必読古典海外ミステリーのランキングが発表されれば、必ずベストテンに入る傑作ミステリーが本書です。
著者はウィリアム・アイリッシュ。
コーネル・ウーリッチやジョージ・ホプリー名義でもミステリーを発表しているのがこの人。
本格ミステリーからは、少々外れますが、かなりサスペンス寄りの作風で、謎そのものよりも、読者を引きずり込むようなシチュエーション描写に並々ならぬ才能を発揮する作家ですね。
そして、この人の最大の武器は、リリックでソフィスティケイドされた官能的でさえある文章表現にあります。
本作の書き出しは、それを証明して余りある名文ですね。
唸ります。
The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour.
「夜はまだ若く、彼もまた若い。しかし、夜は甘美だが彼はほろ苦かった。」
ミステリー小説の書き出しとは思えないような、あまりに文学的に洗練された書き出しではないでしょうか。
この冒頭書き出しを知るよりも先に、個人的にはビリー・ジョエルの隠れた名曲「ザ・ナイト・イズ・スティル・ヤング」は知っていたのですが、ニューヨーク出身のビリーが、同じくニューヨークを舞台にした本作の書き出しを意識してあの曲を書いた可能性は高そうです。
こんな夕景の描写もありました。
「西の空は紅をさしたように紅く、空もデートに出かけようとお洒落をして、星をふたつ、ダイヤのブローチがわりに夜会服に飾っているといったふうだった。」
とてもとても、無残に人が殺されていく連続殺人事件を描いたミステリ作品とは思えないようなリリックな表現です。
いずれにしても都会的センスにあふれたスマートで洒落た文体は、この作者最大の武器だったと言えるでしょう。
この長編がリリースされた1942年頃のミステリー文壇は、本格ミステリーが主流でしたが、そこに新たな分野を提示したアイリッシュの功績は大きかったと思う次第。
この人がコーネル・ウーリッチ名義で発表した処女長編ミステリーを、フランソワーズ・トリュフォーが映画化した「黒衣の花嫁」はすでに鑑賞しています。
これも本格ミステリーというよりは、復讐劇という映画的な要素を前面に押し出した作品でした。
これがこの作者との唯一の接点かと思っていましたが、Wiki してみましたらもう一作ありましたね。
それは、アルフレッド・ヒッチコック1954年作品「裏窓」です。
この作品の原作は、コーネル・ウーリッチ名義の短編小説でした。
そういえばヒッチコック自身が言っていました。
「映画の題材としては、長編より短編の方が向いている。長編小説を映画の尺に縮めるよりも、短編を膨らませる方が映画として面白くなる。」
ウーリッチのこの短編は未読ですが、確かにこの短編のアイデアを膨らませて、ヒッチコック流に料理したであろう「裏窓」がサスペンス映画の傑作であるのは間違いのないところ。
そして、この人の作風が、サスペンスの巨匠ヒッチコックとは、相性がよさそうなのは、素人ミステリー・マニアでも想像が付きます。
ヒッチコックは、生涯本格ミステリーには興味がなかった監督でした。
妻のために予約したレストランンとショーの観劇を、彼女の気まぐれで無駄にされた主人公は、むしゃくしゃしたままふらりとバーに入り、そこで一番最初に出会った女に声をかけ、誘うことに成功します。
妻との予定をなぞるように数時間を共にした二人は、出会ったバーで別れます。
そして男が自宅に戻ると、そこには数人の男たち。
男たちは刑事で、妻は男のネクタイで絞殺されていました。
もちろん、最初に疑われるのは夫である主人公です。
二人の結婚生活はすでに破綻しており、主人公には若い愛人がいました。
自分の不利な状況を理解した主人公は、自分のアリバイを証明してくれる唯一の証人「幻の女」の存在を刑事たちに訴えます。
主人公と一緒に、彼の足取りをたどる刑事たち。
しかし彼は、その特徴ある帽子は思い出せても、女の顔を思い出せません。
そして事件のあった夜、二人を見ているはずのバーのバーテンダーも、タクシーの運転手も、劇場のドラマーも、皆口をそろえてこう言います。
「いえ、私が見たのは男の方だけです。」
決定的な証拠はないものの、すべての状況証拠が主人公の犯罪を示唆しています。
能弁な検事は、陪審員に向かって、男の非常極まる妻殺しの罪状を訴え、下った判決は死刑。
この死刑執行までのカウントダウンが、そのまま小説の章立てになっているのがこの小説の非常に上手いところ。
このカウントダウン進行で、物語は圧倒的にサスペンスフルになります。
刑務所に収監されてしまった主人公の代わりに、彼のアリバイを証明する「幻の女」を見つけるために奔走するのが彼の若き愛人と南米から戻ってきた親友の二人。
この二人が証人たちに迫るパートはかなり緻密に描かれていましたね。
これだけでも独立した短編サスペンスになるような描かれ方でした。
しかし、一度判決が下った犯罪をひっくり返すのは至難の業。
二人の捨て身の捜査は、じれったいほど実を結びません。(完全に作者の術中にはまっていますね)
じりじりと迫る死刑執行日。
特に唸ったのは、「16 死刑執行日の八日前」「17 死刑執行日の七日前」の二つの章。
この章には、タイトルだけがあって、なんと本文がありません。
これが、一向に進まない「幻の女」探しの進捗状況と、まったなしの死刑執行カウントダウンのサスペンスを雄弁に物語っていて脱帽。こんな章は、ちょっと見たことがありません。
そこに本文はなくとも、脳内では、おもわずどんな小さな手掛かりでもあきらめずに歩き回る二人の行動を勝手に想像して、そこにはない本文を埋めていましたね。
これはウィリアム・アイリッシュの技ありです。
そして、二人の後ろには、彼らの捜査を影ながらバックアップする意外な人物の姿が・・
おっといかん、いかん。
調子に乗ってしゃべりすぎてますね。
ミステリーの紹介おいてネタバレはご法度です。
勇み足しないうちに、物語の紹介は、この辺りにしておきます。
1942年に本作が発表された2年後に、この長編小説は映画化されています。
監督はヒッチコックではなく、ロバート・シオドマーク。
この人は、ミステリー映画というよりは、ホラー映画を得意とした監督です。
この作品が、Amazon プライムを検索したら出てきましたので、小説読了後、缶酎ハイを飲みながら、そのまま鑑賞いたしました。
この作品は、ヒッチコックの言う通り、長編小説を当時の映画の標準尺である90分に納めなければいけないために、小説のストーリー進行では美味しい部分も、映画的に端折ってしまった感じは否めませんでした。
原作小説を読んだ直後に、その映画化作品を見たという経験は、今回が初めてでしたが、読んでいた原作小説の映像イメージを補完するという意味では大いに役に立ちました。
この映画のビジュアル・イメージで、読み終わったばかりの本作のビジュアルを再編集して、必要な部分にはVFXも加え、かなりリアルな古典ミステリーが脳内では完成しましたね。
これはなかなか面白い経験でした。
本作においては、「幻の女」が被っていた目を引くデザインの帽子が、物語の重要な伏線になるのですが、映画ではこの帽子が、冒頭のファーストカットでドーンと登場して、「おーこれか!」とニンマリ。
映画では若き愛人の代わりに、主人公のために奔走したのは、彼の会社の若き秘書という設定でした。
小説ではどんでん返しの展開で明らかになる真犯人も、映画では中盤で明らかになってしまいます。
監督のシオドマークも、ミステリー映画にするよりは、犯人を明らかにすることによって生まれるサスペンスの方に重きを置いた演出をしたかったということでしょう。
ヒロインを愛人にしてしまうと見る方が感情移入しにくくなると踏んで、秘書に設定を変えたのが映画的事情ということのようです。
なるほど、脚色というのはこういう作業のことを言うのかと納得した次第。
しかし、監督のそんな危惧は小説の中ではまったくの杞憂でした。
作者の丁寧な人物描写や、巧みなシチュエーション描写で、最後まで物語にグイグイと引き込まれてしまいましたね。
この原作は、Wiki した限りでは、アメリカにおいても、日本においても、映像作家たちには、かなり気に入られ、相当数の映像化作品が作られています。
「サスペンス劇場」の素材としては、これくらい魅力的な原作はないことは当然理解できます。
そして、本作を読了してみれば、本作のアイデアやトリックは、その後様々な形に翻案されて、ミステリーの裾野を広げていることに貢献していると思い当ります。
この発見こそクラシックを読む醍醐味ですね。
つい先日見たばかりの、松本清張原作の映画化作品「黒の画集 あるサラリーマンの証言」がまずピンときました。
あの作品も、松本清張がこの作品のアイデアを、彼流にひねって自分の土俵に載せたサスペンス作品であることは、本作を読めば伺いしれます。
本書の解説によれば、江戸川乱歩が戦時中、八方手を尽くしてこの作品の原書を取り寄せ、原文のまま読んで、これはミステリーの新しい流れになると絶賛し、翻訳化をすすめたというエピソードが書いてありました。
乱歩の予想通り、この「サスペンスの詩人」の作風は、ミステリー界に新しい潮流を生み、後の映像化作品にも多大な影響を与えたことは事実。
ハンフリー・ボガードのようなニヒルな探偵も、リタ・ヘイワースのような妖艶なファム・ファタールも本作には登場しませんが、知的な本格ミステリーに、サスペンスの味付けを施した本作は、古典ミステリーにおいては外すことのできない傑作であるということだけは間違いなさそうです。
果たして「幻の女」の正体は・・・
これは是非本作を読んでご確認あれ。
ここでは、映画の結末とは違うということだけ申し上げておきましょう。
私的には、還暦もとうに越え、昨日初めて出会った女性の顔など、一日もたてばコロリと忘れてしまう年齢になってしまいました。
なにかしでかしても、もはやアリバイを証明してもらうことは難しいようので、せめて人を殺すことだけは慎みたいと思う次第。
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