「あなたたち、まるでラット・パック(チンピラ集団、ネズミの群れ)みたいよ」。
ある夜、どんちゃん騒ぎの末、ぐでんぐでんに酔っぱらった遊び仲間が、この集団のボスだったハンフリー・ボガートの家に戻るや否や、全員が床にバッタリ。
それを見て、そう吐き捨てたのは、当時ハンフリー・ボガード夫人であったローレン・バコールです。
彼女は毎度のことで怒り心頭だったのですが、当のボガードは悪びれることなく、妻のこのセリフをチャッカリ頂いてしまいます。
この瞬間誕生したのが、ハリウッドのお気楽お遊び仲間集団「ラット・パック」です。
ラット・パックというと、すぐに「シナトラ一家」と思ってしまいますが、初代のラット・パックの中心人物はハンフリー・ボガートでした。
初期のメンバーは、なかなか豪華です。
デイヴィッド・ニーヴン、スペンサー・トレイシー、ケイリー・グラント、レックス・ハリソンといった面々。
シナトラは当初、ボガートとローレン・バコールが声をかけた若手メンバーの一人だったんですね。
シナトラはこの気楽な仲間意識が、とても気に入ったようです。
そして、1957年にボガートが他界すると、シナトラは自分と同業者のエンタメ業界の仲間に次々と声をかけ、新生「ラット・パック」を作ることになります。
シナトラのもとに集まったメンバーは、ディーン・マーティン、サミー・デイビス・ジュニア、ピーター・ローフォード、ジョーイ・ビショップ。
ラットパックは、僕の生まれる前に、アメリカで全盛期を迎えていた集団ですが、以前から気にはなっていたので、今回色々と調べてみました。
フランク・シナトラとこの相棒たちにとって、50年代末期というのは、実に絶好のタイミングでした。
1950年代のアメリカの好景気は、文句なく世界一。
第二次世界大戦の記憶は遠い昔に去りつつあり、ベトナム戦争はまだ先のこと。
アメリカは、まさに我が世の春を謳歌していました。
彼らは、この時代の波にのり、ショーマン集団として登りつめていきます。
ただ仲間とふざけ合ったり、からかいあったりしてるように見えるだけのお気楽パフォーマンスが、当時のショー・ビジネスの世界で大ウケしてしまうわけですから、わからないものです。
メンバーの数えきれないほど「不適切」なゴシップさえも、この集団ではネタになってしまうのですから、当時の彼らにとって向かうところ敵なし。
まずはそのゴシップのさわりを紹介します。
親分のシナトラは、なんとボガートの妻であるバコールと関係を持ってしまいます。
そして、女優のラナ・ターナー、16歳のリタ・マリットなどと次々に不倫。
ディーン・マーティンも負けていません。
アンジー・ディキンソンや、なんとギャングの娘にも手を出して騒動を起こしています。
ピーター・ローフォードは、ジョン・F・ケネディの実の妹であるパトリシアと結婚して、ケネディ大統領の義理の弟になったまではよかったのですが、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ジュディ・ガーランドといったハリウッド女優らと次々に不倫。
愛想をつかされたパトリシアとの離婚後は、ビョーテキに、若い女性との結婚を繰り返します。
最後に結婚した相手は、18歳といいますから、これはもはや犯罪ですね。
日本では、去年暮れの文春砲から、ダウンタウン松本人志の性加害問題が、もはや社会問題というレベルまで世の中を賑わしています。
彼を取り巻く若手芸人たちが、このエンタメ界のボスに、セックスを前提に女の子たちを上納していたと、日本中から非難を浴びているわけですが、芸能界の乱れ具合は今も昔も変わらないようです。
ただしラット・パックの面々と、松本人志事件では明確なちがいがひとつあります。
おそらく、多くの美女たちを揃えたパーティは、ハリウッドでも、毎晩のように催されていたでしょうが、彼らはお気に入りの女性がいれば、自力で口説きにいったという点です。
あるいは、女性から迫られたと言うケースもあったかもしれません
いずれにしても不倫ですから、彼らはそのゴシップで、アメリカ中の女性たちを敵に回すことにはなるわけです。
とにかく、彼らは女性たちにモテたということは事実のようです。
当時のラット・パックのライブが、YouTubeで見られますが、かなり破天荒です。
シナトラとマーティンは出番になると歌い、デイヴィスは得意のタップやモノマネを披露。
舞台上で酒を飲み、煙草をふかし、ほとんどアドリブに近いコントやジョークに興じつつ、出演者自身が、舞台で楽しそうに笑い転げるわけです。
ところが、これがちゃんとしたショーになっているのですから、さすがは一流のエンターテイナーは違います。
この「自由さ」は観客にも伝染し、会場は大盛り上がり。
大喜びの観客は、このライブ感に触れたくて、繰り返しラスベガスのショーに足を運ぶことになるわけです。
メンバーは、もちろんソロとしても一流。
しかし、それがチームになることで、その魅力は掛け算で膨らみます。
ハリウッドの有名テーラー「サイ・デボア」が仕立てたタキシードやスーツを纏った彼らの、一挙手一投足を、この時代の女子にモテたいアメリカ中の男子が、こぞって真似したんですね。
彼らの打ち立てたクールの新しい基準は、アメリカのショービズの世界において、その後も、根強く受け継がれ、ジョージ・クルーニー主演による2001年の「オーシャンズ11」につながるわけです。
特筆すべきは、彼らの出自です。
シナトラはイタリア系移民の息子であり、父親はボクサー。
マーティンもイタリア系移民の息子で、密造、カジノ、 製鉄所の仕事を経験しています。
ジョーイ・ビショップはポーランド系ユダヤ人。
サミー・デイビスはアフリカ系アメリカ人。
みんなアメリカでは差別の体調になっていたマイノリティ出身なんですね。
アメリカ社会の上流階級と言われWASP(アングロサクソン系白人プロテスタント)は、ピター・ローフォードだけでした。
彼らは、マーティン・ルーサー・キングの支援に寄付をしたりもしていましたが、舞台上では、かなり際どい悪趣味な差別ジョークで、笑いをとったりもしていました。
「オーシャンと11人の仲間」は、そんなシナトラ版ラット・パックの面々総出演で作られた映画です。
監督は、ルイス・マイルストン。
あの戦争映画の傑作「西部戦線異状なし」を撮った監督です。
1960年の初めに、ローフォードが、ラスベガスのカジノで強盗を働くという本作のアイデアを持って来ます。
親分のシナトラは、この提案が、まさに自分たちにドンピシャリの企画であることを直感。
すぐに映画の製作が開始されます。
しかし、お気楽、ノーテンキ、気まぐれがモットーの彼らを一堂に集めて映画を撮るのは至難の業です。
撮影は、開始早々めちゃくちゃ。
脚本は、彼らのわがままで、どんどんと変更。
彼らはショービジネスで経験を積んできたプロにもかかわらず、映画に対してはそのプロ意識は働きませんでした。
撮影中、5人が揃ってセットに入ったのは一度きりで、シナトラに至っては、25日間の撮影中、撮影に参加したのは9日間だけ。監督のマイルストンはかなり苦労したに違いありません。
しかし、それでも映画は、ケーパー・ムービー(集団強盗映画)として、なかなか面白い作品に仕上がっていました。
このジャンルの作品として本作以前には、1950年の「アスファルト・ジャング」や、スタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」が有名ですが、本作にあの「暗さ」は皆無。徹底的に明るいコメディ・タッチの犯罪映画になっています。
ケーパー・ムービーは、本作以降「トプカピ」やイタリア映画の「黄金の七人」などのようなオシャレでスマートな作品が主流になっていきます。
まずオープニングのタイトルバックは、ソール・バスによる軽快な文字アニメーション。
そして、シナトラ演じるダニー・オーシャンの元に、かつての軍隊仲間が、続々と集結してきます。
目的は、ラスベガスの5つのホテルのショーの上前をすべて頂こうという大強奪作戦。
こういう集団映画の前半の見せ場というのは、「七人の侍」以降は、「仲間集め」を如何に面白く見せるか。
かつて空挺部隊でのそれぞれの専門分野が、そのまま強盗計画に活かされるという趣向になっています。
そして、集まった11人に計画の説明をするオーシャン。
説明が終わって彼が一堂に聞きます。
「質問は?」
そうすると、ディーン・マーチンが神妙な顔をしてこう言います。
「一つ提案がある。」
一同が彼の顔を見ると、彼はこういうんですね。
「やめよう。(この計画は)」
しかし、一同はそれぞれの事情もあり、彼の提案に一人も賛成しません。
オーシャンは、仕方なく、彼を外して再計画を立てようとしますが、すぐに彼は自分の意見を取り下げます。
そして、全員が、テーブルの上で手を重ね合って、ラスベガス現金強奪作戦はスタート。
なかなか痺れるシーンです。
現金強奪作戦は、今の映画の水準から考えれば、明らかにローテクで、テンポもゆっくりしているのは否めません。
しかし、ローテクにはローテクの味があります。
トム・クルーズのような体を張ったアクションが、本作に登場することもありません。
彼らが、映画のためにそんなことするわけがありません。
この映画の「見せ所」はそこではなく、ラット・パックのノリを如何に映画の中に持ち込むか。
観客もそれを望んでいるわけです。
現金強奪作戦はまんまと成功。
オーシャンたちは、首尾よく、5つのホテルから、売上金を奪取します。
後は山分けするだけ。
ところが、そうはならないのがこの時代のハリウッド映画です。
最近の犯罪映画ならそのまま終わってもいいところですが、この1960年当時は、まだ映画界には「ヘイズ・コード」が幅を利かせていました。
この自主倫理規制を無視して、強盗が成功して、ノーテンキにめでたしめでたしとなる映画は、ハリウッドでは、まだ撮れなかったんですね。
では、強奪した現金がどうなったか。
これは、是非映画をご覧あれ。
というわけで、あの哀愁漂うラストです。
11人の仲間が、無言で歩いていくだけのシーンに、一人一人のクレジットが被ります。
すぐに、頭に浮かんだのが、クエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」の冒頭です。
クロずくめの男たちが、無言で歩いてくるあのシーンは、間違いなくこのシーンへのオマージュですね。
本作は、男だけの映画かとおもいきや、花を添えた女優もいます。
一人は、オーシャンの妻を演じたアンジー・ディキンソン。
前年の「リオ・ブラボー」では、ディーン・マーチンとも共演しています。
そしてもう一人。
ノン・クレジットなのですが、ワンシーンのみ登場したのが、酔っ払いの女客として、ディーン・マーティンに絡むのがシャーリー・マックレーンでした。
しかし、ハリウッドきっての好色漢たちが出演する映画です。
その他にもワンシーンのみ登場する、セリフもない色っぽい女優たちは、007映画なみに登場していました。
主演のシナトラこそ歌いませんでしたが、本作ではディーン・マーチンや、サミー・デイビス・ジュニアが、ぬかりなく得意の喉を披露。
まさに、ラット・パックの、ラスベガスのショーの空気感を、上手く映画の中に取り込んだ楽しい映画になっていました。
実は個人的には、本作よりも先に2001年の「オーシャンズ11」見てしまっています。
なかなか面白かったので、続けて「オーシャンズ12」「オーシャンズ13」も観ようと思っていたのですが、そこは思いとどまりました。
その前に、オリジナルである本作を先に見ておくことが筋であろうと思い直した次第。
今からもう64年も前の映画ですが、僕好みの、なかなか面白い映画でした。
え? つまらなかった?
そこの人、なんて野暮なことをオーシャンの。
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