著者のYouTube動画を見たんですね。
「ReHacQ」や、物理系YouTuberの方との対談動画です。
野村氏は、物理学者であり、素粒子論と宇宙論を専門としています。
彼はカリフォルニア大学バークレー校の教授であり、同校のバークレー理論物理学センター所長でもあります 。
物理系のYouTube動画は、時々見たりはしていたんです。
けれど、なにせこちらは筋金入りの理系オンチであるため、まず理解など出来ません。
ただそれっぽいものに触れてはいるという自己満足だけは微量に得られるので、それを楽しんでいるという次第。
相対性理論も量子論も、見栄を張って、本は買って読んだりもしています。
しかし、おおざっぱなストーリーはわかる程度で、ちょっと踏み込まれるともうついていけません。
それでも好奇心だけは旺盛なので、わからないなりにも、現代物理学の深淵に、チビリチビリと近づければいいとは思っているわけです。
YouTubeには、日本の名だたる物理学教授の授業動画も多数上がっています。
「ヨビノリたくみ」のように、現役学生や受験生をターゲットにして、再生数を稼いでいるチャンネルもありますね。
しかし、たいていは僕のような物理素人は相手にしていないので、あっというまにチンプンカンプン。
それが悲しい現実です。
しかし、著者が熱弁をふるう動画はなかなか面白かった。
大学の偉い先生の講義は、基本淡々としていて、メリハリにかけるものが多いのですが、この人の場合は違いました。
ずり下がる眼鏡をアゲアゲ、唾を飛ばしながら、熱量のあるトークを展開。
基本的に物理からは逃げ出してしまった多くの一般人に向けて「かえって来いよ~」と熱く語ってくれていていたので、気が付けば最後まで引き込まれてしまいました。
少しくらいは、こちらの物理リテラシーが上がったかなと勘違いしたほどです。
(もちろん終わってみれば、何もわかっていなかったのですが)
ここで、ちょっと色気が出ましたね。
もしや、今なら多少難しい本を読んでも理解できるのではないか?
そこで今回手にしたのが、野村教授の最新著書である本書です。
少々物理テンションも上がっていたので、とりあえず寝落ちはせずに一気に読破は出来ました。
しかし、もちろんいつものように、数式が出て来たり、わからない単語が並んだりすると頭が真っ白になりますのでそこはスルーです。
ただ今までと違ったのは、今回は iPhone を傍らにおいて、AI はフル活用しましたね。
彼は僕のような物理素人のトンチンカンな質問でも、いやな顔一つせず、何度でも礼儀正しく教えてくれるので、だいぶ理解の助けにはなりました。
「相転移ってなんだっけ?」「はい、それは・・・」
てな感じです。
もちろん、それでも物理をなまけずに学習した人のようには飲み込めません。
しかし、今回我ながら偉かったのは、読み終えて残ったモヤモヤを、まだ熱があるうちに解消しようという気になったことですね。
本書を図書館に返しに行った足で、別冊NEWTONの宇宙論、素粒子論、量子論に関するムック本を大量に借りてまいりました。
(一般書ではなく、ビジュアルに特化したムック本であるところがミソ)
これが人生最後の、物理へのアプローチのつもりで、この苦手分野を一気にマイブームにしてしまいました。
学生の頃、徹底的に人生から排除したつもりの理系科目への、罪滅ぼしですね。
理解できるか出来ないかは別にして、とにかく「面白いじゃないの」と思えたことは自分でも意外でした。
不思議なもので、子供のころに、あれほど嫌いだった野菜だったのに、気が付けば今や定年退職後に、せっせと野菜作りをして、それを毎日食べているわけです。
あれほど苦手だった数学でしたが、社会人なってみると、最終的に損益計算や、給料計算が仕事になっていました。
どうも、人生というものは、苦手で逃げ回っていたものからは、最終的に落とし前をつけるられるようになっているもののような気がします。
とにかく最新宇宙論は、なかなか深淵です。
科学は万能だともてはやされた時代もあった気がしますが、今や最新の自然界は、人間の理解などあざ笑うかのように、到底理解不能な物理世界の難解さを提示してくれています。
「どうだい? 君たちついてこれるかい?」
現在一線で頭をフル回転している世界中の物理学者たちに、自然界は挑戦的にほくそ笑んでいる気がします。
どちら様も頭を悩ませているようですね。
しかし、はたから見ていると、それは逆にそれだから面白い。
もしも、仮に人間の知性で宇宙のすべてが理解できてしまったらどうでしょう。
それはすごいことだとは思いますが、素人から見れば、間違いなく面白味はなくなりそうです。
僕などは、聞きかじった知見の美味しいところだけをひけらかして、「人間はエライ」なんてふんぞりかえってしまいそう。
「なんでそうなる?」「いったいどうなる?」
この興味に探求心が湧くからこそ、物理は面白くなるのだという気がします。
今の宇宙物理の最前線に触れてみると、なにやらよく出来たミステリー小説のド真ん中に放りこまれているようなワクワク感があります。
著者もどこかのチャンネルでおっしゃってましたが、やはり宇宙物学者のモチベーションの究極は、「大きなものの真理に近づきたいというロマン」とのこと。
その意味では、今は既存の常識や理論がガラリと書き換わるようなイノベーションのド真ん中にいる可能性があるのだそうです。
もちろん、その深淵に最も早くたどり着くのは、物理に携わる人たちでしょう。
そして、アインシュタインの相対性原理がそうであったように、そのたどりついた真理は、僕らがそう簡単に理解できるものではないかもしれません。
しかし、もしそうなれば拍手くらいはを送れそうです。
本書を手に取り、最新の宇宙論に触れて、なるほど今はここまでわかっているのかという感動はあります。
反対に、最新の観測技術を持ってしても、まだこれはわからないのかということを知ることもできました。
そもそも宇宙の実態が分かってくる歴史は、人間の思い込みと常識がひっくり返されてきた歴史でもありました。
遠いギリシャの時代から、人間たちは、遠い夜空の星を眺めながら、いろいろなことを考えていました。
わずか半径10㎞くらいの生活圏しか持たなかった人たちにとっては、夜空の星は、見えているままに、自分たちの地面を中心に回っていると思ったことでしょう。
地球がまるいなんて誰が信じられるかという話です。
まさか、自分たちの立っている場所が球体で、回っていたのは自分たちの方だなんて思いもしなかったはずです。
やがて、望遠鏡で天体を観察できる時代になると、ガリレオやコペルニクスが地動説を唱えるようになります。
そして、これが認知されると宇宙は、太陽系にまで一気に広がります。
それよりも遠い宇宙は、この時代はまだ単なる背景です。
ここで天体の動きと、自分たちの目に見える動きを統一理論にした天才が現れます。
アイザック・ニュートンですね。
彼が万有引力の法則を引っ提げて、ニュートン力学で運動の三法則を完成させ、この方程式があれば、未来に起こることはすべて予測できると、物理の世界は達成感に湧きます。
それからしばらくすると、電気の力と磁気の力を統合した電磁気力が、マックスウェル方程式によって見事に一つにまとめられます。
そして、これが光の正体であることも判明します。
この光が、観測者がどんな慣性系にいようとも同じスピードで観測されるという不思議な性質に目を付けたのがアインシュタインでした。
彼の実験室は、その頭脳の中です。
光速が不変であるなら、伸び縮みするのは時間や空間の方に違いない。
彼は何の躊躇もなく、それまでの常識の方をひっくり返してしまいます。
そして、それを理論化したのが特殊相対性理論です。
彼はこれを発展させて、重力も理論に取り込み、重力とはそれによって生じる時空の歪みのことだとする一般相対性理論を完成させます。
これで世界はぶったまげました。
しかしアインシュタインは、自分の方程式が正しければ、宇宙が伸びたり縮んだりする動的なものにしてしまうことに気が付きます。
彼はそれを信じられずに、宇宙を不変で静的なものにするための宇宙項λをみずからの方程式に組み込んでしまいます。
ところが、それからしばらくすると、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが、宇宙が加速膨張をしているという観測結果を発表して、当初のアインシュタインの方程式の方が正しかったことを証明してしまいます。
これが、またまたそれまでの宇宙の常識をひっくり返してしまいました。
そして、その観測結果を突き付けられと、すぐに物理学者たちは気が付きます。
宇宙が現在も膨張しているのなら、反対に時間をさかのぼれば、もしかすると宇宙は小さい一つの点になるということではないのか。現在も膨張しているのなら、反対に時間をさかのぼれば、もしかすると宇宙は小さい一つの点になるということではないのか。
すぐにロシアの物学者ガモフが、これを踏まえてビックバン理論を提唱しました。
宇宙は灼熱の火の玉が大爆発して膨張するとこらかに始まり、やがて冷えていきながら、今の宇宙を形成したというわけです。
もちろん、こんな突拍子もないアイデアは、すぐには気認められません。
その後二人の天文技術者が、この理論を証明するビックバンの際の宇宙背景放射を実際に観測して、この理論は広く世の中に認知されることになります。
ある日、遠い銀河の回転速度を観測していた物理学者が、この回転を安定させるためには、この銀河の質量では圧倒的に足りないということを計算で導きだします。
宇宙には膨大な質量を持った、目には見えない怪しげな「なにか」がある。
これがいまだに正体不明な物質ダークマターです。
怪しげな「なにか」はこれだけではありませんでした。
これだけの銀河や星たちの放つ重力に抗って、宇宙が反対に加速膨張がしているのなら、そのエネルギーになっているものがなければおかしい。
この推察のもとに提唱されているのが、これもいまだに解明されなていないダーク・エネルギーです。
しかも計算の結果、エネルギー組成の割合でいえば、ダーク・エネルギーのシェアは全宇宙のおよそ70%を占めていることが判明しました。
ちなみにダークマターのシェアが25%。
全宇宙に満ちているように見える銀河や恒星、星雲ガスの合計は、わずか5%でしかありませんでした。
ちなみに、なんとこの宇宙の95%は、観測している人間にとっては未知の存在なのです。
わからないことはまだあります。
インフレーション終了後、発生した莫大なエネルギーは、E=mc2 により、ビックバンの中で物質へと変化していきます。
この時に発生したのは物質とペアで対生成される反物質でした。
しかし宇宙の温度がある程度冷えてくると、対生成は終了し、今度は莫大なエネルギーを放出しながら物質と反物質は元のペアに戻っていきます。これが対消滅の始まります。
ところが対生成したときに同量あったはずの物質と反物質なのですが、すべての対消滅が終わってみると、なぜか10億分の2程度の物質が宇宙に残ります。
どこかで、二つの物質の対称性が破れていたという話です。
しかしこれが、現在の宇宙にとっては重大なことでした。
残された物質が、やがて星や銀河を構成するおおもとの「原料」になり、今の物質であふれる宇宙へと成長していくことになるわけです。
どうして、その対称性は破られたのか。
人間が知性を獲得し、宇宙で起こる様々な現象をつぶさに観察し検証していくうちに、科学者たちは不思議なことに気が付き始めます。
「どうしてこの宇宙は、こんなにも自分たちが存在するのに都合よく出来ているんだろう。」
それはまるで、宇宙全体が、人間誕生のシナリオを用意しているかのようでした。
決定的だったのは真空エネルギーの値です。
この量が観測の結果判明したときに、科学者たちは頭を抱えました。
その値はそれまでの理論で予想されていた値と、なんと120桁も違っていました。
これはいくらなんでも違いすぎるぞというわけです。
しかしそれはいくら精密に計算をやり直しても修正されません。
そして、この限りなくゼロに近いけれどゼロではないという微妙な真空エネルギーの値が、138億年後の人類の誕生に効いてくるわけです。
計算によれば、この値がわずか一桁違っただけで、人間はおろか、物質さえも存在しない宇宙になってしまうのだそうです。
これこそまさに、神が宇宙を創造したなによりの証拠だという人もいたでしょう。
そんな奇跡は創造主たる神にしか起こせないというわけです。
しかし、神の手を借りずに、自然現象を解明するというのが科学の営みです。
こういう奇跡すぎる奇跡を、科学の世界へ落とし込める唯一の方法が、たった一つだけありました。
それは、これを確率論で考えること。
つまり、こういう出来すぎた宇宙があるのだとしたら、実はそうではない、人間が存在できない宇宙も無数にあるのだという考え方です。
いろいろな種類の宇宙が無数にあれば、その中に、すべてのパラメーターが整って、人間が誕生できる宇宙が一つくらいはあっても不思議ではないだろうということです。
そして、その中で生まれた人間が、その宇宙を観測するのだから、すべての値が人間誕生に都合よくなっていて当然だろうというわけです。
これは眼から鱗でしたね。
これがマルチバースの基本的なロジックです。
マルチバースというと、なんだかブッ飛んだ理論だと思ってしまいますが、こう説明されると筋が通っていて、ストンと腑に落ちます。
革新的というよりは、人間誕生を奇跡で片づけない分、むしろこちらの方がコンサバディブだという気がします。
これは人間原理といわれる理論になりました。
人間原理とは、「我々の宇宙は現実として人間が存在する宇宙なのだから人間が存在するのに都合の良い偶然や幸運があるのはむしろ当然である」という考え方です。
すべてを偶然と考えると、人間の存在がなにやら特別な存在なんだと勘違いをする人も出てきてしまいそうですが、「いやいや、気持ちはわかりますが、けっしてそんなことはありませんよ」と、科学の世界へきちんと引き戻してくれているのが人間原理だといえるかもしれません。
マルチバース理論の一つの形態として泡宇宙という考え方もあります。
これはインフレーションの際に、同時多発的にいくつもの宇宙が、泡のように誕生し、その親宇宙から子宇宙が誕生し、孫宇宙も誕生してきたという描像です。
それぞれはワームホールでつながっていましたが、やがてそれがなくなってしまい、それぞれが独立した宇宙になったという考え方です。
固い頭ではなかなかついていくのも大変ですが、これくらいのことは受け入れていけないと、宇宙の真の姿は到底理解できないかもしれません。
ニュートン力学は、今では古典力学といわれてしまっていますが、少なくとも人間サイズの世界では今でも立派に通用する理論です。
しかし、宇宙のサイズに当てはめるとこれでは通用しません。
アインシュタインの一般相対性理論がなければ、宇宙で起こる現象は説明できません。
しかし、その一般相対性理論も、ミクロの世界に足を踏み入れると、俄然怪しくなってきます。
ミクロの世界で起こることを説明するためには、どうしても量子論が必要です。
理論の効いてくるサイズが違うので、三つの理論は今のところバッティングせずに成立しています。
しかし、ミクロの世界も、人間サイズの世界も、宇宙のサイズも、シームレスに繋がっている同じ世界であることは間違いありません。
最終的には、すべての世界の物理を包含した統一理論があることは明白です。
宇宙の創生や、ブラックホールを解明するためには、この統一理論が絶対不可欠になってきます。
「場の量子論」が完成されたことで、特殊相対性理論と量子論の統合までは統合に成功しています。
残るは一般相対性理論と、量子論の統合です。
これは最前線の科学者たちが挑んでいるところですが、まだ完成には至っていません。
いろいろな候補が上がっている中で、いまのところ、論理の破綻がなく、唯一上手くいきそうになっている候補が超弦理論です。
この理論は、その中にすでにマルチバース理論も織り込まれているので、統合理論としては非常に有望とのこと。
しかし、この理論には問題が一つあります。
それはこの理論が成立するためには、10次元の世界を要求してくるんですね。
我々が住んでいるのは、ご承知の通り、4次元という時空です。
これにプラス6次元もの余剰次元があるわけですから、僕のような頭では、イメージすら出来ません。
どれくらい先かはわかりませんが、いつの日かこの問題が解決した暁には、是非別冊NEWTONのムック本にしていただければ有難い。
その時にまだそれが理解できる頭がキープできていれば、謹んで拝読させていただきます。
最先端の観察技術を駆使しても、まだ素粒子は顕微鏡の中では点でしかないそうです。
この技術が向上して、やがて素粒子の形までもが肉眼で確認できる日が来た時、その姿は粒子ではなく、はたして輪ゴムや糸のような線であるかどうか。
これもまた、それまでの常識がひっくり返る瞬間のはずです。
宇宙の真の姿に迫るミステリーは、エンターテイメントとしてもなかなかよく出来ています。
どんでん返しの連続で、なかなかどうして楽しいではありませんか。
最先端でこの謎を解き明かそうとしている物理学者たちの仕事を、ただ傍観するだけの身ではありますが、やはり興味はありますね。
「なぜ宇宙は存在するのか」
なかなかすぐに出せそうな答えは見つかりません。
野菜作りを生業にしている百姓ではありますが、せいぜい自分なりに考えてみることにします。
とんでもないスケールの話にどっぷりつかっているうちに、なにやら日常の些末なことが、どうでもよくなってしまっておりましたね。