第9作「男はつらいよ 柴又慕情」1972年松竹
さて、シリーズ第9作目です。
いよいよマドンナには、吉永小百合が登場。
終戦の年生まれの彼女は、本作公開時27歳ということになります。
吉永小百合といえば、やはり日活の清純派女優のイメージが強烈で、浜田光夫とコンビを組んだ一連の作品群で、サユリストと言われる熱烈な固定ファンをハートを掴んでいました。
彼女の青春映画に、サユリストたちが胸躍らせていた60年代は、残念ながらこちらは、まだ怪獣特撮映画一筋の小学生でしたので、吉永小百合に対する思い入れというのは、実はあまりありません。
但し、「いつでも夢を」「勇気あるもの」は子供心にも好きな曲でしたので、レコード歌手としての彼女の方がより身近であったかもしれません。
ちなみに、我が実家は本屋でしたが、この頃はなんとレコードも売っておりました。
彼女の映像作品として記憶にあるのは、「青春の門」くらいですね。
「キューポラのある街」「愛と死を見つめて」「ひめゆりの塔」といった、彼女の代表作も、恥ずかしながら未見です。
日活は、この頃には、すでに「にっかつロマンポルノ」に舵を切っていましたので、当然ながら、彼女はこの古巣を離れ、清純派女優から脱皮すべく、新境地を開く作品を模索していたはずです。
「大人の女優」を目指していた吉永小百合にとっては、本作は転機となる一本であったかも知れません。
そして、本作の「大物枠」には、宮口精二をキャスティング。
「七人の侍」では、寡黙な剣豪久蔵を演じてシビれさせてもらいましたが、今回は吉永小百合の父親役です。
さて、急逝した森川信に変わって、二代目おいちゃんを演じる事になる松村達雄の登場となるのが本作です。
彼は、第6作で、柴又のちょっとスケベな開業医役を演じていましたから、このシリーズではすでにデビュー済み。初代おいちゃんとの共演も果たしています。
浅草軽演劇出身の森川信のようなコミカルな立ち回りはない代わりに、リアルな台詞回しには定評のあった松村おいちゃんは演技力勝負。
まずは、ドラマ時代から、森川信が命を吹き込んできた鉄板の「おいちゃん」像に、二代目が違和感なく馴染めるかどうかですね。
違和感といえば、「あれ?」と思ったのが、博とさくらの愛息満男ですね。
満男は、第1作目のラストで、生まれたばかりの赤ちゃんとして登場して以来の皆勤賞。
クレジットでは、一貫して「中村はやと」になっていて、その成長の様子が、本シリーズの時間軸を体現していました。
セリフこそありませんが、本シリーズのれっきとしたレギュラーです。
その満男が、本作ではオカッパ頭になっていて明らかに別の坊やでした。
Wiki してみたら、「沖田康裕」となっており、但し書きでは「本作のみ」とのこと。
何か事情があったようです。
満男役は、ご存知の通り、第27作めから吉岡秀隆が演じることになりますが、本シリーズのように、ギネス記録に載るほどの長寿シリーズに成りますと、レギュラー陣を変えざるを得ないような場合などは、山田監督も「違和感」には、かなりの「気遣い」をしただろうと拝察いたします。
さて、ここまでシリーズを続けて見てきて、ちょっと気になり始めた女優がいます。
レギュラーというわけではないのですが、毎回ワンシーンだけチョイ役で出てくるオバさんがいるんですね。
もちろん、毎回違う役です。ちゃんとセリフもありますので素人ではないのはわかります。
「谷よしの」という人です。Wiki してみたら、戦前から映画出演しているれっきとした松竹専属の俳優でした。
この人が今回はどんな役で、映画に出ているかというのが、このシリーズを通じてだんだんと楽しみになってきました。
自分の映画には、かならずワンシーンだけ登場するヒッチコックを見つけてニヤリとする、あの感じです。
前作では、とらやに花を売りに来る行商のオバさんでした。さて、今回は・・
さて、本作のアバン・タイトルは、第2作、第5作目以来の夢のシーン。
ここから、本シリーズ恒例の冒頭の夢のシークエンスが、恒例になっていきます。
漁村のボロ屋に住む夫婦が博とさくら。
非情な借金取りにから一家を救うヒーローが寅次郎です。
この悪漢の親分を演じていたのが、前作の冒頭で登場した「坂東鶴八郎一座」の座長を演じた吉田義男。
彼は、以降のシリーズにおいて、「夢のシークエンス」の常連になっていきます。
夢から目覚めた寅がいるのは、今はもうすでに廃線になっている石川県尾小屋鉄道金平駅の寂れた駅舎。
このシリーズには、だんだんと姿を消していく日本の原風景をしっかりとフィルムに記録していくという明確なポリシーが感じられます。
名カメラマン高羽哲夫が切り取る風景は、まるで一幅の絵画のよう。
特に、ローカル鉄道を上手にフレーム枠に納める構図は、そのまま絵葉書になりそうです。
本作では、北陸の名所がロケ地に選ばれています。
さて、タイトル後は、いつもの通り、寅次郎ととらやの面々による柴又里帰り騒動。
とらやの入口には「貸間あり」の札がぶら下がっています。
さくら夫婦が一軒家購入を検討していることを知ったおいちゃんたちが、いくらかの足しにでもなればと発案したことです。
しかし、こんな時にいつも帰ってきてしまうのが寅さん。
入口の札を見て、ヘソを曲げた寅次郎は、「住むとこくらい、自分で見つけらい」と、その足で不動産屋へ。
ああでもない、こうでもないと注文をつけているうちに、不動産屋のハシゴになります。
最後に、家は古いが格安の物件と案内されたのが、なんととらやの二階。
それでも、手数料を請求しようとする不動産屋とのスッタモンダの末、とらやは険悪ムード。
博とさくらに向かって、その勢いで「家を持つなんて10年はえーよ」なんてやってしまったものだから博のさくらの目には涙です。
ことここに至って、やっと自分の暴言を反省する寅は、また一人旅へ・・
さて、金沢を仲良く旅する短大同期の三人のお嬢様たち。
その一人が、兼六園でため息をつきながら、こんなことをいっています。
「ディスカバ・ジャパンかあ。どこへいっても同じね。」
ありましたね。ちょうどあの頃、当時の日本国有鉄道が、万博終了後の客足確保の個人旅行推進キャンペーンとして、大々的に宣伝していました。
永六輔が全国を旅する「遠くへ行きたい」なんていう紀行番組はよく覚えています。
この三人娘の一人が吉永小百合演じる高見歌子。
このセリフをいいながらため息を漏らしていたのが、すでに結婚が決まっていて、最後のアバンチュール旅行のつもりのみどり。
演じているのは高橋基子で、この人は女優というよりも、ラジオのDJ・モコちゃんの印象が強いですね。
FM東京の「マクセル・ユア・ポップス」はよく聞いていました。
モコ・ビーバー・オリーブとしてレコードも出していて、「わすれたいのに」は好きな曲でした。
さて、一方の寅次郎も北陸で商売をしています。
第5作「望郷編」以来の舎弟・登(津坂匡章)と旅館でバッタリと出会い、二人は大盛り上がり。
この部屋の向かいの部屋に泊まっていたのが三人娘。
うるさくて寝られないので、フロントに電話しますが、いましたいました。
今回の谷よしのは、この旅館の女将として登場。
寅たちがどんちゃん騒ぎをしている部屋に、苦情の電話入れるという役どころ。
それでも、騒ぎは治らないので、娘たちは「静かにしてください!」と怒鳴りつけますが、まだここでは顔合わせはありません。
ちなみに、登は翌朝、寅に置手紙を置いて旅館を出発してしまいますが、このシリーズを続けて見てくるとピーンときますね。
「これは、ラストでまた偶然バッタリ」のための伏線だなと読めます。
さて、三人娘と寅の出会いは、福井の京福電鉄京善駅近くにある味噌田楽を出す店戸枝屋。
ここでいつもの通りエエかっこをする寅次郎に、娘たちは最初は遠巻きに様子をうかがっています。
味噌田楽をご馳走になった三人は、寅に頼んで店前で記念写真撮影。
ここで寅の天下の宝刀が繰り出されます。
このシリーズでは、たびたび登場する寅次郎必殺のギャグ。「バタ〜」ですね。
一瞬寅の顔をジッと見た歌子とみどりは、こらえきれずに抱き合って笑い転げます。
寅と歌子たちの距離が一気に縮まった瞬間です。
ちなみに、実際の撮影では、「ここが肝」と思っていた山田監督は、歌子役の吉永小百合に対して、この「こらえきれずに吹き出す」演技が自然に出来るようになるまで、何度もテイクを重ねたそうです。
意気投合した娘たちと一緒に、寅は仕事もほっぽり投げて北陸観光。
東尋坊には、この映画が撮影された数年後に僕も訪れています。叔母の実家が福井だったので、この周辺はいろいろと案内してもらいました。
おそらく、寅次郎御一行様の観光ルートと、かぶるところもあったと思います。うん、懐かしい。
もちろん、楽しい旅にも終わりは来ます。
東京に帰る三人と寅次郎の別れは、京福電鉄東古市駅。この駅は今も健在ですが、駅名が「永平寺口」になっていますね。
別れを惜しむ三人に、寅も寂しさを隠しきれません。
歌子から記念にと、木製の鈴を受け取ると、思わず「三人で何かうまいものでも」とお小遣いを渡してしまう寅。
歌子たちとの楽しい旅の思い出は、寅の胸にも深く刻まれることになります。
旅を終え、自宅に戻る歌子。
自宅では、小説家の父親(宮口精二)が、口をへの字に曲げて、原稿用紙に向かっています。
楽しかった北陸路での歌子の笑顔は嘘のように消え、重苦しい空気が漂います。
その理由は・・
寅は柴又へ戻ってきました。
前回の気まずい騒動があったので、帰りにくいと思いつつも、江戸川土手を歩いていると、なんと北陸で出会ったみどりとマリにバッタリ。
北陸旅行中での寅の話に散々出てきた葛飾柴又だったので、もしかしたら、ここに来たら、寅さんに会えるかもしれないと訪ねたのこと。
この故郷には、もう30年も帰っていないと話を盛っていた寅は、引くに引けず、二人に手を引かれてとらやへ。
ついこの間、大喧嘩をして出て行ったばかりの寅を、娘たちに「驚かないでください。あなたの甥子さんが30年ぶり帰ってきたんですよ。」と紹介されておいちゃんたちは開いた口が塞がりません。
すぐに寅の嘘はバレてしまい、笑い転げる一同。
あれから歌子は、ことあるごとに「寅さんに会いたいなあ」と漏らしているという話を二人から聞くと、寅にいつものスイッチがカチリと入ってしまいます。
歌子のことが気にかかる寅は、それとなく二人に聞きます。
わかったことは、歌子の両親は離婚していて、今は父の面倒を歌子が見ているということ。
北陸での記念写真の美しい歌子を見て、ちょっと不安そうに、寅の顔を見つめるさくらがいます。
数日後、二人から話を聞いたという歌子が、突然とらやを訪れます。
そこに、寅が戻ってきて、二人は北陸路以来の再会。
一気にテンションが上がり、有頂天になる寅。
しかし、一旦スイッチが入ってしまった寅は、いつもの軽妙な調子はどこへやら。
この若き美女の訪問にしどろもどろです。
そこに、救いの神のさくらが戻ってきて、とらやの一同が揃うと、やっと寅もペースを取り戻します。
次から次へと出てくるおばちゃんの手料理で、歌子をもてなすとらやの面々。
何も知らない歌子が、寅に聞きます。
「寅さん、どうして結婚なさらないの?」
これには、どうにも答えに窮する寅。
一同は、これまでの事情を知っているだけに、寅のすっとぼけた返答に、笑いをこらえるのに必死です。
結局我慢は限界を超え、きつねにつままれたような顔をしている歌子の前でついに爆発。
とらやは笑いの渦に。
寅と歌子の出会いのシーンもそうでしたが、このあたりの演出のツボを、山田監督はよく心得ているなとつくづく感心してしまいます。
もちろん、芸達者な渥美清の芝居に依るところも大きいのですが、気がつけば、見ているこちらも、とらやの面々と一緒になって相好は崩れっぱなし。
見事に山田マジックにやられています。
さくらと一緒に、柴又駅まで歌子を見送る寅。
二人になにか言いたげな歌子の様子をさくらは感じ取っていました。
それでも、「本当に来て良かったわ」とだけ言って、やってきた電車に乗り込む歌子。
「またおいでよ」と歌子に何度も声をかける寅に、さくらはちょっと心配そうです。
そして、寅に来るべき運命をすでに予見しているとらやの面々も、お花畑モードの寅に複雑な表情です。
さて、歌子には、もう何年も結婚を考えている駆け出しの陶芸家の恋人がいました。
しかし、これを認めようとしない父親との間にある、コミュニケーション不全が歌子を悩ませていた原因でした。
もう一度、彼と会って欲しいという歌子に、「結婚したければ勝手にしろ」と剣もほろろな父親。
歌子は、父親のことを考えると、自分の幸せは諦めるしかないと思い詰めています。
そうとは知らない寅は、商売にも出ずに、歌子が来るのを、ため息をつきながら待ちわびる毎日。
大の男が仕事もせずにブラブラしているもんじゃないと御前様に窘められるも、反省の色を見せない寅。
いつものことと、寅の「恋の病」を笑って話し合っているさくらたちに、寅がヘソを曲げて出て行こうとすると・・
歌子が再びとらやを訪れます。
二度目にとらやを訪れた歌子は、ある決意をしていました。
どうしても、結婚の相談に乗ろうとしない父親に、家にいると辛いので、しばらく家を空けるという置手紙をしてきたのです。
とらやに泊まることになった歌子ですが、何も知らない寅は舞い上がりっ放し。
しかし、さくらだけは、歌子が再びとらやを訪れた理由に、それとなく感づいていました。
翌日、源公をお供に、歌子と江戸川土手を散歩する寅。
とらやに戻ると、博が歌子を待っていました。
歌子の悩みを察したさくらが、博と相談して、歌子を自分たちのアパートに食事に招待していたのです。
自分が呼ばれないことに、寅はヘソを曲げますが、自分がいては話しにくいこともあると博に言われたことを、自分と歌子の「愛情問題」と勝手に勘違いするあたりが寅のノーテンキなところ。
おばちゃんになだめられつつ、時間が来たら歌子を迎えに行く役を仰せつかって納得します。
ちなみに、本作において、たびたび寅がくちずさむ歌が、吉永小百合が橋幸夫と歌った「いつでも夢を」でしたね。
この辺の楽屋落ちネタにもニンマリ。
さくらたちのアパートで、自分の結婚問題について、ずっと胸にしまいこんでいた悩みを打ち明ける歌子。
自分がいなくなったら、一人ではお湯も沸かせない父親は、一人ではやっていけないという歌子に、博は優しくこういいます。
「それは、きっとあなたの思い込みだと思うな。あなたがずっとお父さんのそばにいても誰も幸せにならない。」
さくらに、彼のことを「好きなんでしょ?」と聞かれて、しっかりと「好きです」と答える歌子。
博とさくらに優しく背中を押されて、歌子は決心します。
さて、今回はどのタイミングで出すか少々迷いましたが、ここらでいいでしょう。
かくして、寅のシリーズ9回目の失恋が、ここに悲しくも成立。
(実は、今回はもっと早く成立していたかもしれませんが)
寅次郎にとって、9人目のマドンナとなる歌子の心は、寅が北陸で出会う前から、遠い愛知県の窯元で修行中の恋人の元にあったのでした。
何も知らずに、博たちのアパートに歌子を迎えに来る寅。
とらやへの帰り道、綺麗な夜空の帝釈天の境内で、歌子は恋人との結婚を決意したことを寅にも告げます。
そんなこととは夢にも思わなかった寅は、ガックリ意気消沈。
今夜このことを決心できたのは、寅さんと巡り会えたおかげだと涙を流して感謝する歌子。
「私が幸せになれたとしたら、それはみんな寅さんのおかげよ。」
もちろん歌子には、悪気のかけらもないことなのですが、それが寅にとっては、どれだけ残酷な言葉だったかということを歌子は知る由もありません。
絞り出すような声で、寅はこういうのが精一杯でした。
「よかったじゃねえか。決心できて。」
二人を包む夜空には流星。
それを追いかける寅と歌子は、それぞれ違う夜空を見上げていましたね。
江戸川土手で語り合う寅次郎とさくら。
寅はまた旅に出て行こうとしています。
寅の心中を察しながら、やさしくこう言うさくら。
「どうして、旅にでていっちゃうの?」
寅は青い空を指差してこういいます。
「ほら見な。あんな雲になりてえんだよ。」
そして、ボソリと一言。「また振られたか。」
思わず寅の顔を見つめるさくら。
結婚を決意して、恋人の元へ歌子が旅立ってしばらくした夏のある日、歌子の父親が、「娘が大変世話になった」という礼を述べにとらやに訪問。
そこには、口をへの字に曲げたインテリ小説家のしかめっ面はなく、娘の決断を認めている父親の顔がありました。
そして、結婚して「鈴木」姓になっている歌子からは、近況を伝える手紙が届いています。
そこには、歌子の生き生きとした暮らしを伝える報告と、寅次郎らしき人物が、自分の留守中に訪ねて来たということが綴られていました。
さあそして、ラストシーンは思った通りでしたね。
旅先の木造の橋の上で、北陸で別れた舎弟の登と再会です。
これは、5作目の「望郷編」と同じパターンでした。
よくよく考えれば、こんな偶然はちょっとありえないだろうと、ツッコミを入れたいところではありますが、ラストシーンであることと、寅の快心の笑顔に免じて目をつぶることにいたしましょう。
本作において、観客動員数はついに148万人。第1作目の3倍にも膨れ上がりました。
このシリーズの右肩上がりの快進撃は、まだまだ続きます。
「男はつらいよ」恐るべし!
次作は、シリーズ第10作「男はつらいよ 寅次郎夢枕」です。
本シリーズのレギュラー源公を演じてきた俳優・佐藤蛾次郎氏が、今月10日に逝去という報が伝わってきました。
享年78歳。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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