まずは、昭和45年に松竹で製作された「家族」という映画。
監督は、山田洋二。
長崎県の小さな島を離れ北海道の開拓村まで旅する一家の姿をドキュメンタリー風に撮った全編ロケーションのロードムービーです。
一家が向かったのが、北海道の東の端、根室の原野にある中標津。
会社に使われるのが性に合わないという井川比佐志演じる亭主に、家族と一緒についていくと決めた妻・民子が倍賞千恵子 。
「故郷」「遥かなる山の呼び声」と続く、これが民子三部作の第一作。
旅の途中で愛娘を亡くし、たどりついた中標津で、じいちゃん(笠智衆)をなくし、後悔と悲嘆にくれる一家にも、やがて、春が訪れ・・
この映画、山田作品ということもあり「寅さん」ファミリーが、あちらこちらで顔を出していて、「男はつらいよ」オタクの僕としては、ニヤニヤしっぱなしの映画でしたが、そんな、中標津の大地に訪れた春のラストシーンがまだ頭に残っている夜に、ふと見たのが、以前に録画してあった「プロフェッショナル 仕事の流儀」。
この日の主人公は、「酪農のカリスマ」と呼ばれている酪農家・三友盛行氏でした。
そして、彼の牧場があるのが、この映画のラストだった北海道・中標津町でした。
実は三友氏の出身は「寅さん」の地元近隣である東京は浅草。そして、その彼が、中標津の開拓村に旅立ったのが昭和43年。
見事に、映画「家族」の一家たちと重なります。
なるほど、この一家たちが、40年以上もの長きにわたり北海道の自然と向き合うことで、「酪農のカリスマ」にまでなったか。
まあ、頭の中で、勝手にそんな想像をふくらませながら、テレビを見ていました。
さて、三友さんの酪農は、今の時代にひとり背を向け、放牧を中心に、牛に自然の草を食べさせることにこだわる、人呼んでマイペース酪農。
牛舎は古くて小さく、飼っている牛の数は地域の平均の半分以下。生産する生乳の量は3割。
それでも、三友氏は、すべて自分の手の届く範囲というところにこだわり、驚くべき利益率をあげているのだそうです。
「人間は、自然のおこぼれをもらう」
「立ち止まって、足るを知る」
「自然と生きてこそ農民」
環境の時代、エコの時代の今聞くと、彼のどの言葉も実にシビれます。
さて、そんな三友氏の言葉にしびれている夜に、ふと見た映画が、「デルス・ウザーラ」。
黒澤明の作品です。
ロシア人探検家による探検記録に基づいて製作された全編ロシアで撮影された日ソ合作の映画。
デルス・ウザーラは、ツンドラの森林に生き、自然と共存する先住民ゴリド族の猟師です。
演じているのは、マキシム・ムンズーク。ロシアの俳優なのだそうですが、僕にとっては、彼こそがまさにデルス・ウザーラそのもの。
当初この役は、三船敏郎が演じる予定だったということですが、それはボツになって大正解でしょう。
この役者でなければ、この映画の成功はなかったといっていいと思いますね。
さて、この映画のテーマが、「自然と人間の共存」。
黒澤監督としては、珍しいテーマですが、彼が助監督時代から暖めていた企画なのだそうです。
そして、映画の中のデルス・ウザーラが、今日的な目線で見れば、おもいきり環境 ISO 1400 要求事項に準拠しているんですね。
さすがは、世界の名監督。先見の明があります。
食べ残した肉を火に放り投げようとする探検隊員に、デルスが怒ります。
「火に入れると肉は残らない。生のまま残せば、次に来た人が食べる」
「こんな、山奥に誰が来る?」
「たぬき、いたち、あらいぐま!」
森羅万象すべてを人格化し、厳しい自然に鍛えられた観察力と生活力を、森で生きるスキルにしているデルスと、牧場の主人公は、「草と土と牛だ」といい、人間はその支援役だといって、野良猫や牛に声をかける三友氏の顔が、おもいきりオーバーラップ。
デルスは、映画の中のセリフによれば、天然痘で家族を失うという悲しみを背負っています。
これはこれで、映画「家族」の中で、娘と父を失ってしまう開拓一家とオーバーラップ。
そうなると、皺に刻まれ、老いたデルスの顔が、「家族」の父を演じた井川比佐志にも見えてきます。
というわけで、たまたま見た映画やテレビ番組が、僕の中でスクランブルにリンク。
頭の中で、ごちゃごちゃになっておりましたが、ここで、なにやらひとつの形が見えてきました。
今自分が潜在的に考えていることが、おぼろげに浮かび上がってきたようです。
「老後は、田舎に行って、自給自足」
ちょっと、はっきり言葉にすると、われながらドキリとしてしまいますが、たぶん、日々の生活の中で、僕はこんなことを考えている節があります。
今僕は、50歳ですから、60歳になったら、是非田舎に行って暮らしたい。
農業へのあこがれですね。
デルスのように、銃はもてないし、三友さんのように牧場はもてませんが、鍬をもって、裏の畑を耕すくらいは出来るんじゃないか。
なにせ、小学校では、「飼育栽培部」でした。
しかし、いまのところ、この計画は、まったくの白紙。なんの資金も無ければ、ツテもコネもなし。
さて、そんなこんなの「おもいつき」を、おそるおそる、相方に相談してみました。彼女も実は飼育栽培部の経験ありです。
「あのお、老後は、八ヶ岳あたりに引っ込んで、農業でもどうでしょう?」
そうしましたら、彼女曰く、
「無理無理。寒いから、いやーだ」
まあ、そりゃあそうでしょうね。そう簡単に「うん」とはいってくれないでしょう。
しゃあない、根気よく説得ですな。
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