さて、昭和51年です。
高校の三年間は、部活動中心の、ほぼ変わり映えのしない日々でしたね。
酒やタバコはやりませんでしたが、バレーボール部の連中と、よく徹夜麻雀はしていました。
大負けはしないけれど、大勝ちをすることもない、案外実りのない麻雀をしていた記憶です。
チームメイトの中には、やたらとモテる奴もいましたが、僕はさっぱりでした。
女子と付き合った記憶はありません。
この年は、政治では、ロッキード事件で日本中が大揺れしましたが、高校生としては関心なし。
多少関心のある出来事としては、モントリオール・オリンピックがありました。
2月には、インスブルック冬季五輪もありましたが、日本人のメダリストはいなかった大会なので、こちらの記憶はあまりありません。
まだこの頃は、夏と冬のオリンピックが、同年に開催されていました。
モントリオール・オリンピックでは、なんといっても10点満点演技の女子体操ナディア・コマネチの印象が強烈。
日本勢では、男子体操鉄棒で、ムーンソルトの着地を決めて金メダルを獲得した塚原光雄選手は覚えています。
この頃一つだけ自慢だったのは、中学時代に少々体操をかじっていたので、普通にバク転、バク宙は出来たこと。
歌謡曲では、この年ピンクレディがデビューしていますが、大ブレイクしたのは翌年です。
記録的なヒットになったのは子門真人が歌った「およげ!たいやきくん」。
父親が異様にこの曲に惚れ込んでいて、「お前に、このペーソスがわかるか」などと言われたのを記憶しています。
なんだいそりゃ。ペヤングソース焼きそばのことか。
もちろん違います。
ちなみに、ペヤングは生涯で一体何杯食べたのかわからないほど好きなカップ焼きそばですが、これが初めて世に出たのは、この前年でした。
この年の歌謡曲で、今でも歌えた楽曲は、以下の通り。
なごり雪(イルカ)
哀愁のシンフォニー(キャンディーズ)
海その愛(加山雄三)
ぼくの妹に(加山雄三)
トラベリン・バス(矢沢永吉)
ペッパー警部(ピンクレディ)
春一番(キャンディーズ)
テレフォン・ノイローゼ(甲斐バンド)
沖縄ベイブルース(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)
すきま風(杉良太郎)
コバルトの季節の中で(沢田研二)
青空、ひとりきり(井上陽水)
ささやかなこの人生(風)
木綿のハンカチーフ(太田裕美)
山口さんちのツトムくん(斉藤こずえ)
以上全47曲
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