安倍晋三元首相襲撃事件
7月8日の午前11時半ごろ、安倍晋三元首相が、近鉄大和西大寺駅前において、選挙応援演説を始めた直後、背後に忍び寄った男の凶弾に倒れ、亡くなりました。
参議院議員選挙の投票日2日前、安倍晋三氏の演説を聞こうと、多くの人が集まっている白昼に、堂々と行われた犯行です。
この惨劇は、そこに集まっていた人たちの多くのスマホにより撮影されていました。
警備の隙をつくように、背後から安倍首相の10mくらいまで接近した犯人が隠し持っていた銃から爆音と共に発射された1発目に首相が振り返った瞬間2発目が発射。これが安倍元首相に命中。
安倍氏はうずくまるようにその場に倒れ込み、心肺停止の状態で奈良県立医科大学附属病院に救急搬送されましたが、午後5時3分に死亡が確認されました。
安倍晋三氏を撃った男は、すぐにその名前が公表されました。
奈良県在住、山上徹也41歳。元海上自衛隊員で、安倍氏を襲った銃は彼の自作だったとのこと。
直後、取調べの結果、警察から発表された情報によれば、犯行の動機は、安倍氏に対する政治信条への恨みではないこと、そして「ある特定の宗教団体」のメンバーを狙おうとしたが、難しかったので、安倍元総理に変更したと公表されました。
安倍氏の選挙応援演説の予定は、ネットでチェックしていた形跡がある。
公表されている事件の概要は以上の通り。
作文オタクとしては、将来必ず教科書に載るであろうこの大ニュースを聞いて、「なにか」書いておこうという気になり、個人的に信頼できそうなYouTube動画(テレビは見ないので)を可能な限りチェックしていたのですが、次第にこれはちょっと迂闊なことはかけないぞと言う思いになってきました。
それは、もしこの事件の裏に、安倍氏側にとっての「不都合な真実」があった場合に、それが正確に国民に公表されることはあるのだろうかという疑問です。
憲政史上最長となる総理大臣連続在位日数記録を持つ安倍氏が、日本政界に君臨していた8年間で、日本の政治は、嘘、隠蔽、改竄が当たり前に幅を効かすデストピアになってしまっていたことは明白な事実です。
過去のどの政権においても、多少はそう言う一面はあったかもしれませんが、彼の政権においては、これが顕著であり、さまざまなスキャンダルに繋がっていました。
彼の在位時代の経済政策アベノミックスは名前だけで、実績に乏しく、掛け声だけの対ロシア外交や、北朝鮮との拉致問題も一歩も進展することはありませんでした。
しかし、この政権は、その権力は維持することと、選挙に勝つスキルだけは突出してしいました。
人事権を掌握して官僚たちを意のままに操り、恫喝と懐柔によりマスコミを支配してきた安倍政権は、その強圧的な政治手法で、同調するものだけを登用し、反抗的なものを徹底的に切り捨てる手法で忖度ワールドを築き上げ、永田町に一大権力機構を作り上げてきたのはご承知の通り。
その権力が強固になれば、「絶対的政権は絶対的に腐敗してゆく」という法則通りに、彼らは自分達にとって「不都合な真実」には蓋をし、嘘をばら撒き、それを正当化させるためには改竄までさせ、国会において、現役総理大臣として虚偽答弁を118回も繰り返しながら、それでも国民の無関心と、野党の不甲斐なさに助けられ、その権力を延命してきました。
マスコミだけではありません。
その権力掌握の魔の手は、長期政権が続く中で、司法や警察機構にも及んでいます。
法律を都合いいように解釈して、三権分立の枠組みを破壊し、自分達の息のかかったイエスマンたちを巧みに送り込んでいったわけです。
こうして、盤石に築き上げたその王国の中で、我が世の春を好き放題謳歌していたのが安倍晋三元首相でした。
「桜を見る会」「森カケ問題」「公文書改竄問題」と、どれを取り上げても、彼が起こした問題は、それが発覚した後も、核心の部分は隠蔽され、嘘でデコレーションされ、警察や司法の手からは、いまだに逃れ続けています。
そして、これを伝えるべきマスコミも、本来の使命を忘れ、忖度することで、政権のご機嫌を伺う、御用メディアに成り下がっています。
そして、首相の座からは降りたとはいえ、自民党政権のトップに、未だ君臨し続け、その中心に居座る安倍晋三氏が、図らずも命を落とすことになったのが今回の襲撃事件。
現行犯逮捕された犯人は、警察に身柄を拘束され、現在は「あちら側」の管理下で取り調べを受けています。
その状況の中で、事件の動機などについての犯人の供述が、正確に伝えられるのかは疑問です。
そこに、安倍氏や政府に対する忖度は、働かないのか。
案の定、事件を受けての奈良県警の記者会見は、実に歯切れの悪いものでした。
安倍氏への恨みにもつながる「ある特定の宗教団体」の名前も伏せたまま。
これは、その後に「統一協会」自身が、記者会見を開いて、事件との本質的関わりについて否定しましたので(真偽は別にして)、すでに名前を隠すこともなくなりましたが、名前を公表しなかった理由に、政権に対する忖度が働いていたことは間違いありません。
マスコミも同様です。
テレビは見ないので、これもネットからの情報ですが、民放各社は、一斉に安倍総理の追悼番組を、ズラリと並べていたようです。
もちろん、コメンテーターたちは、「特定の宗教団体」については、判で押したようにぼかしたまま。あるいは、しらばっくれたまま。
番組内容も、功罪ある安倍政権の、罪の部分は捻じ曲げ、功の部分をひたすら強調するものばかり。
死人に鞭打つことをよしとしないのが日本人の気質なのかもしれませんが、長いわりには実績に乏しかった安倍政権のレジェンドを恣意的に作り上げ、その人柄も持ち上げるような内容の番組ばかりだったそうです。
だとすれば、今後この件に関して、既存のマスコミから、この事件におけるアンタッチャブルな真実が報道されることは、果たしてあるのか思われるわけです。
選挙戦の真っ只中で行われたこの凶行。
政治関係者は、もちろん安倍氏の非業の死を表面では悼む顔をしながら、言葉巧みに、政治利用することを考えているように見えます。
今のところ、犯人の動機については、怨恨からというのが濃厚な状態ですが、高市早苗政調会長は、この事件を選挙に都合のいいように「政治テロ」と決めてかかっていましたし、マスコミにも、この事件を「暗殺」事件と表記しているニュースが目につきます。
「暗殺」と言うのは、その背景に政治的理由があるときに使うのが約束になっている言葉。
この犯人は、しっかりとした殺意と計画性を持って、襲撃を実行していますが、それは「政治的信条」からではなく、統一教会に人生を狂わされた私怨が動機だと、はっきり語っているので、少なくとも本件に関して「暗殺」という物言いは当たらないはずです。
安倍氏の襲撃事件の報を聞いて、真っ先に脳裏をよぎったのが昭和35年に、当時の社会党委員長だった浅沼稲次郎が、安倍氏と同様に、演説中の壇上で、山口二矢という右翼青年に刺殺された事件でしたが、山口は逮捕後、明確に反共主義の立場から天誅を下すという意思表示をしていました。
残念ながら、安倍氏は、リンカーンやケネディ、ガンジー、日本で言うなら、犬養毅、高橋是清、伊藤博文などのように、政治テロに命を落とした歴史上の政治家たちとは並べられないのかもしれません。
とにかく、これだけの事件になれば、様々な立場の人が、自分たちの思惑に沿って、事件を利用しようとすると思われます。
マスコミの報道も、テレビのコメンテイターの発言も、よほど眉に唾をつけてかからないと、真実からはそっぽを向かれてしまう気がするわけです。
おそらく、今後さまざまなガセネタや陰謀論が飛び交うでしょう。
僕自身も含めて、このネット依存時代の無責任にものを言える人たちにとって、これほど美味しいネタはないからです。
そんな状況の中で、知られたくない側にとっての不都合な真実は、我々の目に晒されることはなく、またマスコミにもリスクを冒してまで、真実を報道しようとする気概はなく、我々の知りたい事実は、そんな忖度の海の底深くに沈んだままになる可能性は大です。
都合よくアレンジされた情報に右往左往されることなく、玉石混合の情報の中から、より真実に近いものを感知するセンサーが、我々には必要なのかもしれません。
個人的には、嘘や隠蔽や忖度を、政治の世界において常態化させたのが安倍氏の最大の罪だろうと思っています。
この渦に巻き込まれないようにするためには、まず耳障りのいい情報や、ご都合主義がみえみえの情報は、疑ってかかること。
少なくとも、現時点において、亡くなった安倍氏を賛美するような報道には、故人への弔意は示しつつも、眉を顰めておく必要はあると思います。これはあくまで「お約束」の儀礼と静観するべきでしょう。
この事件をきっかけに、安倍氏に対しての批判が封印されてしまっているという空気感はあります。
僕自身も、日本人の一人として、この人の罪は、きちんと司法の手によって解明され、然るべきジャッジをされるべきだと思っていたので、こんな形で全てがうやむやになってしまうことは残念でなりません。
もちろん、悪戯に故人を貶めようという気はありません。
しかし、それはそれ。これはこれ。
安倍晋三氏の死によって、全ての闇に蓋がされるのではなく、願わくば、この事件が、全ての真相が明らかになるきっかけになることを祈るばかりです。
とにかく、この日本において、首相経験者が、白昼堂々と撃ち殺されるという、誰もが想定し得ない事件が起こったことは紛れもない事実です。
しかし、気がつけば、いつの間にか、こんな事件が起こっても不思議ではない国になっていたこともまた事実。
今はまだはっきりと見えてはいませんが、将来になって振り返ったときに、この事件が、あらゆることが変わってゆく分岐点になっていたと気づく時が来るかもしれません。
改めて、安倍晋三氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
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