9月28日の白川郷は晴天でした。
もう一週間がたとうとしておりますから、はやいものです。
この白川郷は、以前から一度いってみたいところでした。
白川郷というのは、もともと岐阜県内の庄川流域の呼称です。
しかし、今日では白川村のみを指すことが多いようですね。
特に、白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られるところ。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。
しかし、世界の文化遺産に指定はされていても、この村では、現在もちゃんと住民登録をした、村民たちが、粛々と日々の生活を営んでおります。
その村に、僕のようにカメラ片手の好奇心旺盛な観光客が、毎日のように訪れるわけです。
その観光収入が、生活の糧になっているという思いはあるでしょうが、彼らも、それはそれで大変かもしれこのないなあと思ってしまいますね。
この日の白川郷は、日曜日ということもあって、観光バスは、駐車場にあふれんばかり。
観光客の平均年齢は、かなり高い感じでしたが、パックパッキングモードに固めた、外人ツアー客には、けっこう若者の姿も多かったようです。
日本の生活に根ざした文化と、「知」の集積がこの合掌造りの村の、いたるところで見学することが出来ます。
彼らが、村のあちらこちらで、感嘆の声を上げるたびに、この村の住人ではない僕も、「いい気持ち」になれましたね。
「へん、どんなもんだい。日本人は」
おっと、そんなとこで胸を張っていてもいられません。
このツアーでの、この白川郷見学時間は、およそ2時間。のんびりしている時間はありません。
もちろん、この限られた時間で、この集落の隅々まで見学することは不可能。
そこで、とりあえず、19歳のガイド嬢のアドバイスに従って、今回は(次回はいつのことになるのやら)、入館料をとるポイントだけを、駆け足で回ってみることにいたしました。
まずは、村の西側にある「和田家住宅」。
和田家は天正元年よりつづく家柄で、江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務めた村の中では由緒ある名家。
最盛期には、20人以上の人が住んでいたといいます。
それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったという背景があります。
2階より上階では養蚕が営まれていたようで、2階にあがると、その道具が、所狭しと陳列されていました。
白川郷の住宅には、ほとんど囲炉裏があります。
この囲炉裏から暖をとるのですが、煙通しを良くする目的で2階から上の床板には、隙間があるんですね。囲炉裏の煙は、この隙間を縫って、家全体にいきわたるようになります。
実は、この囲炉裏の熱や煙には家屋の防虫・防湿効果があるとのこと。
この構造のおかげで、3階の梁までが、黒く燻されていました。
合掌造りは、屋根の形が合掌した時の手の形に似ていることから、こう呼ばれてるわけですが、この屋根の傾斜角度は60度の急勾配。
これで雪が降っても自重で落ちるように工夫されているわけです。
この60度の傾斜角を持つ屋根を設計のベースにして作られた家屋ですから、当然、各フロアは、上階にないくほど狭くなる設計。
この構造のため、家屋のあちこちにできる微妙なスペースを、上手く生活に取り入れている工夫が、 見ていて楽しかったですね。
こんな家で、「かくれんぼ」をやったら、たまりません。
もう一週間がたとうとしておりますから、はやいものです。
この白川郷は、以前から一度いってみたいところでした。
白川郷というのは、もともと岐阜県内の庄川流域の呼称です。
しかし、今日では白川村のみを指すことが多いようですね。
特に、白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られるところ。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。
しかし、世界の文化遺産に指定はされていても、この村では、現在もちゃんと住民登録をした、村民たちが、粛々と日々の生活を営んでおります。
その村に、僕のようにカメラ片手の好奇心旺盛な観光客が、毎日のように訪れるわけです。
その観光収入が、生活の糧になっているという思いはあるでしょうが、彼らも、それはそれで大変かもしれこのないなあと思ってしまいますね。
この日の白川郷は、日曜日ということもあって、観光バスは、駐車場にあふれんばかり。
観光客の平均年齢は、かなり高い感じでしたが、パックパッキングモードに固めた、外人ツアー客には、けっこう若者の姿も多かったようです。
日本の生活に根ざした文化と、「知」の集積がこの合掌造りの村の、いたるところで見学することが出来ます。
彼らが、村のあちらこちらで、感嘆の声を上げるたびに、この村の住人ではない僕も、「いい気持ち」になれましたね。
「へん、どんなもんだい。日本人は」
おっと、そんなとこで胸を張っていてもいられません。
このツアーでの、この白川郷見学時間は、およそ2時間。のんびりしている時間はありません。
もちろん、この限られた時間で、この集落の隅々まで見学することは不可能。
そこで、とりあえず、19歳のガイド嬢のアドバイスに従って、今回は(次回はいつのことになるのやら)、入館料をとるポイントだけを、駆け足で回ってみることにいたしました。
まずは、村の西側にある「和田家住宅」。
和田家は天正元年よりつづく家柄で、江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務めた村の中では由緒ある名家。
最盛期には、20人以上の人が住んでいたといいます。
それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったという背景があります。
2階より上階では養蚕が営まれていたようで、2階にあがると、その道具が、所狭しと陳列されていました。
白川郷の住宅には、ほとんど囲炉裏があります。
この囲炉裏から暖をとるのですが、煙通しを良くする目的で2階から上の床板には、隙間があるんですね。囲炉裏の煙は、この隙間を縫って、家全体にいきわたるようになります。
実は、この囲炉裏の熱や煙には家屋の防虫・防湿効果があるとのこと。
この構造のおかげで、3階の梁までが、黒く燻されていました。
合掌造りは、屋根の形が合掌した時の手の形に似ていることから、こう呼ばれてるわけですが、この屋根の傾斜角度は60度の急勾配。
これで雪が降っても自重で落ちるように工夫されているわけです。
この60度の傾斜角を持つ屋根を設計のベースにして作られた家屋ですから、当然、各フロアは、上階にないくほど狭くなる設計。
この構造のため、家屋のあちこちにできる微妙なスペースを、上手く生活に取り入れている工夫が、 見ていて楽しかったですね。
こんな家で、「かくれんぼ」をやったら、たまりません。
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