ずっと見たいと思っていた映画でした。
見つけたのは、なんとYouTube。
ちゃんと100分のフルサイズでアップされていました。
日本語字幕のつかないバージョンでしたが、そこはYouTubeの翻訳機能を利用して鑑賞。
アプリの翻訳ですから、こなれた日本語ではなく、誤訳も多いのですが、それでもストーリーはちゃんと追えました。ホラー映画ですから、ストーリーはシンプルです。
原作は、ヘンリー・ジェームズの中編ホラー小説「ねじの回転」。
なんだか妙なタイトルですが、「ちょっとひとひねりした怪談」くらいの意味ですね。
映画の原題は "The Innocense" ですが、邦題は、原作の小説の方から拝借しています。
確かにホラー映画のタイトルとしては、こちらの方が良さそうです。
黒沢清監督のホラー映画で、「回路」という秀作がありましたが、多分本作を意識しているはず。
本作は、モノクロの映画です。
映画が作られたのは1961年ですから、時代としては、ほぼカラー映画が主流になっていました。
でも、あえて本作をモノクロで撮ったのは、この前年に大ヒットしたアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」の影響が大きかったと思われます。
この大成功により、サイコスリラーをモノクロで撮るというスタイルは、1960年代の初めには、ちょっとしたブームになっていました。
ロバート・ワイズ監督の「たたり」、ロバート・アルドリッチ監督の「何がジェーン起こったか?」、スーザン・ストラスバーグ主演の「恐怖」などなど。
モノクロの画面で、おどろおどろしいムードがかえって増幅される効果があるだけでなく、製作費も、カラー映画に比べてグッと安く抑えられるとあって、映画会社が、「サイコ」に続けと、飛びついたわけです。
本作の主演は、デボラ・カー。
イギリス女優らしい清楚な美しさがあり、個人的にはお気に入りの女優の一人です。
デボラ・カーといえば、「地上より永遠に」での、バート・ランカスターとの、海辺でのラブ・シーンが有名ですが、「王様と私」では、ミュージカル映画にも出演。
個人的には、ケイリー・グラントと共演した「めぐり逢い」の彼女が印象に残っています。
1967年の、007番外編パロディ映画「カジノ・ロワイヤル」では、彼女のイメージをひっくり返すような怪演も披露。
本作出演時の彼女は、ちょうど40歳でした。
さて、この映画のタイトルを最初に意識したのは、1971年に公開された「妖精たちの森」という映画を見たときでした。
この当時は、僕はまだ中学生。
もちろんレンタル・ビデオも、VODもない時代です。
見たい映画は、テレビの洋画劇場を見るか、映画館に行くしかなかったわけです
この映画は、自分の小遣いで有楽町まで見に行きましたね。
主演は、マーロン・ブランド。
ちょうど「ゴッドファザー」の、ドン・ビトー・コルレオーネ役で、アカデミー賞主演男優賞を獲得した直前の出演作品です。
マローン・ブランドとステファニー・ビーチャムのラブ・シーンが、当時としては、かなり強烈でした。もちろんパンフレットも購入しています。
そこに、本作のことがチラリと書いてあったんですね。
「この映画は、ヘンリー・ジェームズの『ねじの回転』の前日譚。」
つまり、映画「回転」は、時系列で言えば、「妖精たちの森」の後日譚ということになるわけです。
当時から、ホラー映画は大好物でしたから、機会があれば見てみたい映画として、本作の情報だけはインプットはされたわけです。
そして時は流れて、次に、この映画のタイトルに触れることになったのは、小中千昭氏の「恐怖の作法 ホラー映画の技術」という、本を読んだ時でした。
この本では、如何に幽霊を怖く見せるかというホラー映画のテクニックが詳しく紹介されています。
ホラー映画マニアには、実に興味深い一冊。
いわゆる「小中理論」の解説書です。
小中理論は、ホラー映画の恐怖を分析し、本質的な恐怖を呼び起こす方法を提示したという意味で、画期的な理論でした。
ホラー映画の恐怖は「ファンダメンタル・ホラー」と「ショッカー」の2種類に分類できると、小中理論は主張しています。
ファンダメンタル・ホラーとは、観客の想像力を刺激することで恐怖を呼び起こすホラー映画。
一方、ショッカーとは、不意打ちや残酷な描写で観客を驚かせることで恐怖を呼び起こすホラー映画です。
小中理論では、ファンダメンタル・ホラーの方がショッカーよりも本質的な恐怖を呼び起こすことが出来ると説明します。
この理論をベースにして、日本で大ヒットしたホラー映画が1998年の「リング」です。
この映画の成功で、Jホラーブームは日本を席巻。日本だけでなく、小中理論は世界中のホラーファンに注目されるようになるわけです。
この本の中に、ファンダメンタル・ホラーの元祖という扱いで紹介されていたのが、本作「回転」でした。
「女優霊」といった、Jホラーのヒット作の脚本を書いた高橋洋が、YouTube動画でこう解説していました。
「幽霊はどう出てくるのが怖いか。幽霊が人を襲うのは、実はそれほど怖くない。やはり、何もしないで、ただそこに立っているのが一番怖い。」
そのお手本ともいうべきホラー映画が本作です。
本作に登場する幽霊は、いつもそこに立っているだけ。
特殊メイクもなければ、スプラッターもありません。
幽霊の登場は最小限にして、いかに観客に想像させ、心理的に揺さぶるか。
フローラとマイルズという子供の家庭教師を依頼されたミス・ギデンズ(デボラ・カー)は、田舎の古い屋敷に向かいます。
その屋敷で、彼女は「なにか」を目撃します。
それは、この屋敷で亡くなっている彼女の前任者ミス・ジェスルと、屋敷の使用人だったクイントの幽霊だと彼女は知ります。
ミス・ギデンズは、幽霊から子供たちを守ろうとしますが・・
幽霊の存在を知り、次第に追い詰められ、精神を崩壊させていくヒロイン。
本作は、ホラー映画というよりは、異常状況下における登場人物たちの心理的な駆け引きに焦点を絞った心理サスペンスです。
その意味では、幽霊そのものよりも、英国アカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされたデボラ・カーの演技で見せる映画かもしれません。
確かに彼女の演技は、ショッカー・ホラーのヒロインたちにありがちな絶叫演技とは一線を画すものでした。
しかし、出番こそ少ないものの、本作に登場する幽霊には、かなりゾゾッとさせられましたね。
カメラは、いかにも、幽霊が登場しそうな古い屋敷内を全編舐め回すようにとらえていきますが、その「暗がり」には彼らは現れません。
現れるのは、燦々と日の降り注ぐ真昼間です。
もちろん、彼らは襲ってきません。なにもせず、ただそこに立っているだけ。
なるほど。
これは確かに、Jホラーのテイストかもしれません。
小中理論を実践した黒沢清作品の恐怖演出に通じるものがあると、すぐにピンときました。
思い出したのは、彼の「降霊」という作品。
赤い服の幽霊は、真昼間のレストランに現れましたよね。
なにもしないで、ただそこにいるだけなのに、妙に怖かったのを覚えています。
顔もはっきりとわかりません。これも本作と同じ。
Jホラー映画は、やがて海外でも認められるようになっていくわけですが、そのテイストの原点が、実は1960年代のイギリス映画だったというのはなかなか興味深い話です。
特殊メイクもスプラッター・シーンもないホラー映画なんて、最近のファンたちには、少々物足りないでしょう。
しかし、人間にとって本当に怖いものは、ゾンビでも、ジェイソンでも、レザーフェイスでもありません。
本当に怖いのは、何も言わずに黙ってそこに立っている「得体の知れないなにか」かもしれません。
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