入り口を入ると、まず緑に染まった五阿弥池を隔てた向こう岸に立ち並ぶ、合掌造りの重厚な民家群が目に飛び込んできます。
飛騨の厳しい自然と風土から生まれた多様な茅葺き民家や榑き民家、和紙透き小屋、炭焼き小屋、水車小屋、路傍の神仏、段々畑、田んぼなどなど。
歴史に刻まれた美しい風景が見事に再現されております。
これは、この地のオリジナルではなく、あの有名な白川郷から、一部の旧家を移転してつくった観光名所ということになります。
とにかく、じっくりみればみるほど、昔の人たちの生活ぶりが目に浮かんでまいります。
こういうところは、好きですね。時間があれば、ゆっくり何時間でもいられそうでしたが、時間通りの定期観光ではそうもいきません。
松倉山の地形をうまく利用し、田んぼ、段々畑、石垣、鎮守の森、道祖神、屋敷林に囲まれた茅葺き屋根の古民家を見事に再現。
暗い民家には囲炉裏に火が焚かれ、沢筋には清らかな水が走り、板葺きの小屋では水車が回っています。
当然ながら、いにしえの日本の山村では、かつてはどこにでも見られた風景です。
ここでは、おそらくボランティアと思われる私設のガイドさんが、各団体様に、この日本の原風景を、説明しているという光景をあちらこちらで見かけます。
皆様、定年退職して悠々自適のオジイサマたちでしたが、日本の文化を、自慢げに、外人さんたちに、説明しておりました。
「私たちが飛騨の里で感じていただきたいのは、昔の日本人が培ってきた、現代に通じる「自然への深い眼差し」と「知恵の集積」。
それらは民家の柱一本、草鞋一足に至るまで、ぎっしりと詰まっています。
未来を知るためには過去を知らなければなりません。飛騨の里は未来への鑑として、日本人の進むべき道を示してくれると私たちは確信しています。」
カタコトの日本語の外人観光客と、飛騨弁まるだしの、ガイドのオジイチャンたちとのやりとりは、実に微笑ましいですね。