日本人で、黒澤明が嫌いという人は、長島茂雄が嫌いという人よりも少ないかもしれませんな。
「映画が好き」という人なら、老若男女、古今東西問わず、黒澤映画の圧倒的クオリティを否定する人はないでしょう。
その黒澤映画の屋台骨を支えた脚本家が橋本忍氏。
彼は、黒澤映画全30作のうち、8本の映画のシナリオに携わっています。
その、橋本氏が、シナリオという立場から、黒澤映画を語ったインタビュー番組がこれ。
「没後10年 黒澤明特集 脚本家・橋本忍が語る黒澤明」
BS2の番組です。
僕ならずとも、黒澤映画ファンには、たまらない内容でしたね。
橋本忍氏と、黒澤監督の出会いは、映画「羅生門」。
そして、その次のコンビ作が、名作「生きる」。
この「生きる」の製作中に、橋本氏は、黒澤監督から次回作の構想を打ち明けられます。
黒澤監督は、橋本氏にこうもちかけます。
「今までになかったリアルな時代劇で、『侍の一日』というのはどうだろう」
黒澤監督は、徹底的な時代考証をした上で、リアリズムに徹した時代劇を作りたかったようです。
これを受けて、橋本氏のリサーチが始まります。
問題となったのは、食事の習慣。
氏が、国会図書館でいろいろ調べたところ、江戸時代の侍が、はたして1日に飯を2回食うのか、3回食うのかという、基本的なところがわかりません。
これは、このシナリオを書く上で、重要なポイント。
脚本家・橋本忍は、当時の記録には、「事件」に関する記述は山ほどあるのに、普段の生活習慣に関する記録が、まるで残っていないという現実に突き当たります。
「いいかげんな検証のまま、シナリオを書いては、黒澤明の名に泥を塗ることになる」
こう考えた橋本氏は、独断で、この調査の資料とメモを勝手に燃やしてしまいます。
これには黒澤監督も激怒。
しかし、後の祭りです。
さて、それからしばらくたったある日、黒澤監督、今度は、昔の剣豪たちを集めたオムニバスを作ったらどうだろうという構想を、橋本氏にもちかけます。
「侍の一日」の脚本の件で、黒澤監督を怒らせてしまった橋本氏は、ここは強気に出ます。
「監督、それなら簡単です。二週間いただければ、脚本を書き上げてお持ちします。」
この発言を支えた根拠は、江戸時代に書かれた一級資料「本朝武芸小伝」の存在。
この資料に、名だたる剣豪たちの、いろいろなエピソードが満載されているというわけです。
橋本氏は実際に、この資料を基に、約束の15日間で「日本剣豪列伝」のシナリオを書き上げ、黒澤監督に届けます。
しかし、それを、じっくりと読んだ後の黒澤監督の言葉。
「なあ、橋本君。やはりクライマックスのおいしいところだけを繋げても映画にはならないなあ。
シナリオには、やはり起承転結が必要なんだよ」
ガックリと肩を落とす橋本氏。
これで、二本分のシナリオが泡と消えます。
しかし、黒澤監督もすごい。まだまだ諦めません。
今度は、名もしれない兵法者が武者修行するという映画はどうだろう橋本氏に相談します。
「武者修行って言うが、いったいカネはどうしてたんだ?」という話から、いろいろと調べていったら、彼らが、百姓の護衛をアルバイトでやって糧を得ていたという資料を発見。
そこから、侍が農民に雇われて、合戦の助太刀をする、というアイデアが生まれます。
そしてこの侍ひとりひとりのキャラクターの設定に、泡と消えたオムニバス映画「日本剣豪列伝」の武芸者たちのイメージが見事に生かされることになります。
橋本氏曰く、
「ひどい目にあったんだよ。シナリオを3本作って、はじめて日の目を見た1本だからね。
まさに、シナリオライター受難の巻だね。」
さて、このシナリオは、まさに前代未聞。
黒澤明、橋本忍、小国英雄という三人の脚本家の、共同執筆という形でスタートします。
早速、こんな話になります。
「さて、農民に雇われる侍の数は何人にしよう。」
「3-4人じゃ少なすぎるなあ。8人か?9人か?いや、それじゃ多すぎる。7人だな」
黒澤映画の最高傑作、日本が世界に誇る映画「七人の侍」誕生の瞬間です。