酒井法子が、覚せい剤使用で、逮捕された事件を聞いて、昔々の、イギリス映画を思い出してしまいました。
「落ちた偶像」
これ、偶像と書いて、「アイドル」と読ませます。
グレアム・グリーンの原作を映画化したキャロル・リード監督の佳作で、原題は「THE FALLEN IDOL」。
彼が、名作「第三の男」を作る前の作品です。
しかし、この映画での偶像(アイドル)とは、人気アイドルのことを指すのではありません。
アイドルというのは、もともと「崇拝される人や物」「憧憬の対象者」という意味。
この映画の主人公の少年にとっての偶像は、この家の執事でした。
映画は、純粋な子供の視線から見た、大人たちの裏事情を、サスペンスフルに描いたキャロル・リードらしい映画です。
さて、ノリピーです。
覚せい剤取締法違反(所持)容疑ということでの逮捕ですから、犯罪は犯罪。
アイドルから出発して、上手にタレントとして、キャリアアップをしてきた人だなあという印象でしたからビックリはビックリ。
まさに「落ちた偶像」ということになってしまいました。
タレントという商売の最大の「売り物」は、イメージ。
それを、自らの手で、壊してしまったのですから、彼女のこの路線での「復活」はもはやなくなったといえるでしょう。
20年近くに渡って、彼女が築き上げ、磨き上げた「ノリピーブランド」でしたが、崩れ去るのはあっという間。
なんとも怖い商売です。
草なぎ君のときも感じましたが、そんな、危うげな、保証もない商品に、コマーシャルや映画などの、何億という利権が、絡まっているというのですから、まったくもって恐ろしい話です。
まあ、ノリピーをああだこうだというのは、別の方に譲るとして、僕が興味を持ってしまうのは、酒井法子(本名・高相法子)という個人と、我々が、ある意味勝手にイメージしているノリピーとのギャップですね。
まあ、有体に言えば、通常、このギャップが大きければ大きいほど、ニュースバリューも大きくなるということになりましょう。
あの「ノリピーが・・・」という衝撃度が大きいからこその、連日のニュース報道なのでしょう。
彼女に関する報道を拾い読みする限り、「自称プロサーファー」という怪しげな亭主とは、すでに別居状態にあったということですから、プライベートがけして「順調」ではなかったことは想像が付きます。
そんな中で、商売道具としての、ノリピーのあのイメージだけは、この事件があるまでは、なんだかんだといっても、それなりに守ってきたといえます。
しかし、そこには、当然ながらストレスがあった。
そして、そこには、不幸にして、覚せい剤もあったというところでしょうか。
あの、「さわやかな笑顔」というキャラで、芸能界を生き残り、アジア圏でも絶大な人気を獲得してきた彼女の「素」の部分と、ブランドの部分の格差が、いつから、何を原因に、どのようにして出来てしまったのか。
作り物でなかったかもしれないイメージが、次第に作り物になってきたとき、それを維持することの難しさと、壊れるときの脆さは、ノリピーの事件を見ずとも、過去にその凡例は、いくつも探せます。
最近のいろいろな芸能界絡みの報道を見る度に、誘惑と甘い利権が渦巻く芸能界で、長きに渡り、「無事故」でやっていくためには、よほど徹底した「自己管理」が必要なんだろうとつくづく思ってしまいますね。
ちょっとイケメン、ちょっと可愛いくて巨乳くらいの中途半端な「商品」で、なまじっか、芸能界の「おいしさ」など体験してしまおうものなら、もういけません。
芸も磨かずに、調子こいているうちに、あっという間に「落とし穴」に落っこちて、二度と再び、這い上がれないというのが関の山。
芸能界のどちら様も、ゆめゆめ、自分を「特別」などとはおもいませぬよう。
そういえば、彼女には、10歳の子供がいるんですね。
この子は、おそらく、自分の母親の、そんな「闇の部分」なんて、知らないはずですね。
しかし、否が応でも、自分の母親の周囲を取り巻く異様な状況から、この息子を完全にシャットアウトするのは困難なはずです。
イノセンスな10歳の子供には、今自分の母親がいったいどのように見えているのか。
この報道を見て、ふとこのいにしえの映画「落ちた偶像」を思い出してしまったのは、このあたりのことでしょう。
映画の方は、これに一ひねりしたラストになっていましたが、ノリピーの現実は、果たしてどう転がるか。
それにしても、押尾は救われたな。ノリピーのおかげで、完全にかすんでます。これも、とんでもない事件なのに・・
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