このシリーズは、最初の2本と、日本で作られた特別版を見ています。
とにかく低予算で作られているシリーズですから、そこそこ当たれば映画会社も元は取れます。
監視カメラや、ポータブル・ビデオの映像を繋いで、臨場感と恐怖心を演出するアイデア一つで、どこまで観客を惹きつけられるか。
本シリーズの恐怖演出のベースにあるのは、ファウンド・フッテージ・フォーマットです。
つまり、フィクションと現実が混合したストーリーを描くために、あたかも実際に現場で撮影されたかのような手ブレや画質の低さ、カメラの揺れやズームアウトなどが意図的に使うこと。
この手法により、観客はリアルを疑似体験するわけです。
このアイデアに、今回はホラー過去作の色々なアイデアを放り込んで来ました。
「邪悪な何か」と少女がコンタクトを取るというスタイルには「ポルダー・ガイスト」がありましたね。
ホラー映画の金字塔「エクソシスト」も、このスタイル。
それ以前ですと、「世にも怪奇な物語」の第3話「悪魔の首飾り」も、悪魔は少女の姿を借りていました。
日本では白塗りの少年が、悪霊との相性がいいようですが、海の向こうでは圧倒的に少女のようです。
悪魔の数字666も出てきましたが、これは「オーメン」がそうでした。
キリスト教圏では、聖書にもある忌み数字として、ホラー映画ではたびたび登場します。
前に住んでいた家族の置いていったビデオ・テープが恐怖の小道具になっていましたが、これはジャパニーズ・ホラーのヒット作「リング」のアイデア。
少女の瞳が黒くなるというのは、本作のオリジナル・アイデアでしょうか。
反対に白目になったり、カラー・コンタクトだったり、瞳がグルグル回るという演出は見たことがありましたが、これは記憶にありません。
やはり、ホラー映画で印象に残るのは、今まで見たことのない演出と初対面した時です。
さて本作の場合は、僕がみたこれまでの作品と比べ、かなり直接的な悪魔の映像がハッキリと登場。
お金をかけたホラー映画なら、当たり前すぎるシーンです。
ただし、それがハッキリと映る方が怖いのか、映らないで想像させる方が怖いのか。
このサービスは、逆にこのシリーズのストロング・ポイントを帳消しにしているような気もします。
この辺りは、ホラー・ファンとしては悩ましいところ。
少女のベッドの上から、異界に通じるトンネルが出現するシーンなどは、このシリーズに限って言えば明らかにやりすぎ。
しかし、シリーズも、ここまで回を重ねると、ラストの一撃だけで引っ張るのは厳しいと思うのも無理はないのかもしれません。
「そこそこ」の製作費で作られるホラー・シリーズですから、まあ「そこそこ」怖ければそれで上等でしょう。
制作費をかければ怖くなるというものではないというのがホラー映画の悩ましいところ。
どうしても、この水準の小品が多くなってくるのは無理もない話です。
そうでないと、実験的で、チャレンジングな映画は作れません。
ホラー・ファンを唸らせるような斬新なアイデアがそうそうあるものでもありません。
どうしても、過去作品のアイデアは使わざるを得ないのはやむなしでしょう。
ならばこちらは、それを見つけて、ニヤニヤするのも楽しみ方の一つ。
おっと、ホラー映画を見て、ニヤニヤしているおっさんは、ちょっとホラーかも。
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