陸軍 1944年松竹
日本で終戦記念日というと、天皇の玉音放送がラジオで流れた8月15日ということになりますが、アメリカでは、戦艦ミズーリ号の甲板にて、日本の全権大使である重光葵が、降伏文書に調印した本日9月2日のことを指しますね。
先の大戦から既に77年の歳月が流れていますが、それでもこの時期になると、各メディアはお約束のように、戦争特集を色々な形で組んでくるので、すでに戦争を知らない世代が、人口の大部分を占める時代になっても、戦争と平和に対する関心は、それなりに高まる時期ではあります。
戦争映画も、この時期に合わせて特集が組まれることが多いのですが、衛星放送の映画放送を自動録画してあったブールーレイ・デッキを久しぶりにチェックしてみたら、思いがけない戦争映画が録画されていて嬉しくなってしまいました。
昭和19年に製作された「陸軍」という映画です。
監督は、これが4作目となる名匠木下恵介。
黒澤明と並ぶ、日本映画界の大御所で、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」「野菊の墓」など、日本映画史に残る傑作を数多く残している大監督です。
その木下監督が、まさに第二次世界大戦真っ只中に、そのタイトルが示す通り日本陸軍の依頼により製作した、当時の日本の国策に準拠した戦意高揚映画です。
派手な戦闘シーンがある作品ではありませんが、日露戦争以降からの親子三代にわたる一家の姿を通して、銃後にあるべき家族の意識を鼓舞する目的で撮られた作品です。
戦意高揚映画ですから、父親の笠智衆は、子供たちに向かって軍人勅諭を諭したりするシーンもあるわけですが、そこはホームドラマの名手木下恵介。
一家の母親役を演じる田中絹代の名演もあって、「お国のために」というよりも、むしろ親子の情愛の方が前面に溢れ出る演出になっています。
戦時中における国民意識を高めるのが目的の、戦意発揚映画に名作なしというのは常識ですが、本作がそんな中にあって、映画史上で今も尚評価されるのは、ひとえにそのラストシーンにあります。
息子の出征を明日に控えた晩、息子は母の肩を揉みながら、一家は団欒の時を過ごします。
翌日出征のパレードが、大通りを行進していきますが、母親は、「別れを昨夜済ませた」と家に残り、何かの想いを振り払うように、忙しく家事に励みます。
しかし、ふと目眩を起こし、座り込むと、母親の口からこぼれたのはあの軍事勅諭。
(このシーンの田中絹代の演技は圧巻)
何かが母親の脳裏に去来し、彼女はいてもたってもいられなくなり、行進の歓声が湧き上がる大通りに向かって走り出します。
大勢の人々が日の丸を振って、出征兵士を見送る列の中を、母親は我が子の姿を必死で追い求めます。
そして、やっと息子の姿を見つけて、思わず声をかけるのですが、カメラはこれを延々と移動撮影で追いかけ続けます。
最後は群衆の中で倒れ込み、行進していく息子の後ろ姿に合掌する母親の姿を映して映画は終了。
このラスト10分で、セリフは「シンタロウ!」という息子の名前を呼んだ母親の一言だけでした。
ここに、軍部から依頼された国策映画であるにもかかわらず、木下恵介監督が映画監督としてのプライドと確固たる信念をかけて忍ばせた反戦メッセージがあるのは明白。
本作が、後世においても名作と評価される理由は、ひとえにこのラストシーンの撮影と田中絹代の名演技にあるわけです。
これを見たかったんだよなあ。
この映画の情報は、これまでも木下恵介に関する書籍を読み漁っていましたから、知識としてはあったのですが、なかなか見る機会に恵まれませんでした。
それが今回、図らずも、自宅のブルーレイデッキに、ノーカットで録画されていたのはラッキーでした。
確認したら、この映画のラストシーンだけなら、YouTube でも見られますので、興味のある方は探して見てください。
権力に押さえつけられても、ただでは迎合しない木下恵介監督の気骨が窺い知れると思います。
本作は、見方によっては、忖度するものが得をしてしまうのが当たり前の今の世の中に対するカウンターパンチのような映画になっていると考えることも出来るかもしれません。
本作を撮った後、木下監督は、案の定「女々しい」と軍部に睨まれ、以後終戦まで、映画を撮る機会を奪われてしまうことになります。
この時、木下監督はキッパリとこう言っています。
「息子に、立派に死んでこいなどという母親はいない。」
彼は「自分の作りたい映画を作れないなら意味がない」と、メガホンを置き、松竹に辞表を叩きつけて、静岡の実家に戻ってしまいますが、この辺りの経緯は、ずっと後の2013年に、若き原恵一監督が「はじまりのみち」として映画化しているそうなので、こちらも機会があれば見てみたいところです。
本作と同じ時期、黒澤明監督も、国策映画として「一番美しく」を撮っています。
黒澤監督は、軍部が睨みを効かせている中、この作品を軍需工場で働く女子挺身隊のスポ根ドラマとして演出し、映画から上手に国策プロパガンダ色を排除しています。
やはり名監督と言われる人は、どんな時代にあっても、一本芯が通っています。
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