日本の陸地で観測できるものとしては、46年ぶりという、皆既日食デイが昨日終わりました。
残念ながら、仕事なので、その時間は、フラリと外に出て、どんより曇った空の厚い雲の向こう側で繰り広げられている世紀の天体ショーに思いを馳せておりました。
現代の科学をもってすれば、ご承知のとおり、太陽がかけてくる時間から、場所によってかわるその欠け方までを、我々に情報として提供するくらいのことは、訳のないことです。
そして、この情報をもとに、多くの人が、鹿児島から沖縄の間の、皆既日食観察エリアに繰り出したようです。
現代人にとっては、一大エンターテイメントなってしまった、この皆既日食ですが、古代の人たちにとってはどうだったでしょうか。
考えてみれば、なんの予備知識もなく、昼間に空を見上げて、太陽が突然欠けてくる様を、目の当たりにしたら、普通はたまげますわな。
純粋に、この映像だけを見れば、すわ、天変地異だ、この世の終わりだということにもなりましょう。
しかし、恐れおののく多くの人たちの中に、この現象を冷静に見ている人もいたわけです。
紀元前612年にアッシリア帝国が滅ぼされた後、メディアとリュディアという国がが戦ったんですね。
そして、戦のさ中に、日食が起こります。戦士たちは、一気に戦意喪失。それをきっかけに和平となったと記録にはあります。
そして、この日食を予言していたのが、ギリシャの賢人タレス。
タレスはバビロニア人の把握していた日食のサロス周期を知っていたんですね。
タレスはバビロニアの天文学と数学、それにエジプトの幾何学を学んだ学者です。
日食の予言は古代の権力者には必須スキルだったのでしょう。
太陽が突然欠けていき夜のように暗くなる日食は、太古の人々を恐れさるには十二分の効果がありました。
日本の神話では、太陽の神「天照大神」が岩戸に隠れる場面が、日食を指すといわれております。
ほかの神々が天照大神を岩屋から連れ出すために宴会を始め、興味を持った天照大神が岩戸を少し開いて姿を見せる。そして、世界に光が戻る。
これも、日食にモチーフにした神話だという話です。
インドで伝わるのは、、頭だけの悪魔「ラーフ」の伝説。
この怪獣が、太陽をのみ込んで日食が起きると語り継がれています。
中国では由緒ある歴史書「書経」に、日食の記載があります。
日本に残る最古の記録は日本書記。ここにある記述が、「日、蝕(は)え尽きたる」。
遠い平安時代の源平合戦。水島の戦いの最中に日食が起きたという記録もあります。
これを知らなかった平家は、腰を抜かして敗走というのは歴史の事実。
そんなわけで、世界各地の神話や記録には、皆既日食の有り様が、けっこう描かれています。
つまり、この現象をうまく予言さえできれば、この民たちを、自在にコントロールすることはたやすいと考えた人もいるでしょう。
かの邪馬台国の女帝卑弥呼も、この皆既日食をうまく、予言して、あの時代の統治者になりえたといいます。
まあそんなわけで、この世紀の天体ショー皆既日食は、古代においては、、政治とのつながりは大きかった。
権力に色気のある知識人は、みんなこのエポックメーキングな自然現象をうまく利用して、「神」になりたがったといえましょう。
しかし、知識と情報をとりまく進歩で、皆既日食の扱われ方も、大きく様変わりです。
さて、我が国日本では、政治に、大きな所縁のある「皆既日食」デイの前日に、衆議院解散。麻生自民党の行方は、如何に。
これは、神のみぞ知るというところでしょうか。
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