しい制服姿の「楯の会」の行進なども、かなりビジュアル効果を意識しています。
三島由紀夫という作家の特異性は、小説だけではなく、自身の人生も含めて、その全てが一つの作品であったということ。
彼は、自分の中で膨らんでくる虚無に抗うかたちで、観念やイデオロギーよりも、言葉それ自体にこだわり、「美」というビジュアルに執着し続けたのではないかという想像です。
つまり、その全てが、実は、彼の中の虚無を埋めるために、彼が必要とした道具なのではなかったかということですね。
そう考えると、彼の最期は大いに納得がいきます。
三島由紀夫劇場の大円団として、あの自決は、彼が練りに練った戯曲のクライマックスだったのではないか。
彼はこのラストのシナリオを用意した時、作家としての自らの人生を、ビジュアライズし、この強烈な美学で飾れることを夢想し、自ら酔いしれていたのではないかという気がしてしてなりません。
もしかしたら、三島由紀夫は、この全共闘との討論の時には、すでに自らの人生のシナリオを書き終えていた可能性があります。
そして、あの自決は、彼の中の虚無を埋めるために、彼が考えに考え抜いた結論だったのかもしれません。
偉そうなことを言い過ぎました。
せめて、何か一冊くらいは、三島作品を読んでみることにします。
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