台風模様の天気なので、本日は早朝から読書。
図書館から借りてあった一冊です。
著者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。
言わずと知れた児童文学の大ベストセラー「星の王子さま」です。
本書が執筆されたのは、1943年と言いますから、第二次世界大戦中のことです。
この時期、フランス人だった著者は、ナチスからの迫害を逃れるために、アメリカに亡命していたんですね。
この本が捧げられたのは、ユダヤ人として弾圧されたていた親友のジャーナリスト、レオン・ヴェルト。
献辞にはこう書かれています。
「子どもだった頃のレオン・ヴェルトに」
日本では、岩波書店が保有していた翻訳権が切れた2005年以降、大挙して新訳本が出版されましたが、今回図書館で見つけたのは、そんな中の一冊。
本編以外にも、関連資料や、著名人のコラムをパーケージし、とてもビジュアルな編集がされた一冊で、楽しく再読できました。
「再読」と書きましたが、はて、この有名過ぎる本を自分は過去にちゃんと読んでいたか。
ちょっとそんな不安が頭をよぎっています。
間違いなく覚えているのは、中学一年の時に、はじめてもらった「現代国語」の教科書の冒頭に、あの象を飲み込んだウワバミのくだりがあったこと。
著者自身が描いたあの帽子に見えるイラストは、しっかりと記憶に残っています。
教科書ですから、おそらく本編が全文掲載されていたわけではなく、その部分のみの抜粋だつたはずです。
ただ、その後の展開もうっすらとは記憶していたので、おそらくその後、図書室へ言って続きを読んだか。
あるいは、本屋だった実家の店頭へ行って、ちょっと拝借して読んだか。
もしかしたら、「世界の児童文学ベスト100ダイジェスト」のような本で、ざっとあらすじだけ記憶していた可能性もあります。
ちなみに、小学生の頃から、国語だけは成績が良かった(その代わり理科系は最悪)僕は、特に読書感想文が得意中の得意でした。
白状しておきますが、その当時僕が得意だったのは、実際にその本は読まずに、一丁前の感想文だけをちゃんと書くという裏技でした。
ちゃんと読むのは、前書きと後書き。そして、ダイジェスト版だけです。
それでも、そうやって書いた感想文は、そこそこ先生には評価されていましたので、多少の文才はあったのでしょう。本屋の息子の面目躍如ですね。
ですから、この歳になってみると、このクラスの文学の名著を、ちゃんと読んだかどうかの記憶が、かなり曖昧です。
そんなわけですので、畑に行けないこんな雨の日には、そんな無礼をしていた名著を、改めて読んでみようということにしたわけです。
さて、本書の主人公はパイロット。
彼は、飛行機を操縦中、サハラ砂漠に墜落してしまいます。
そして、そこで出会った王子様のような服を着た不思議な少年。
その王子さまの不思議な話を聞きながら過ごす一週間。
そして、別れ。
シンボリックなキャラクターたちと、王子の間で繰り広げられる、シンプルだけれど示唆に富んだ含みのあるエピソードの数々。
著者は、そんな素朴なやりとりの隅々に、大人の社会の矛盾や、戦争への痛烈な批判を忍ばせていきます。
「本当に大切なものは目では見えない」
有名すぎるくらい有名な、本書の中の最もわかりやすいメッセージがこれです。
このキラーワードが飛び出すのは、本書では中盤過ぎのキツネとのシークエンスです。
このキツネがなかなかいい味を出しているんですね。
王子は、自分の星に咲いた一本の薔薇と、些細なことで喧嘩をして、星を飛び出してきているんですね。
そのバラが、地球にはなんと五千本も群生しているバラ園がありました。
最初それを見た王子は、世界に一本だけだと思っていた薔薇が、こんなに咲いている光景にがっかりしてしまいます。
しかし、時間をかけて仲良くなったキツネにこう言われます。
「もう一度、見に行ってごらん。そのバラはきっと、今の君には違って見えるはずだよ。」
確かに、バラ園のバラは、王子には最初とはまるで違って見えました。
王子は五千本のバラたちに向ってこう言います。
「君たちはみんな綺麗だけど空っぽだよ。もちろん、僕のバラも、通りすがりの人から見れば君たちと同じように見えるかもしれない。でもあのバラは、君たち全部を合わせたよりも僕には大切な薔薇なんだ。だって、僕が水をやり、語り合い、守ったバラなんだから。」
そして、戻ってきた王子にキツネは、あの名台詞を言うわけです。
続いて、こうも言います。
「君が薔薇のために失った時間が、君のバラをかけがえのないものにしたんだよ。だから君には責任があるんだ。」
キツネにしては、なかなかいいことを言いますな。
もちろん、これは本書での屈指の名シーンですが、実は今回読んで痛く染み入ったのは、王子とキツネの出会いのシーンの方でした。
地球に来て寂しかった王子は、出会ったキツネに「遊ぼうよ」と声をかけます。
しかし、キツネは最初警戒します。
「いきなりは無理だよ。僕はまだ君になついてないからね。」
「どうすれば、なついてくれるの?」と王子。
キツネはこう言います。
「しんぼうするんだよ。最初はちょっと距離を置いて座る。僕はチラッと見るけど、君は何も言っちゃいけない。それからちょっとずつ距離を縮めていくんだ。」
これは、完全に見落としていましたね。
今なら、こう言われればかなりピンときます。
最初に読んだ時に、本書からちゃんとここを学習しておくべきでした。
今にして思えばこれは、悔やまれます。
子供の頃は、かなりオチャラケたキャラでしたので、友達作りには結構自信がありました。
いわゆる八方美人なので、気の合う友人とだけとつるむというタイプではなく、趣味などが合えば、多少ネクラで、付き合いづらいようなヤツでも、こちらから進んで、コミュニケーションすれば、誰とでも友達になれる自信はありました。
しかし、その頃は、このキツネが言うところの親しくなっていく「距離」の取り方というものがわかっていなかったようです。
最初は警戒しているはずの相手の心情など考えず、結構ズカズカと踏み込んでいったような気がします。
明るく、楽しく「君を気に入っている」ビームを炸裂させながら接近していけば、どんなやつでもすぐに友達になれると、勝手に思い込んでいた節がありますね。
もちろん、気が合えばそれであっという間に友達付き合いが始まってしまう実例も少なからずありましたが、今からして思えば、それが誰にも通用することではないということは知っておくべきでした。
普通に僕と友人付き合いをしながらも、自分以外にも、あちこちに友達を作り散らかしている僕に対して、内心では、警戒心を解いてはいないヤツもいたようです。
中には、明らかに向こうから、シャッターを下ろされてしまうということもありました。
当時はそれがわかっても、勝手に「去る者は追わず」なんて気取っていましたが、今から思えば、節操ない広い友人づくりは、どうやら「かけがえのない」友人作りには結びついていなかったという気もします。
王子が、キツネの言うことを素直に聞いて、少しずつ時間をかけて醸成して言った友情づくりの奥義を、実践できなかったのは悔やまれますね。
利害関係優先で、時にはたった一枚の名刺交換から、無理矢理人間関係を構築するようなサラリーマン時代を30年以上も過ごしてしまうと、その感覚は、さらに麻痺してしまっていたかもしれません。
ちゃんとかけるべき「時間」をはしょると、やはり「目に見えない大切なもの」には届かないということは、本書からきちんと学習しておくべきでした。
そして、王子との別れのシーン。
パイロットにとっては、すでに「かけがえのない」存在になっていた王子は、星に残してきたバラへの「責任」を果たすために、体は地球に残したまま、魂だけで星へ帰ろうとします。
王子がどう説明しても、「僕は君のそばから離れない。」と繰り返すだけの主人公。
頭の中では勝手に「E.T.」のラストシーンのジョン・ウィリアムスのテーマが流れ出して、久しぶりに本を読みながら不覚にも落涙。
ああ、なるほど。
ここでは二人の出会いのシーンが、見事な伏線になっていました。
突然現れた王子に、驚いたパイロットが何を聞いても、彼は「羊の絵を描いて。」繰り返すだけでしたね。これが別れのシーンでは逆転しているわけです。
著者は、しっかりとしたドラマ構成力も持っていました。
「あの空のどこかの星から、僕は君に笑顔を送るよ。そうすれば、君には、満天の星が全て笑っているように見えるよね。どう? 素敵でしょ。」
この最高のプレゼントを残して、王子様は星へ帰っていきます。
全世界200カ国で翻訳されているという本書。
この「星の王子さま」が内包するメッセージやテーマ性は、イデオロギーも、宗教も、時代も超えて様々な人間のコアな部分へ、今も昔も訴えかけている証とも言えます。
「この本を読み終えることは不可能。一度読み終えても、時が経てば、また後から追いかけてくる。」
そう言った人がいましたが、まさに至言。
まさか本書に対して、真面目なSF的ツッコミを入れる人はいないでしょうが、そこに巧みに仕込まれたメタファに対しては、今後も様々な説明や解釈がされていくのだと思います。
そして、その全てには、おそらく正解も不正解もありません。
ただ、それを語る者自身が、時代の鏡になっているだけです。
はい、今回はズルしないで、最後までちゃんと読ませていただきましたよ。
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