さて、昭和50年です。
年で追っていくと、僕は早生まれですので、この前年に高校生なっており、この年は
4月から高校二年になるという年ですね。
僕が通った高校は、当時の呼び方で言わせてもらいますと、浦和市立南高等学校。(現在はさいたま市)
我が母校は、とにかくサッカーで全国に名を馳せた学校でした。
あの当時の浦和は、街ぐるみでサッカー熱が高いところで、それがもちろん今の「浦和レッズ」のフランチャイズとなる下地にもなっています。
ちなみに、僕が南高に通った三年間は、まさに学校の歴史の中でも、最もサッカー部が強かった時代。
大阪の長居競技場で行われた全国大会では、三年間すべて優勝か準優勝(たしか)でしたね。
ちなみに、僕の通った大原中学校も、僕の通った三年間は全て優勝がらみでしたから、大変なものです。
当然ながら、サッカー部のレギュラーたちが、同級生にいるわけですが、やはりスター並みのモテ方でした。
今でもよく覚えている光景があります。
南高のバス停のある目の前が小学校なのですが、全国大会で優勝してきた後などは、そのバス停に小学生たちが、ズラリとサイン帳を持って並んでましたね。
しかしながら、僕はサッカー部ではなく、バレーボール部。
運動神経にはそこそこ自信はあったのですが、サッカーのセンスはありませんでした。
中学の時には、テレビの「柔道一直線」の影響で柔道をしていましたが、この時は、やはりテレビアニメらなっていた「ミュンヘンへの道」に感化された記憶です。
単純なのは、昔も今もそう変わりません。
練習は厳しかったのですが、全然強くなかったことだけは申し上げておきましょう。
県大会のベスト16が最高位だった記憶です。
部活動をやってしまうと、高校生活のほとんどはこれにとられてしまうので、あまり遊んだ記憶はありません。
但し、音楽だけは別。
ビートルズのオール・キャリアのベストアルバム赤盤青盤をヘビーローテーションで聴きまくっていた頃で、この延長で、やはり洋楽中心に聴いていました。その情報源は、ラジオの深夜放送。
ちょうど、カセットテープが巷に広がってきた時代ですので、レコードは買わずに、もっぱらFM放送をエアチェックしたり、友人のレコードを録音させてもらって、カセットの在庫をどんどん増やしていきました。
この頃には、フォーク・ソングから完全にニュー・ミュージックに移行していた時期でしたので、雑誌の付録の歌本を実家の店頭から拝借しては、暇な時はしょっちゅうギターを抱えて歌っていました。
ユーミンや小椋佳、グレープなどは、弟が購入してきたアルバムの方も聞き込んでいて、楽譜なども仕入れたりいたしましたので、シングルになっていない曲でも、歌えるものもそれなりにあるのですが、今回のカラオケ・トライはシングルになっているものだけといたしました。
この年のヒット曲で、覚えていたのは以下の通り。
あの日に帰りたい(荒井由実)
時代(中島みゆき)
サボテンの花(チューップ)
年下の男の子(キャンディーズ)
内気なあいつ(キャンディーズ)
卒業写真(荒井由実)
いちご白書をもう一度(バンバン)
その気にさせないで(キャンディーズ)
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウンタウン・ブキウギ・バンド)
今はもうだれも(アリス)
ロマンス(岩崎宏美)
ルージュの伝言(荒井由実)
無縁坂(グレープ)
シクラメンのかほり(布施明)
以上全43曲
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