本作は、2021年発表の現代ミステリーで、大学生の就活をテーマにしています。
近年の社会問題はてんこ盛りですが、読み終えてみると、本作には犯罪らしい犯罪は結局最後まで登場しません。
従って、警察も名探偵も登場しないのですが、「事件」だけは起こります。
事件が発生するのは、人気IT企業の最終面接の場。
最終選考に残った6人の大学生にいったい何が起こるのか。
人が人をジャッジするという就職試験の欺瞞に、1989年生まれの若きミステリー作家がカウンター・パンチを炸裂させます。
「六人の嘘つきな大学生」は、浅倉秋成氏によるミステリー小説です。
物語は、成長著しいIT企業「スピラリンクス」の新卒採用の最終選考に残った6人の大学生が主人公。
彼らは、1か月後に行われるグループディスカッションに向けてチームを作り上げる課題に取り組みます。
しかし、選考直前に「6人の中から1人の内定者を決める」という彼らにとってはこのうえなく残酷な課題に議題が変更されてしまい、仲間だったはずの6人はその瞬間から一発触発のライバル同士となっていきます。
緊張感あふれるディスカッションが進む中で、突然発見される6通の封筒。
それぞれの封筒には他のメンバーの「黒歴史」を告発する内容が記されています。
これを仕掛けたのは誰か。
この状況の中で、彼らの嘘と罪が次第に明らかになり、内定を巡る緊迫の心理戦が繰り広げられていくという展開です。
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終始「十二人の怒れる男」のような完全密室会話劇になるのかと思いきや、この最終選考パートは、犯人もわからぬまま、ほぼ前半で終了。
後半のパートは、6人の投票により最終選考に残ってスピラリンクスに就職したその「一名」が、その8年後に当時の学生たちや人事の選考担当者などにインタビューをしながら、次第に事件の真相に迫っていくという展開になります。
作者の真骨頂は、とにかくその緻密なプロット構成と巧妙な伏線。
ミステリー・ファンの間では、この著者は「伏線の狙撃手」とも称されているそうです。
また本書の解説には、「ロジカルモンスター」という称号も。
とにかくその構成は凝りに凝っています。
YouTube動画の本人インタビューによれば、構想を練る段階では、大きめのホワイトボートに、思い付いた面白いエピソードを並べていき、その順番をどういじれは一番効果的に読者に伝わるかを熟考するとのこと。
そして、伏線についてはそれが回収される場面から考え、それから時間を遡って、伏線をどこに埋め込んでいくか考えるそうです。
このいったりきたりを繰り返しながら、伏線を網の目のように張り巡らしていき、ロジックの破綻がないことをチェックしながら、作品を次第にドラマチックに構成してくのだそうです。
これをしっかり練り上げておけば、執筆は比較的スムーズにいくとのこと。
作者が本作で出版社から依頼されたのは「就活をテーマにしたミステリー」だったそうです。
映画で就職をテーマにしたもので思いつくのは、織田裕二主演で1990年に制作された「就職戦線異状なし」。
朝井リョウの直木賞受賞小説を原作にした「何者」。これは2016年の作品です。
ドラマでいえば、山田太一脚本の超人気ドラマ「ふぞろいの林檎たち」がまず浮かびます。
どの作品も、社会への扉を叩かざるを得ない大学生たちの不安や苦悩をリアルに描いた青春ドラマでした。
しかし、本作の切り口はあくまでもミステリー。
まず作者の脳裏に最初に浮かんだアイデアは、就職試験というシステムが潜在的に孕む不条理性ではなかったかと想像します。
もちろん作者も就活経験者です。
では、就職試験が孕む不条理とは何か。
多くの企業が採用プロセスで「学歴フィルター」を使用しており、特定の大学出身者のみを優先的に選考する傾向があります。
これにより、優秀な学生であっても出身大学によっては不利になることがあります。
本作では、最終選考の中に残った6人の中に東大生がいなかったことを、彼らが「この会社は、学歴ではなくきちんと人を見て判断している」と評価するくだりがありました。
当然のことながら、学歴で人格までは図れません。
面接官の主観性も大きな問題でしょう。
就職試験には、面接官の主観が大きく影響するため、評価が一貫しないことがあります。
面接官の個人的な好みや先入観が評価に反映されることがあり、公平性が損なわれる可能性があります。
最低の評価が一瞬にして最高に変わるなど、本作はこのくだりもきちんと描いています。
また企業の採用基準が画一的であるため、多様なバックグラウンドを持つ人材が排除されることが多々あります。
本作では、スピラリンクスの採用担当者が、後のインタビューに応えて、5000人の応募者の中から、最適の一人を選び出すノウハウなど会社にはないと断言するくだりがあります。
それはどの会社のどの人事部にも存在しない。
選ばれた一人は、ただただ運が良かっただけ。たまたま選考者のその時の気分に合っていただけ。
そう断言するんですね。
就職試験に臨む新卒大学生たちは、本作に登場する6人だけではなく、基本的に誰しもが嘘つきです。
誰が希望する会社に対して、一番巧妙な嘘をつけるかを競い合うのが採用試験というシステム。
そして、採用する企業側も、パンフレットに乗せているのは、会社の「いい顔」ばかり。
ダークサイドはひた隠しにして、優秀と思われる学生たちが網にかかるのを虎視眈々と狙っている。
そんなキツネとタヌキの騙し合いこそが、就職試験というシステムの本質だというわけです。
このミステリーを通じて浮かび上がってくる、就職戦線の闇は、救いようがないほど底なしです。
少なくとも、人間が人間を正確にジャッジすることなど不可能。
今日本中を騒がせている、元兵庫県知事の斎藤元彦氏は、そのパワハラ体質が明るみに出たことで、結局知事を失職しました。
出直し選挙で再選されることを目指して、駅頭に立って、県民一人一人に頭を下げている映像がYouTube動画にアップされています。(すいません。テレビは見ないので)
もちろん、圧倒的な権力をふりかざして、内部告発者を自殺に追い込んだこと。
せこいまでのオネダリ体質。
独裁的な人事権乱用。
報道を見る限りでは、とても知事の職責を果たせる人物ではないことは伝わってきます。
但し、普段は権力にへーこらしているマスコミが、この人物なら追及しても、自分たちに実害がないと判断するや、容赦なく斎藤バッシング報道をエスカレートさせているという事実も見逃せません。
彼らがもしも中立の立場で取材をしていれば、斎藤知事のダークサイドだけではない部分も記事になっていいはずなのに、走り出したトロッコに乗った彼らは、もはやブレーキを踏む気などさらさらありません。
斎藤知事がその権力を振りかざして殿様政治をしてきたのと同様、マスコミも自分たちの権力を振りかざして、斎藤知事に対して集中砲火を浴びせている図式に大差はありません。
マスコミは、斎藤知事を叩けは叩くほど、視聴率が稼げ、記事が読まれるから、調子に乗っているようにしか僕には見えません。
本作の登場人物の一人の口癖である「フェア」は、最後には本作のキーワードにもなってきますが、斎藤元彦元知事に対する過熱報道は、少なくとも「フェア」ではないだろうと睨んでいます。
彼らは自分たちに影響力のある国家の権力者たちには、当たり前に、尻尾を巻いてボチになり、媚びへつらういます。国民は知らず知らず真実から目を遠ざけられます。
反対に、攻撃の餌食を見つけるやいなや、寄ってたかって吊るし上げ、その人物のダークサイドだけを.あたかもその人物の全てであるかのように粉飾して、国民の目を引こうとします。
閑話休題。
本作の中には、月には地球からは永遠に直視することの出来ない裏側の顔があるというフレーズが象徴的に何度か登場します。
月は地球に対して潮汐固定されているため、常に同じ面を地球に向けているからです。
しかし、あくまでそれは見えていないだけで、裏側も含めて月は存在するということは事実です。
つまり、採用試験のシステムだけで、けしてその人のすべてが測れるわけはないということ。
あくまで、採用試験を通じで可視化された部分だけが、評価の対象にならざるを得ないのが就職試験というシステムの危うさです。
しかも、その可視化された部分は、往々にして、就活生自身が無理して作り上げている「就職用の作品」である可能性が高いということもまた事実。
彼らは一日中ゲームに興じて、部屋でダラダラしている日常など、間違っても採用試験官の前で、見せるわけがないわけです。
人間は誰しも一面だけでは語れない。
本作において作者は、ここに徹底的にこだわります。
そしてしたたかにも、ここにトリックを仕掛けてきます。
人が人を評価することの危うさを、ミステリーというまな板に載せて、とことんエンターテイメントとして料理していくわけです。
それが本作の実に秀逸なところ。
登場人物の新しい顔が見えるたびに、この物語は二転三転していきます。
人間は、不幸にも複雑さや曖昧さを潔しとしない面倒くさい生き物です。
出来れば、そのどちらかに決めて、レッテルを貼ってわかりやすく認知しておきたいんですね。
わかりやすい小説と言うのは、大抵人物像がはっきりしていて、感情移入しやすい構成になっています。
しかし、ところがどっこい。
作者は、人のこの単純化認識思考を逆手にとってくるわけです。
人は、この思考回路にハマると、普通にそこに置いてある伏線をあたりまえに見逃してしまいます。
いちどクロと思ってしまうと、そこにあるシロいものはもうクロにしか見えないわけです
これはまた逆も然り。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる悪人カンダタだって、ふとした拍子に、道端の蜘蛛を助けることがあるわけです。
清濁併せもって人間です。
本来なら人間が人間を裁くこと自体がおこがましいと言う話です。
結局、誰が裁こうと、そういうあんたはどうなのよと言う話になってしまうからです。
しかし人間社会は、これをやらないと回らないように出来ているからまたややこしい。
昨日の自分と、今日の自分がまったく違う人物になっている可能性だってなきにしも非ず。
反対のことを言えば、誰だって、なりたい自分になれる可能性は、いつだってあるわけです。
もしかすると、就職のために、とりあえず嘘偽っているはずの自分が、いつのまにか本当の自分になってしまっている可能性だってないわけではありません。
人間は生涯変わってゆく生き物。
その意味で人間ドラマはエンドレスです。
しかし、就職試験は、そのほんの通過点に過ぎないある時期の自分を赤の他人にジャッジされ、それがその人の一生を左右するわけです。
考えてみれば、こんな理不尽な事はありません。
しかし、逆に考えすぎなければ、大した事でもないのかもしれません。
下されたジャッジに異論があれば、その後の人生を頑張ればいいだけのことです。
あなたにジャッジを下した人は、つまるところ、あなたの事など何もわかっていません。
それは、もしかしたら、あなたがついた嘘がまかり通ってしまったその後の人生よりも、案外幸せなことなのかもしれません。
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