ドキュメンタリSP 大島渚“最後の闘い”~奇跡の夫婦愛4000日~」
撮りだめしていた、ハードディスクレコーダ DIGA の中に、こんな番組が紛れ込んでいました。
大島監督が、脳梗塞で倒れたのが、1996年。
そこからの闘病生活が、克明に描かれたドキュメント。
言語障害・右半身麻痺を必死に克服すべくリハビリに励む姿が、放映されました。
我が父親も、晩年は、ほぼ同じ状態でしたので、感慨もひとしお。
大島監督は、この体の麻痺は完治不能と医師に告げられた日に、はじめて夫人(女優
の小山明子)の前で大粒の涙を見せたそうです。
そして、倒れた後の自著で吐露した心境。
「出来ることなら、周囲の誰にも迷惑をかけないように、静かに消えてゆきたい」
討論番組で、ハイテンションで怒鳴りまくっていた大島監督を思うと心に染み入りますね。
さて、そんな彼の作品を一本見てみようと思いたち、選んだ作品がこれ。
「愛と希望の街」
記念すべき大島渚の第一回監督作品です。製作は1959年。(ちなみに僕が生まれた年)
貧困という、まだ当時としてはかなりリアルであった社会問題に切り込んだ、若き26歳の大島監督。
絵に描いたような金持ちの娘と、絵に描いたような貧乏な少年。
設定はまだまだとても安易、役者の演技もかなりクサイ。
僕の知っている俳優は、渡辺文雄だけ。
映画としては、かなり地味です。
今の若者たちが見れば、フルクサーイと笑うでしょうな。
確かに、現代の日本ではこの映画に登場するような、ステレオタイプの貧乏人は、もはや存在しないかもしれませんが、それでも貧富の格差は、今も昔も共通の問題。
現代の金銭中心主義の世の中では、永遠のテーマといえるでしょう。
ビル・ゲイツと自分の収入格差には、僕だって憤りを感じます。
反体制の旗手として、社会にアンチテーゼをぶつけ続けてきた、大島渚監督の気骨が、静かにその産声をあげているような映画とでもいいましょうか。
その大島監督のデビュー作であるこの映画のタイトルについて、ちょっと面白いエピソードがありますので紹介しておきましょう。
実は、大島監督が最初希望していたこの映画のタイトルは、これ。
「鳩を売る少年」
これが、「地味」ということで、会社側に却下され、すったもんだの末、どういう経緯で公開のタイトルになったのか。
面白いので、そのヒストリーをちょっとご紹介。
「鳩を売る少年」
「怒りの街」
「愛と怒りの街」
「愛と悲しみの街」
そして、最後。
「愛と希望の街」
大島監督のデビュー作のタイトルは、自分の意向は認められず、最後は、会社側に押し切られた格好となり決着。若き大島監督は、だいぶくさったようです。
あの「朝ナマ」の討論会よろしく、大島監督は、このときの松竹のオエライさんたちに向かって、こういいたかったんじゃないでしょうか。
「バカヤロウ!」
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