Amazonプライムで「ゴジラ-1.0」が見放題になったタイミングで、ゴジラが登場するすべての作品も同時に見放題になっていました。
個人的には、1971年の「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」までのゴジラ・シリーズは、怪獣少年現役の頃に、おおかた鑑賞しているのですが、この作品だけは、見たい好奇心はあっても、今まで見る機会がありませんでした。
1954年のオリジナル「ゴジラ」を、アメリカ人俳優レイモンド・バーの出演シーンを追加して再編集した作品だということは知識としては知っていました。
但し、日本に原爆を落としたアメリカが、水爆実験による突然変異で巨大化したモンスターの映画をそのまま公開するわけにもいかないだろうなという事情はなんとなく察しがつくところ。
その辺をどうやってお茶を濁すかにはちょっと興味がありました。
オリジナル版では、セリフとして、広島長崎の原爆投下や、ビキニ環礁の水爆実験についてはあたりまえのように触れています。
但し、「ゴジラ」が日本で公開された前年には、アメリカで「原子怪獣現わる」"The Beast from 20,000 Fathoms"という映画も作られており、核実験の影響で出現した怪獣というプロットには、ある程度の免疫はあったと思われます。
しかし本作では「ヒロシマ」「ナガサキ」「ビキニ環礁」などの直接的セリフは、案の定全てカット。
もちろん登場するゴジラにはなんの罪もありませんが、日米の事情を考えると、本作はエンターテイメントとしては大変にデリケートな映画だったといえます。
レイモンド・バーといえば、なんといっても「弁護士ペリー・メイスン」です。
ドラマを見ていたわけではありませんが、顔は覚えています。
ヒッチコック監督の「裏窓」では、奥さんを殺してしまう怖い殺人犯の役をやっていました。
その彼が本作で演じているのは、スティーヴ・マーティンという、アメリカ人新聞記者の役です。
カイロに取材に行く途中立ち寄った東京で、ゴジラ災害に遭遇することになります。
レイモンド・バーが登場する追加撮影分は、すべてアメリカで三日間かけて行われています。
オリジナル版の日本人俳優は参加していません。
このために撮影用のセットが組まれ、日系人をエキストラとして使っています。
彼らのしゃべる日本語は、日本人からみればかなり妙なアクセントになっていたのは苦笑い。
すべてのエキストラのセリフは、たったふたりの中国系の声優に演じ分けさせてアフレコしていたそうです。
日本人声優たちによる水準の高い吹替えに慣れているので、この点は少々ショボい感じががありましたね。
レイモンド・バーの登場シーンは、丸一日の拘束で、すべて撮り終えたそうです。
オリジナル映画の使用シーンは、英語に吹き替えている部分と、日本語をそのまま使っているシーンが両方ありました。
日本語シーンには、公開時、英語字幕が入ったのでしょう。
アメリカ人記者が目撃したゴジラ災害という体で再編集されていたわけなので、日本側の主要キャストとの絡みはないように工夫されていたわけですが、それほど多くはないものの、山根博士や緒方、恵美子、そして芹沢博士と絡むシーンはありましたね。
もちろん、アメリカでの撮影ですから、オリジナルの俳優は使用できないので、同じ衣装を着せたアジア系の俳優を背中越しに撮っていました。いわゆるボディ・ダブルですね。
ただ、後ろ姿でも、明らかに違う俳優とはわかってしまいます。
衣装は合わせていましたが、声は明らかに違うので、ちょっと苦しい感じ。
アップのシーンは、オリジナル版から切り抜いてきて、アフレコで英語のセリフを言わせて繋げていました。
当然ながら、同じ画面に、日本人俳優と一緒に収まるシーンというのはありません。
当時のアメリカでは、ここまでしないと、日本映画をアメリカ人観客に向けて公開すると言うのは難しいと判断されたのでしょう。
ゴジラが東京を蹂躙するシーンでは、スティーブは、特派員事務所のあるビルから、その地獄の光景を目の当たりにし、テープレコーダーにその実況を録音しているという設定です。
ただ、ケチをつけるわけではありませんが、東京湾から上陸したゴジラが、湾岸を熱放射で焼き、銀座を破壊し、国会議事堂を叩き壊す様子を、たった一つの窓から実況できるわけはないなとは普通に思ってしまいました。
オリジナルの「ゴジラ」を鑑賞しているので、どうしてもいろいろなアラが気になってしまいます。
いや、むしろ今回はそんなところをチェックしたいがために見ているような意地悪な視線があったかもしれません。
ただ、この当時のアメリカ映画が、日本人を描写するときによくあったような、その特徴をデフォルメして侮蔑するような失礼な演出は、特に見当たりませんでした。
アメリカ側は、この映画を公開するためのライセンス権と、そのための編集権を東宝から高い金額で購入しているわけですから、それなりのリスペクトはあったでしょう。
Wiki によれば、オリジナル版の「ゴジラ」が正式にアメリカで公開されたのは2004年になってのことだそうです。
つまり、日本以外の国際市場において、世界的にゴジラの知名度を上げるのに貢献したのは、オリジナル版ゴジラではなく、本作「怪獣王ゴジラ」だったわけです。
オリジナル版では、シンプルに「ゴジラ」でしたが、アメリカ版のタイトルは".Godzilla, King of the Monsters!"と、かなり煽り気味になっています。
このあたりはアメリカ的センスなのでしょうが、個人的には、シンプルなオリジナル版の方が潔くて好きです。
本作は、アメリカでもヒットし、日本同様、一定数のゴジラ・ファンを獲得し、以降の東宝特撮映画は、アメリカでもどんどん公開されるようになります。
そして、アメリカ観客に、日本製怪獣映画のウケがいいと知ると、日米合作の怪獣特撮映画も作られるようになりました。
その後は、合作ではない完全ハリウッド製のゴジラ映画も作られるようになったのはご承知の通り。
ただ、正直に申しますと、今でははるかに日本の特撮技術を凌駕しているハリウッドが創造するゴジラ像には、ローランド・エメリッヒ監督のあの爬虫類ゴジラ以来、どうも違和感を感じ続けています。
今盛んに宣伝をしているアメリカ版ゴジラの最新作の"Godzilla x Kong: The New Empire"のスポット映像を見る限りでも、我らがゴジラが、コングと一緒になって、跳んだり走ったりしているのですが、東宝特撮映画育ちとしては、あれはちょっと違うぞと思ってしまいます。
迫力はあるのですが、怖くないんですね。
ミニチュアセットの着ぐるみでとまではいいませんが、やはりゴジラはハイスピード撮影の質感で、ゆっくりとノシノシ歩いてもらいたいところ。
モンスター映画を楽しむに当たっての、日米観客の生理的メカニズムの違いは確実にあるようです。
この次はいよいよ、「ゴジラ-1.0」を鑑賞させてもらいますが、日本版最新ゴジラは、第一次怪獣世代の目には、どのように映るのか。これはやはり楽しみです。
今回はそれを楽しむ前に、ちょいと寄り道をさせてもらいました。
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