戦争なんて、笑い飛ばしちまえ!
そんなパワフルなエネルギーに満ちた戦争アクション・コメディが本作です。
監督は岡本喜八。
それまでの日本の戦争映画は、敗戦という重い現実を背負っていたため、どうしても悲壮感漂う暗い映画が多かったわけです。
岡本監督は、どうやらこれが気に入らなかったようです。
1924年生まれの岡本監督は、戦争体験者です。
それだけに、戦争の理不尽さ、馬鹿馬鹿しさは身に染みていた世代。
もともと岡本監督の念頭にあったのは、和製アクション西部劇でした。
しかし岡本監督の弁によれば、日本で西部劇を取ろうと思ったら、舞台になるのは戦場しかなかったとのこと。
彼は説教臭い戦争映画など撮るつもりはさらさらありませんでした。
不謹慎など百も承知の上で、徹底した娯楽映画を目指していたわけです。
そんなわけですから、本作の主人公荒木(佐藤允)は、飲む打つ買うと三拍子そろったヤクザな従軍記者です。
どこの隊にも属さないで、ネタのありそうなところを気分で渡り歩く風来坊です。
ですから、彼が体現しているのは、まさに西部劇に登場するさすらいのガンマンそのもの。
そこにミステリー仕立てのエピソードを加えたり、派手な撃ち合いや戦闘シーンも満載。
とにかく観客に喜んでもらえることを最優先にしたオリジナルで脚本は、監督自身が書き上げました。
そして、そこにちょこっと反戦メッセージくらいは入れさせてもらおうかというノリです。
東宝としては、岡本監督のあまりに破天荒な脚本に、多少腰が引けていたようなところもあったようですが、この映画が完成して公開されるや、本作は大ヒット。
終戦からすでに20年もたとうとしていた時代です。
観客たちが求めていたのは、辛気臭い戦争映画よりは、多少モラルに難はあっても、文句なく楽しめる痛快な娯楽作品だったんですね。
岡本監督は、このヒットで一気にブレイクしました。
岡本監督は、当初この作品の主役には仲代達也をオファーしていたそうです。
しかし、これは断られたとのこと。
その理由は、仲代達也が同じ時期に撮られていた「人間の条件」と被っていたから。
この映画で仲代達也が演じていたのは、戦争に運命を翻弄される悲劇の主人公です。
いくら役者とはいえ、同時にまったく正反対な兵士役は出来ないということだったようです。
しかし、結果論でいえば、佐藤允の起用は大正解。彼はこの役にはドンピシャリのはまり役でした。
まるで、リチャード・ウィドマークのようなバタ臭い悪人顔で、白い歯をむき出して二カーッと笑う日本人離れしたアクの強さは、小手先の演技なんてものを完全に凌駕していました。
彼にとっては、本作は2本目の主演作で、これが彼の出世作になっています。
本作には、三船敏郎、鶴田浩二といったビッグネームが脇を固め、その他にも雪村いずみ、上原美佐、中谷一郎、中丸忠雄、ミッキー・カーティスといった豪華な顔ぶれがズラリ。
これも岡本喜八人脈のなせる業でしょう。
しかし、そんな華やかなキャスト陣の中にあっても、佐藤允のキャラが見劣りすることはありませんでした。
個人的に日本の映画界で、この役がこなせる俳優として、すぐにピンと来たのは勝新太郎でしたが、案の定、彼はこの映画公開の三年後に、田村高廣と組んだ「兵隊やくざ」シリーズをスタートさせています。
大映のスタッフたちは、本作の大ヒットに刺激を受けて、「兵隊やくざ」を企画したのはほぼ間違いないところ。
本作は、昭和19年(1944年)戦争末期の、第二次世界大戦末期の北支戦線を舞台としています。
日本軍の中に「独立愚連隊」と呼ばれる小哨隊があり、各隊のはみ出し者を集めた警備隊として知られていました。
そんな小隊を持つ部隊の司令部に、荒木(佐藤允)という従軍記者がフラリと流れつきます。
荒木の目的は、独立愚連隊の小哨長だった弟の死因を究明すること。
彼は弟が交戦中に情婦と心中したという公式発表を信じられず、自分の手で真相を探ろうとしています。
荒木は弟が使用していた居室を調べ、ピストルの弾を数発発見します。
心中なら2発で足りるはず。それほどの実弾が使われるのはおかしい。
調査を進めるうちに、弟の死が単なる心中ではなく、何らかの陰謀によるものだという疑惑が深まります。
荒木は部隊を離れ、独立愚連隊が潜んでいる山へ向かいます。
その途中で出会ったのが馬賊の集団。彼らの案内で、荒木は独立愚連隊と合流。
しかし、独立愚連隊は、山中の陣地で敵に包囲される大戦争へと巻き込まれていきます。
最終的に独立愚連隊は全滅。
そして、荒木だけは生き残り、彼は馬賊に助けられます。
しかし、束縛されることを嫌う荒木は、そんな彼らと別れ平原の彼方へと去っていきます。
岡本監督は、それぞれの役柄に合わせて個性的な俳優を選んでいます。
演技よりも、スクリーンを圧倒するような存在感を重要視ししました。
三船敏郎を怪我で現実感覚を失った大隊長役、鶴田浩二を無国籍な感じの馬賊役に起用するなどは、その最たる例でしょう。
そして、岡本監督は俳優の演技に対して、かなりの自由度を与えていました。
「好き勝手にやっていい」という方針で、小手先の演技よりは、俳優の個性を最大限に引き出そうという演出に徹していました。
とにかく、観客が喜んでくれるものはなんでも取り入れる。
この方針から、本作にはミステリーや恋愛など、様々な要素が巧みに織り交ぜられています。
そこに、従来の「戦記もの」とは異なる新しさが本作にはあります。
過酷な戦場でも人間らしくあろうとする兵士たちのコミカルな姿。
重厚な戦争映画とは対照的な、軽快で小気味よいタッチがこの作品の真骨頂でしょう。
「独立愚連隊」の底辺に流れるのユーモアは、戦争映画に娯楽性と批判精神を両立させる新しい可能性を示し、日本映画界に大きな影響を与えたことは間違いなさそう。
所詮、戦争なんてものは、カメラをグッと引いて眺めてみれば、非日常空間で理性を破壊されてゆく兵士たちの哀れな喜劇なのかもしれません。
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