孤狼の血
中学生、高校生の時は、どうすれば女子にモテるのかを、日々真剣に考えていましたね。
さいたま市(当時は浦和市)に住んでいましたので、まず肌で感じていたのは、サッカー部であること。
中学、高校共に、サッカー部は、全国大会常連の学校でしたので、学校の中でも、運動能力においてトップレベルの男子は、ほぼサッカー部所属という状況でした。
学校の美少女たちを、軒並みガール・フレンドにしていたのは、やはりサッカー部の連中でしたから、モテようと思うなら、サッカー部に入るべきでしたが、残念ながら、サッカーの才能は皆無。
中学時代は、当時のヒット・ドラマ「柔道一直線」に感化されて、柔道部の門を叩きましたが、耳が餃子になってしまうようななスポーツが、女子に注目されるはずもなく、これではマズいと気づき、高校になってからは、ジャンプ力には自信があると言う理由だけで、バレーボール部を選びましたが、県大会ベスト16がやっとのような弱小チームでは、サッカー部に敵うハズもありません。
中学においても、高校においても、選択したスポーツは、間違えましたが、女子にモテるために高ポイントになる条件は、何もスポーツだけではありません。
それは、「ワル」であること。要するに、優等生であるよりも、不良っぽい方が、女子にはモテるという法則に気がつくわけです。
しかし、そうは言っても、そう一朝一夕にワルになれるものではありません。
なんと言っても、こちらはその当時から、真性のオタクです。
趣味に邁進する生活スタイルは、今も変わらないのですが、やはりあの頃のオタク系男子は不遇でした。
今とは違って、陰気で、暗く、キモイというレッテルを貼られており、女子たちからは敬遠される存在でした。
このままではマズイと言うことは肌で感じておりましたから、オタクではありながらも、キャラとしては、努めてオチャラケを演じており、人が集まるところでは、盛り上げ役を買って出たりして、オタクの素性はひた隠しにして、「明るく」「楽しい」少年を、無理矢理演じておりました。
この努力は、少なからず女子からは認められていたようで、グループ行動をするときなどは声もかけられるくらいにはなっており、バレンタインデーには、本命チョコはいただけないにせよ、義理チョコであれば、お情け程度には、いただけるくらいの地位は獲得していました。
しかし、そんな努力も虚しく、小耳に挟む女子からの評判は、「面白い」とか「おしゃべり」とか「軽い」みたいなものばかり。
卒業式の時に、女子から制服のボタンをくださいと頼まれるようなモテ系には結局届かず、心の何処かで「自分には、何かが足りない」と悶々としておりました。
男子たるもの、女子から「友達でいようね」などと言われて、鼻の下を伸ばしているようでは、その先には進めないぞと危機感を募るばかり。
そこで、一念発起するのは大学生になってからです。
よし、イメチェンをして、一端の不良になってやろうとスイッチを入れたわけです。
いやいや、誤解のないように言っておきますが、本当のワルになるつもりはありません。
要は、ワルっぽく見えればいいだけの話です。
何事も、カタチからはいるのは、今も昔も同じ。これは、道楽にはまり込んでいくまでのステップと同じです。
その第一歩として始めたのが、まずは酒とタバコ。これは不良の必須アイテムです。
もちろん、高校時代の友人にも、喫煙家、愛飲家はいましたが、僕自身は、それを「美味しい」と思ったことはなかったので、手は出さずにいました。これは体質もあったかもしれません。
しかし、これなしでは、不良の入口には立てません。
タバコは、あの1980年代の初め頃、一番軽いタバコであった「ジャスト」という銘柄をマイアイテムと決め、それを常時胸ポケットに入れて通学。
講義を聞いている時間よりも、長く滞在していた喫茶店では、映画で覚えたハンフリー・ボガートの吸い方を意識しながら、二日で一箱くらいのペースでは吸っていましたね。
缶ピースやハイライトを吸っている友人たちには、「そんなのタバコじゃねえ」と言われたものですが、かまいません。こちとら、好きでタバコを吸っているわけではありません。
要は、モテればいいだけですから。
お酒の方は、ウイスキーに決めました。
あの頃はまだ、サワー系はまだあまりメジャーではなく、ビールか日本酒か洋酒でした。
味の差など分かりませんでしたので、大切なのは、ここでも飲んでいるカタチです。
やはり、男子として、一番絵になる飲み姿は、ウイスキーの水割りだろうと判断。
何かの映画で見た、ウイスキーの水割りに、タンプラーがわりに指をツッこんで掻き回す所作なども研究しつつ、ちびちびとやり始めたわけです。
残念ながら、飲むとすぐに赤くなるような体質でしたので、これでは女子は口説く実戦では使えません。訓練のために、サントリーのレッドは枕元に置いていましたね。
しかし、もともとが不純な動機で始めたことでしたので、結局酒もタバコも習慣化することはありませんでした。
双方とも、続いたのは大学の最初の二年間まででしたね。
そして、これと同時並行で取り組んだのが、ワルの喋り方や所作の習得です。
なにせモテたいだけが目的ですので、本気でワルになろうなどという気はありません。
そこで、教科書に選んだのが東映のヤクザ映画でしたね。
あの当時は、深作欣二監督のヒット・シリーズ「仁義なき戦い」が、名画座で、二本立て、三本立てで、安価で見られた時代。公開から、すでに10年程度経っていた頃です。
まだホーム・ビデオは、巷には復旧していなかったので、タウン情報誌「ぴあ」を片手に、ヤクザ映画の興行があれば、首都圏であれば、どこへでも出掛けていきました。
東映といえば、高倉健主演の任侠映画も一世を風靡しましたが、これにハマっていたのは、僕らよりもひと回り上の、いわゆる全共闘世代のオジサマたちです。
高倉健が見せてくれた世界は、いってみれば「仁義ある戦い」です。
任侠映画の世界では、男たちはみんな極道者なのですが、きちんと筋は通し、理不尽な扱いを受けても、ギリギリまで我慢をするような、男気のあるヤクザたちでした。
しかし、「仁義なき戦い」は違いましたね。このシリーズで描かれた世界は、そのタイトル通りに、お約束は、完全に無視した、グチャグチャで、血みどろの、修羅場ワールド。
義理も人情もへったくれもない、殺伐としたヤクザ世界でした。
飯干晃一の実録ドキュメントを原作にしたこのシリーズに命を吹き込んだのは、手持ちカメラをぶん回しながら、ブレブレ画面上等とばかり、徹底して、リアルで迫力ある映像を切り取っていった深作欣二監督の手腕。
極道のメチャクチャな生態が、これでもかと言うくらい出てくるので、これは参考になりました。
そして、なんといっても、広島弁のカッコ良さですね。
このシリーズを見てからは、ヤクザ言葉といえば、広島弁というイメージが焼き付いてしまいました。
菅原文太が、眉間にシワを寄せて、「山守さん、弾はまあだ、残っとるがよ」とか「サツにチンコロしたんはおどれらか」なんてニラミを聞かせるシーンには、とにかくシビレたものです。
広島の方には申し訳ありませんが、広島弁を聞くと、使っている人は、みんなヤクザに見えてしまうほどに、インパクトがありました。
このシリーズの主人公は、菅原文太演じる山守組幹部の広能昌三で、彼を狂言回しにして、シリーズは進行していきますが、彼も含め、登場人物の中に、正義のヒーローは皆無。
世間に背を向けたアウトローだけが群遊闊歩し、欲と保身にまみれた魑魅魍魎が跋扈するという群像劇です。
とにかく、あの当時の東映は、会社自体が、ヤクザ組織みたいなノリでしたので、俳優たちの、ヤクザっぷりもなかなか堂にいったもの。
アクのある俳優たちが、大挙出演しており、映画全般にわたる「凄みきかし」合戦のでやり合う顔芸の応酬は、見応え十分でした。
さて、そんな極道の世界を、映画を見ながら、学習した成果が、果たしてあったかどうかは、長い話になるのでここでは割愛。
昭和の時代には、東映の実録シリーズで、ヤクザ映画の面白さを堪能しましたが、平成の時代になると、トンとヤクザ映画は見なくなってしまいました。
「極道の妻」シリーズや、北野武の「アウトレイジ」シリーズ、Vシネマでは、相変わらず、ヤクザものは多く作られてはいましたが、これはほとんどスルー。
還暦を迎えた令和の時代になって、久しぶりに、ヤクザ映画を見てみようという気になりました。
Amazon プライムの、「最新追加映画」のなかに、「虎狼の血LEVEL2」がありましたので、これにしようかと思いましたが、やはり「2」があるなら、「1」を先に見るべきだろうと言うのが映画ファンの仁義。
「2」の宣材写真にあった、なりきり役者鈴木亮平の怖そうなヤクザっぷりにも、かなり食指は動いたのですが、その楽しみは後日に譲るとして、まずは2018年に製作された一作目を選びました。
原作は、柚月裕子という女性作家が書いた警察クライム・ノベル。
Wiki してみると、彼女は東映ヤクザ映画のファンだっと書いてありましたから、もちろん「仁義なき戦い」シリーズは、十分にベースにしていたと思われます。
それが如実に表れているのが、舞台を広島に設定していること。
時代こそ、昭和63年にしていますので、まるまる「仁義なき戦い」ワールドというわけではありませんでしたが、やはり登場人物たちのセリフが、当然ながら広島弁になるところは、ポイントの高いところ。
おそらく原作者も、広島弁のヤクザ映画には、こだわりたかったところだったかもしれません。
主演は、今をときめく松坂桃李。
今のところ、映画館で鑑賞した最後の映画となる「新聞記者」にも主演していました。
彼が演じる県警本部から呉原東署に配属されたエリート刑事日岡は、なかなか正義感あふれる熱血漢。
空手有段者ですが、捜査の現場では使わないとの信念があったりします。
主演のキャラとしては、申し分ありませんが、実はこういうキャラは、かつての「仁義なき戦い」には登場しません。
そして、日岡とバディを組まされるマル暴のベテラン刑事大上に、役所広司。
違法捜査も厭わないかなりヤバい刑事なのですが、どんな役をやるにせよ、この人が演じていると映画が、グッとしまるあたりはさすがの貫禄オーラ。
ベテラン刑事と新米刑事のバディ映画というと、僕のようなクラシック映画ファンならば、すぐに黒澤明監督の「野良犬」が浮かんできますが、原作者がそれを意識したかどうかは不明。
最近では、人気ドラマ・シリーズの「相棒」などもありますが、これは見たことがありません。
この刑事コンビがメインとなるストーリー展開ですので、本作は、「仁義なき戦い」よりは、むしろ「警察対組織暴力」という、同時代に製作された実録シリーズに近い物語設定ですね。
菅原文太は、この映画では暴力団担当の刑事を演じていますが、こちらも暴力団との癒着上等なかなり危ない刑事で、暴力団組長の松方弘樹とは盟友関係。
ほぼ、「仁義なき戦い」と同じキャスト、同じスタッフで撮影されていて、記憶はかなり混同しております。
洋画では、「ダーティ・ハリー」が大ヒットした後でしたので、機を見て敏な東映が、アウトロー刑事モノは当たると判断したのかもしれません。
広島といえば、ヤクザ映画のイメージが強いのですが、ヤクザ映画の舞台となるのは、ご当地広島にとってはあまり好ましいことではなかったらしく、「仁義なき戦い」の新シリーズ撮影時には、ロケ地を締め出されというトラブルも続出したようです。しかし、本作では、そのあたりには十分配慮したストーリー展開にし、ロケ地とは良好な協力関係を結んで、映画は撮影されたようです。
ヤクザ映画も、50年の歳月を経ると、演出も様変わりして当然ですが、役所広司と、敵方暴力団会長を演じた石橋蓮司の最後のあのカットにはビックリ。
あれは、血飛沫が飛び交ったあの当時の、東映ヤクザ映画でも見られなかった強烈なシーンです。
是非映画を見てご確認を。
但し、俳優たちのヤクザ演技は、やはり昔の俳優の方がサマになっている気がしました。
志賀勝や川谷拓三のような、どこからどうみてもヤクザにしか見えないような強烈な脇役は、本作にはちょっと見当たりません。
おそらく、今回キャスティングされた、俳優たちも、東映ヤクザ映画はそれなりに研究して、役作りをしたと思われますが、一番それを感じたのは、加古村組の若頭・野崎を演じた竹野内豊。
彼の役作りは、完全に、「仁義なき戦い」シリーズで、千葉真一が演じたクレイジーなヤクザ大友がモデルでしょう。
さすがに、天下の色男に、「言うたらアレら、○○○の汁でメシ食うとるんど」までは言わせていませんでしたが、そのイッちゃってる演技は、かなり千葉真一に寄せていました。
実録ドキュメントと銘打ったのが、「仁義なき戦い」でしたが、こちらはクライム・ノベルが原作です。
主人公の成長や変貌、そして、ベテラン刑事の真の姿に迫ってゆく起承転結のある展開は、小説がベースになっている本作に、白石和彌監督の吹き込んだ新たな魅力かもしれません。
映画で楽しませてもらう限りにおいては、やはりヤクザ映画は面白い。
今更モテたいもへったくれもない年齢にはなってしまいましたが、アウトロー達の生き方も、人間作りの味付けとして、色々と参考になる点はありますね。
最後に一言。
真木よう子はイロっぽかった!
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