なんとも、魅力的な文章を書く人だろうとつくづく感心してしまいます。
高峰秀子という人は、「女優」としてというよりも、人間として「一流」なんだろうと思います。
そして、そういう「一流」の人の周りには、自然と「一流」の人たちが集まる。
そんな、一流の人たちとの交流を、気取らない、飾らない語り口で料理する筆致の見事さ。
小津安二郎、黒澤明、木下恵介そして、美智子妃殿下まで。
到底、われわれでは、かすりもしないような「超一流」の人たちが、彼女の筆にかかると、一気に身近に感じられてしまうからたまりません。
こんな彼女の「高峰節」炸裂のエッセイ「にんげん」シリーズ第三弾がこの本。
「にんげん住所録」
女優である高峰秀子の文章の、大きな武器となっているのが、彼女の「耳」のよさだと思います。
彼女と実際に接した、みなさんとの、言葉のやり取りの「すくい上げ方」が、実に達者。
「ありゃあ、デコちゃんてねえの」
これは、津軽弁丸出しの淡谷のり子さん。
「あんたの家の周りに、なにか食べるもんは、落ちとらんかね」
これは、元総理大臣・佐藤栄作の妻・寛子さん。
なにやら、その言葉のやりとりだけで、その人の、「人間」が浮かび上がってきます。
そのあたりの表現力はさすが。
この本を執筆してい時期の高峰さんは、すでに70歳を超えた老境。
1924年生まれの彼女は、今年で84歳。
本書の おわりに自分自身で書いた「私の死亡記事」なんぞという文章も収録されていました。
「老い先短い老婆ですので、どうか静かに、ほっておいてくださいまし」
そんな彼女の声が聞こえそうな文章ですが、、このあたりの茶目っ気も彼女の魅力。
僕が、この高峰秀子という女優から、目が離せなくなったのは、なんといっても成瀬監督の不朽の名作「浮雲」を見てからです。
そして、彼女の文章にも注目するようになっのは、彼女が自分の半生をつづったエッセイ「私の渡世日記」を読んでから。
思えば、37歳という若さで夭折した、我が父親の一番上のオネエサンが、この大女優・高峰秀子にそっくりの美人だったという話は、小さい頃から、おじさん、おばさんたちの話の端々で聞いていたことを思い出します。
そして、今回このブログを書くのに、彼女のプロフィールを読んでいて、突然遠い中学生時代の記憶がひとつ、高峰秀子とリンクいたしました。
中学の1年のときの担任が、初めての授業のときに、なにかの拍子に突然教室で歌いだした歌。
♪
緑の森の 彼方から
陽気な唄が 聞こえましょう
あれは水車の 廻る音
耳を澄ましてお聞きなさい
コトコト コットン
コトコト コットン
ファミレドシドレミファ
「リンゴの唄」でおなじみの、並木路子のオリジナル曲だとばかり思っていたこの歌の名前は「森の水車」。
この並木の発表したバージョン以前に、日本で始めてこの歌を正式にレコーディングしたのは、実はまだ18歳だった高峰秀子。昭和17年のお話です。
コメント