なかなか楽しませてもらいました。
17歳の女子高生(日本流にいえば)が、主人公なので、青春ライトノベルのつもりで読んでみましたが、リアルな犯罪小説としても読みごたえは充分。
とにかく、主人公ピップが実に魅力的です。気がつけば、年甲斐もなく、この17歳の名探偵にエールを送りっぱなしでした。
物語は架空のイギリスの町リトル・キルトンを舞台に、17歳の高校生ピッパ(通称ピップ)・フィッツ=アモビが、学校の自由研究プロジェクトを通じて5年前に起きた殺人事件を再調査する様子を描いていきます。
事件では、人気者の高校生アンディ・ベルが殺害され、その恋人サリル(サル)・シンが犯人とされました。
しかしピップは、サルが無実であると信じており、真犯人を突き止めるために、サルの弟ラヴィと協力し合って、調査を進めます。そして、ふたりがたどり着いたい意外な真相とは・・
本書は、ホリー・ジャクソン女史による、2019年に発表されたミステリー・デビュー作品です。
彼女は、1992年生まれといいますから、今年で33歳。
本書を執筆していたのは、当然20代後半ということになります。
作者が、主人公のピップに年齢も近いとあって、主人公の描写はリアリティ抜群。
この若きミステリー作家がちょっと気になったので、リサーチしてみました。
ホリー・ジャクソン(Holly Jackson)はイギリス出身。彼女はバッキンガムシャーで育ち、15歳の頃に最初の小説を完成させるなど、幼い頃から物語を書くことに情熱を持っていました7。
本作は、シリーズ化されていて『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』と続きます。
彼女の作品は、若者特有のテンポ感ある会話やSNSを活用した捜査手法など、現代的な要素が多分に盛り込まれています。
また、登場人物の心理描写や謎解きの巧妙さも高く評価。日本でも「このミステリーがすごい!」や「本格ミステリ・ベスト10」などで上位にランクインしています。
ホリー・ジャクソンは、本作執筆に際しては、ポッドキャスト『Serial』から大きな影響を受けたと語っています。
本作においても、特にその構造や語り口が作品に反映されているようです。
『Serial』は、ホストが1つの事件を深く掘り下げながら、自身の仮説を絶えず問い直すスタイルで展開される犯罪ポッドキャスト。
この形式が、ミステリー作家を目指していたジャクソンにとって非常に魅力的であり、本作に「アマチュア探偵」というリアルな視点を持ち込むきっかけとなったと語っています。
『Serial』は、ポッドキャスト内で提示される情報に加えて、ウェブサイト上で補足的な「証拠」も提供しています。この証拠には、事件関連の写真や文書、インタビューの記録などが含まれ、リスナーがより深く事件を理解できるよう促しています。
この形式は、本作にも多く流用されていて、いってみれば「素人参加」している読者に対して、捜査の進捗と、真犯人の候補がわかりやすく示されていて実に読みやすいわけです。
とにかく本作には、17歳の高校生の日常感があふれんばかり。
スマホやパソコンを使うのが当たり前になっている彼女たちの環境が、小説の中にそのまま反映されていて斬新でした。(ちなみにスマホというのは日本だけの呼び方で、本作内ではすべて「携帯」といっています)
僕は古典ミステリーで育ってきた世代ですので、最新デジタル機器がミステリーの中で使われているのはあまりお目にかかっていません。
ですからその分、現代のミステリーを読む場合には、スマホなどのデジタル機器や、インターネットの扱いには、それなりに興味を持っていました。この最新技術を使ったら、ミステリーのトリックはいったいどうなるのというわけです。
しかし、日進月歩のデジタル機器を、小説内に登場させるのは、かなりのリスクがあるようで、意外にそれらを活用しているミステリーには出会っていないというのが正直な感想。
それはそうです。2010年代初期には、みんなが当たり前に使用していたガラケーを今使っている人は、ほとんどいません。今や、後期高齢者の方もスマホを持つ時代です。
小説を執筆していた時代には、最新だったインターネット環境や、モバイル機器が、ほんの数年で時代遅れになってしまうのはあたりまえなわけですから、ミステリー作家の皆様も、その辺りには慎重になるのでしょう。
枝葉末節なところでは、その時代の最新機器を使用することはあっても、ミステリーのメイン・トリックは、従来の本格ミステリーの路線から、それほど外れていないものを使うというのが、ミステリー界の一般常識的になっているような気がします。
ミステリーは好きですので、「刑事コロンボ」や三谷幸喜脚本による「古畑任三郎」は、時々撮ってあるDVDで見直すのですが、その放送当時の最新機器であるファックスやデジタル・タイマーなどがトリックに使われていると、逆に古臭く思えてしまったものでした。
俳優が使用している携帯電話のスタイルを見れば、そのあたりは一目瞭然です。
個人的なことを申せば、現役の頃は、会社内のデジタル管理部門を長くやっていました。スマホなどを持つのも比較的早かったので、なおさらなのかもしれません。
さらにいえば、読書は完全にデジタル派。持っていた蔵書は比較的早い段階で、すべて裁断してスキャナーで電子書籍化しています。
定年退職した今でも、図書館から借りてきた本は、すべて一頁ずつスキャンして、電子書籍化。
読む時には、iPhone を横において、わからない単語を検索しながら、iPadをスクロールしています。
そんなわけですから、年齢の割にはバリバリのデジタル嗜好というわけです。
そんな最新機器ミーハーですから、いつかはこんな電子機器をメインに使ったミステリーが、この世界では当たり前になっていくんだろうなあとは朧げに思っていたわけですが、ミステリーのトリックは意外にも保守的。
いわゆる傑作と呼ばれる本格モノは、例えば50年前の人が読んでも通じるような普遍的なトリックが主流だったような気がするわけです。
ところが、本作はその辺りがまったく新しかったなあという印象でしたね。
やはり、若い作家ならでは感性なのだろうなあと感心した次第。
思えば、一世紀以上も前の古典ミステリーでも、その時代の最新器具を、トリックに使っていたわけです。
例えば、作者が本作における緻密なプロット構成を、ポッドキャストの音声資料を大いに参考にしたというのも新しいといえば新しい。
通常の参考文献資料は、巻末に参考図書がズラリと並ぶものですが、本書においては、番組に意見を寄せた視聴者の多角的な意見と、その「言い回し」を大いに参考にしたというわけです。
今の日本の高校生がどうかは知りませんが、本作の若き登場人物たちは、ほとんどがパソコンを一人一台所持し、その上で、スマホなどのモバイル機器もフル活用。
ちなみに、日本の場合には、iPhone のユーザーがかなりの割合を占めているようですが、イギリスではAndroid ユーザーの方が圧倒的多数派のとのこと。
僕のような年寄りには、SIMカードなどといわれてもピンときませんが、本作の中の高校生たちは、かなり当たり前に使いこなしていました。
プリンターの印刷履歴をパソコンに保存する設定なども、主人公が当たり前に使いこなしていました。
現役サラリーマンの頃は、個人的にもこの設定を自分のパソコンに仕込んで、デジタル管理をやっていたクチですから、おもわずニンマリです。
主人公ピップは、関係者のインタビューを録音して、まめに文字起こしをして作業記録を取っていました。
これなどは、本作発表から5年たった今では、AI の文字起こし機能が、ワンクリックでほぼ一瞬でやってくれますので、教えてあげたかった。そうすれば、ピップも進学試験のための小論文作成に、もう少し時間をさけたはずです。
メッセージアプリは、日本ではLine が主流ですが、イギリスでは、WhatsAppが圧倒的に主流とのこと。
これも、そのやりとりが、スクショの状態で本文として使われているので、推理小説の構成としても斬新でした。
その他、スケジュール・アプリのメモも、そのアプリの状態で読む構成になっていて、リアリティがありました。
もちろん僕が読んだのは、服部京子さんによる日本語翻訳バージョンでしたが、それでも、その雰囲気はバッチリ伝わってきました。
もしも手に入るなら、イギリス版原書も一度覗いてみたいところです。
ピップが犯人を追跡するシーンには、GPS機能も大活躍。
これは、友人と現在地を確認し合うアプリが使用されていましたが、もちろん今時は、誰のスマホにも、紛失した場合に見つけられるような FIND アプリがあるわけです。
これって、僕らは知らず知らずのうちに当たり前に使っていますが、考えてみれば凄い機能ではあります。
僕の記憶でいうと、映画史上ではじめてGPS機能が登場したシーンは、1965年製作の007シリーズ第3作「ゴールドフィンガー」。
ボンドが乗るアストン・マーチンのレーダーに、敵の車に仕掛けたGPSの信号が映るというもの。
第二次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンでは、世界に先駆けたレーダーの威力で、ドイツ空軍を撃退したのがイギリス軍です。映画での登場が早かったのもうなずけます。
犯人のアジトを確認する場面では、お馴染みのストリート・ビューも活躍。
現地に赴くリスクを負わなくても、今や住所だけが分かっていれば、その周辺の様子が3Dで確認出来て、しかもプリントアウトまでできるわけですから、ミステリー小説にはもっと頻繁に登場してもいい機能だと思うのですが、使われているのを確認できたのは、本書が初めて。
ミステリーのアイデアも飽和を迎えている感がある中、ジェームズ・ボンドも泣いて喜ぶこれらの秘密兵器をオールインワンで備えているスマホは、もっとミステリー小説の中で活用されても不思議はないとは思っていました。
とまあ、最近読んだ現代ミステリーとしては、そんな点が意外にも新鮮でしたので、デジタル・オタクとしてはおもわずはまり込んでしまった次第。
そして、本作はそんな最新デジタル小道具に特化したミステリーというだけではありません。
現代イギリスが内包する社会問題にもグイグイと肉薄していきます。
イギリスの社会問題としては、青少年の麻薬問題に対して、本作は切り込んでいます。
イギリスの青少年(16~24歳)の19%が過去1年間に何らかの違法薬物を使用した経験があるというデータがありました。主な薬物: 大麻、コカイン、MDMAなどが多用されており、一部地域では大麻使用が非犯罪化されている地域もあるとのこと。
イギリスでは、日本と比較して薬物が比較的手に入りやすく、パーティードラッグとして定番になっている傾向があります。10代後半から20代前半の若者が中心で、特に都市部で蔓延している状況です。
これは本作のストーリーの中にも確実に反映されていて、麻薬の売人が高校生と接触し、パーティではロヒプノールという睡眠薬系麻薬が、デートレイプドラッグとして悪用されるシーンがあります。
アメリカ同様、麻薬に関しては、日本と比べて段違いに緩いのがイギリス社会というわけです。
そして、やはり人種問題です。
イギリスもアメリカと同様、アフリカから黒人奴隷を大量に連れてきた国ですが、アメリカと少々事情が違うのがかつて植民地であったインドからもたくさんの移民を受け入れています。
2021年の国勢調査の結果では、イギリス国内にはおよそ176万人のインド系イギリス人がいるとのこと。
これは、比率でいえば全国民のうちの2.5%の割合になります。
この比率がアメリカの場合が1.3%だそうですから、それのおよそ2倍。
もちろんインド系の人たちは、イギリス社会の中で、差別の問題に直面してきました。
しかし、イギリスにおいてインド系の人たちは、確実にその地位を獲得してきています。
この小説と同じ年に公開されたイギリス映画「イエスタディ」の主人公は、インド系の俳優ヒメーシュ・パテルでしたし、イギリス史上初の非白人、アジア系、そしてヒンドゥー教徒の首相として歴史にその名を刻んだはインド系のリシ・スナク氏でした。
本作品の中で、アンディ殺害事件の犯人として、自殺したことにされてしまうサル・シンと、弟のラヴィ兄弟は共にインド系の青年です。
兄と造形がそっくりなラヴィンは事件後、街の人たちからの冷たい視線にさらされ、家族と共にひっそりと生きていくことを余儀なくされます。
一方、ピップの家の方も、人種的にはかなり複雑です。
白人同士の両親の間に生まれたピップは白人ですが、父親はピップが、1歳にもならないうちに交通事故で亡くなります。そして、母親が再婚したのがナイジェリア人。
本書の中には、「黒人」という表現が使われないので、気になって検索してみたら、ナイジェリアに多いハウサ人、ヨルバ人は共にアフリカ系でした。
ですから、ピッパとは異父姉弟になるジョシュは、白人と黒人のハーフということになります。
しかし、ピップはこの家族たちをこころから愛していて、そこに愛犬のバーニーを加えた家族の間には、いつも笑顔が絶えません。
そんな、ピップの心の中に、人種差別の意識などが育つはずもなく、インド系のラヴィとのパートナー・シップは最後までこの物語を支えていきます。
ラヴィが、ピップに聞きます。
「君は何で、この事件を自由研究に選んだの。」
ピップは応えます。
「サルは、父親がナイジェリア人だったことでいじめられていた私を救ってくれたの。サルは私のヒーローだから。」
これには、胸を鷲掴みされましたね。
不覚にも、小説の冒頭からウルッとされられてしまって以降は、哀れ66歳の読者はもう作者の思うつぼ。
やることなすこと無鉄砲ながら、それでもちゃんと地に足はついているこの熱血少女の冒険譚に、最後の1頁まで引きずり込まれてしまいました。
不思議なものです。
これは、「ザリガニの鳴くところ」を読んだ後でも感じたことですが、ミステリーにおいて主人公に必要以上に感情移入してしまうと、真犯人やどんでん返しが、どうでもよくなってしまうんですね。
もちろん、本作は600ページに及ぶ大長編ですから、サプライズな展開やスリリングな冒険、意外な真犯人、そしてどんでん返しといった仕掛けはすべて用意されているのですが、結局読み終わってみると、印象に残っているのは、最後のピップの晴れがましい笑顔だけ。(たぶん笑っているはず)
もちろん、この小説の中では全員にハッピーエンドが用意されていたわけではないのですが、このピップの笑顔で読者は納得させられてしまうわけです。
もし、あなたがミステリー小説に使えそうな、斬新なトリックやどんでん返しのネタをお持ちなら、一言だけアドバイスいたします。
その小説の主人公はあまり魅力的に描かないこと。
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