「幽霊っていると思います?」
よく聞かれる質問です。
こういう場合、それを聞いてくる人というのは、「実は私、見たことがあるんですよね」という自分の体験談に話をもっていきたいという「話の流れ」のイントロであることが、ほとんどのパターンですので、円滑な人間関係を営む常識上、あまり無粋な回答はしません。
「いてほしいと思うんですが、僕はまだ見たことがないんですよ」
まあ、そんなかんじに答えて、相手の話は、聞いてあげるようにしています。
それが、魅力的な女性であれば、身を乗り出し、やぼったい男子であれば、上の空にということにはなりますが。
「恐怖体験」というのは、人それぞれですが、一般的に「幽霊」といわれるものを見た見ないという話になると、やはり「目」で見たものが話題の中心になります。
「他の人には見えないものが、私には見える」という状態は、いつも「恐怖」と隣りあわせでシンドイという面よりも、実は意外とそういっている本人が、自分のその特殊能力に、秘かに「優越感」を感じているという面のほうが、大きいという気がしています。
つまり、「幽霊を見た」系の話というのは、僕には、その人の「自慢話」に聞こえてしまうんですね。
それが証拠に、「それって、スゴくない?」と返してあげると、まず間違いなく、その相手は、マンザラでもないご様子です。
僕は、マセガキでしたから、小さい頃から「恐怖もの」といわれるジャンルには、本だ映画だのメディアを問わず、けっこう首を突っ込んでまいりました。
楳図かずおの漫画は片っ端から読んでいましたし、「怪談モノ」「妖怪もの」といわれるジャンルには、古今東西問わず、むさぼるように見てまいりました。
実家は本屋でしたから、「恐怖の心霊写真集」シリーズなども、すべてチェック。
まあ、そのせいもありましょうが、映像的に「怖い」という経験は、そういう専門の作り手がいて、こちらは、そのサービスを、楽しませてもらえばいいという基本が、いつのまにか刷り込まれてしまったようです。
要するに、僕が認める「お化け」は、作り物であることが大前提です。
ですから、クラスの友達が、「幽霊を見た」系の話を、放課後の教室の片隅でプレゼン合戦している場面などでも、「おい、そりゃあの本のパクリ」だろうと思いながら、シラッと横目で眺めていたという、なんとも「かわいくない」子供でしたね。
大人になってきますと、この「可愛くない」モードは、さらに加速します。
但しお断りしておきますが、そうはいっても、僕は「エクソシスト」をを見れば、誰よりも椅子から飛び上がりますし、声も出します。
基本的に「怖がりたい」ということに関しては、実に素直で正直だと思っています。
いけないのは、実際に「幽霊」を見たとか、「超常現象」をみたとかいう類の、ほんとを装ったウソですね。
全部が全部とは思いたくありませんが、とにかく「ウソ」を、さも本当のことのようにエンターテイメントしようという類のものには、シビアになってしまいます。
これなら、映画のように、はじめから「つくりもの」ですを前提に、怖がらせてくれるほうが、まだ心を開けます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
幽霊なんてものは、所詮目の錯覚よと、味も素っ気もない言い方をするのもなんですが、しかし、多くの幽霊の正体は、「目の錯覚」に分類されるものが多いというのも事実だと思っています。
無粋なことを承知で、申し上げておきますが、人間の「視覚」というものが、そもそもかなり怪しい。
人間が情報として認識しているビジュアルは、実はその映像自体そのものが、実際に目に見えているものと、脳に蓄積されている情報との「合成画面」で成り立っています。
つまり、極端に言ってしまえば、人間は誰しも、視覚と言うものを、自分の都合で見ているということになんですね。
この人にはこう見えるものが、別のこの人にはこう見えるというのは、脳科学の見地からいっても、あたりまえの常識なんですね。
人間の脳が視覚を認識する時のメカニズムはこうなります。
まず、人間の脳は、実際に目に見えるものに対して、ボトムアップ処理と呼ばれる情報処理を行います。
そして次に、過去の経験に基づいて「こう見える」と予想される情報を組み合わせるトップダウンと呼ばれる処理をします。
そして、これを総合して、「視覚」として判断するわけです。
つまり、実際の映像に対して、視覚情報処理の段階で、人はみな、それぞれの過去の情報をかぶせているわけですから、すでにこの時点で、人間の視覚は、「思い込み」と「錯覚」が前提になっているということですね。
ホロウマスク錯視というのがあります。
映画でよく出てくる、あの変装用のラバーマスクを思い浮かべて見てください。
当然、人がそれをかぶるわけですから、マスクには、凸面と、凹面があります。
凸面に関しては、誰もが、問題なく普通に、3Dの立体画面として認識できるのですが、凹面が、なかなかそうはいかないんですね。
理屈で考えれば、凹面は、奥に引っ込んだ逆3Dに見えなければいけないはずなんですが、これがどうしても、凸面の普通の3Dに見えてしまうという錯覚です。
時間があればこちらを。
http://www.youtube.com/watch?v=G_Qwp2GdB1M
これが、実は人間が、見えるものに対して、過去の情報と照らし合わせた上で、今見える情報を作成しているという、何よりの根拠となります。
この錯覚がどうして起こるのか。
それは人が、過去のデータとして蓄積している人間の「顔」の情報を、すべて、凸面の3D映像として、持っているからなんですね。
そりゃあそうでしょう。
人の顔を、凹面としても、認識している人なんて、ホロウマスクを日常で製作している、映画の特殊メイクの人たちぐらいのものでしょう。
本来の人間の目の構造からすれば、光と影の具合から、凹面は、凹面として認識できても、けして不思議ではないのに、「認識」という脳の最終処理段階で、正常な人誰もが、これを識別できないという錯覚に陥ってしまうという事実。
これがすなわち、人の脳の中ではいつでも、「過去の情報」と、実際の映像の刷り合わせが、自動的に行われているという証拠になるわけです。
この「視覚予想」の影響力が大きいせいで、ホロウマスク錯覚では、凸凹が反転している視覚的な手がかり、たとえば影や奥行きといった情報は、「認識」の段階では、いとも軽く無視されてしまうというわけです。
だから、面白いのは、ぐてんぐてんに酔っ払っている状態の人や、脳のこの情報処理の部分に異常がある人には、この錯覚が起きないのだそうです。
つまり、脳がなんらかの原因で「怪しい」状態ですと、今見えている映像と、過去の映像データがうまく脳の中でリンクできないため、見たものが、見たままで認識されてしまうんですね。
昔から、「百聞は一見にしかず」といいます。
しかし、実際は、見える映像そのものが、何を隠そう、意識の中で、コントロールされて認識されているフェイクであるということ。
したがって、「目に見えるものは、すべて疑え」と思っていたほうが、無難なのかもしれません。
実は、人間の視覚は、何事も「自分の見たいようにしか、見ない」というように出来ている。
人間の、脳というのは、良くも悪くも、「うまく」出来ているんですね。
よくあるやつで、写真を見て、墓石の影に、誰それの顔らしきものが映りこんでいるというやつ。
これこそまさに、画像のトップダウン処理。
「そう見たい」という人にしか、そう見えないという、視覚のイタズラですね。
とまあ、ここまで、「幽霊」に対して、「可愛くない」見解ばかり述べてしまいましたが、もちろん、こんなことは、こういうところでしかやりません。
50年も生きて来ますと、「幽霊を信じない」なんて野暮な理屈を、こんな風に偉そうに述べれば述べるほど、嫌われてしまう(特に女子には)というのは、経験的にわかっておりますので、実際のコミュニケーションの場面では、そんな、自らの墓穴を掘るようななことは申しません。
口説こうと思う女性に、「幽霊って、見たことありますか」と聞かれれば、僕は、迷わずにこう答えます。
「見たことないけど、君と一緒にいると、見れるかもね。」
失礼しました。