夏の夜はホラー映画。
さて、「呪怨 ザ・ファイナル」「シライサン」と見て、ややJホラーに批判的になってしまいましたが、やはりこの人のホラーは怖かった。
日本ホラー界のエース清水崇監督ですね。
彼は「呪怨」シリーズの生みの親ですが、そのシリーズのディレクションを後陣に譲って、ハリウッド映画に進出したり、「魔女の宅急便」の実写版を監督したりと、活動の幅を広げていましたが、またJホラーに戻ってきてくれました。
さあその、ホラーの天才が取り組んだのは「恐怖の村」シリーズ。
伽耶子も、白い少年俊雄くんも出ない新しいJホラーです。
その一作目が本作「犬鳴村」。
実際にある有名な福岡県の心霊スポット伝説を上手に掬い上げて、清水流にストリーをアレンジ。
極上のホラー映画を届けてくれました。
主演は、三吉彩花。
はじめてお目にかかる女優ですが、ストーリーを引っ張る若手俳優は、恥ずかしながらほぼ存じ上げぬ面々。
しかし、高嶋政宏、高島礼子、石橋蓮司、田中健、寺田農といった有名どころのベテラン俳優を脇に揃えて、映画をビシッと締めていました。
やはりこの監督の、ホラー演出にはセンスを感じます。
どんなに怖いモンスターを造形しても、見せ方がありきたりでこちらの想定内であれば恐怖は半減。
逆に見せ方次第では、なんでもないシーンに、ゾッとする恐怖を感じさせることも可能です。
その辺りの「ツボ」を、清水監督は憎いくらいに心得ていらっしゃる。
見ている側を恐怖に引き込むために、清水監督は、カメラを上手に動かしています。
頻繁に出てくるのは、移動撮影と長回し。
これを上手に使われると、見ている方は、彼の用意した「ツボ」に、まんまと引きずり込まれてしまいます。
「呪怨」シリーズでの、彼の演出も十分にセンスを感じましたが、ストーリー的には、短編の寄せ集めのような展開で、オムニバス的味わいでしたが、今回は、犬鳴村の悲劇をクライマックスを持ってくる堂々としたストーリーテリングを展開。
「ポルダーガイスト」や「ゾンビ」シリーズのハリウッド・テイストも踏襲しつつ、根底にあるおどろおどろしい精神世界は、きちんとJホラーの世界。
映画監督としても、確実に進化していました。
今まで星の数ほどホラー映画を見てきましたが、やはり印象に残る映画には、必ず新しいアイデアがあるモノです。
どんなに製作費をかけようと、ホラーファンは、一度学習した「恐怖」には、もう反応しなくなるもの。
「世にも怪奇な物語」の最終話で、白いボールを持って、こちらを向いてニヤッと笑う少女には悲鳴をあげましたが、明らかにこれのパクリを、その後何度も見ても、もうこちらがニヤリとなるだけ。
「エクソシスト」で、リーガンの首が180度回った時には、映画館の椅子から飛び上がりそうになりましたが、やはりこの演出は、もうこれで免疫ができてしまいました。
「悪魔のいけにえ」で、恐怖の館に迷い込んだカップルの男が、いきなりドアを開けて現れたレザーフェイスに、躊躇なくハンマーで頭を叩かれて、その場で足を痙攣させて悶絶するシーンには、それまでにホラー映画ファンとして培った恐怖演出のリテラシーを軽く飛び越える驚きの演出に、ゾゾっと身の毛がよだちました。
そして、結果これらの映画は、はっきりと記憶に残るわけです。
要するに、ホラー演出の一丁目一番地は「見せ方」の新しいアイデア。
これに尽きると思います。
だから、ホラー映画の傑作に、低予算の映画が多くなる乗る理由は理解出来ます。
「ブロア・ウィッチ・プロジェクト」然り、「パラノーマル・アクティビティ」然り。
要するに、製作費がないのだったら、アイデアで勝負という話になるわけです。
このマインドが、作る側に自然に出来てくるからでしょう。
低予算のホラー映画で名を上げて、大監督になっても、なぜか最初の映画の新鮮さは越えられないという監督は数多くいます。
ヒット監督になって、製作費を注ぎ込んで映画を作れるようになっても、二番煎じをやっていれば、それで恐怖がグレードアップ出来るというモノではないということです。
本作の演出に対して、清水監督は、明らかに、新しい恐怖演出を目指していましたね。
完全に、「呪怨」モデルは、捨てていたのはまずご立派。
そして「見せ方」の工夫と、新機軸は随所に見られました。
観客は、何をどう見せれば怖がるのかということを、感覚的に理解しているというのがこの監督のスゴイところ。
例えば、イラストのカット。
幽霊が、伽耶子やお岩のような形相で、ギョロリとこちら睨んでいても、それはこちらの想定内なので、案外怖くないもの。
それを、手をあんな風な合わせて、首をちょこっとかしげて立っているだけで、こちらはなぜかゾゾッとしてしまうわけです。
なぜそれが怖いのかといえば、それがこちらの想定外で、極めて不自然だからですね。
この「不自然」やら「違和感」というのは、人が感じる恐怖には、意外と貢献しているもの。
つまり、見たことのないものや、こちらの想定外に「不自然」なものは、もうそれだけで怖く感じてしまうということです。
究極のことを言えば、恐怖演出というものは真髄は、要するに、こちらの予想を裏切って、意表をつくこと。
これに尽きます。
この辺のツボを心得ているのが、この監督の真骨頂。
本作では、思わず声を出してしまったシーンが、個人的には3回ありました。
そんなシーンが一回でもあれば、ホラー映画としては、見る価値があると思います。
こんなホラー映画は、ここのところ見ていませんでしたので、こちらはもうそれだけで満足。「合格」のハンコをポンです。
まだ見ていない方は是非お楽しみに。
清水監督の次回作は「恐怖の村」シリーズ第二弾「樹海村」。
Amazon プライムではまだ有料コンテンツでしたが、こちらは急ぎませんので、また「無料会員特典」で見られるようになったら、ゆっくり楽しませてもらうことにします。
ちなみに、高島礼子のあのシーンは、必見かも。
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