「あの映画の、高峰秀子はよかったわよ」
正月に集まった、親戚のオバサンたちが、夜も更けた頃、遊びつかれた子供たちを横目で見ながら、タバコをプカプカさせて、そんな映画談義をしていた記憶が今でも鮮明なんですね。
僕は、もちろんまだ子供で、高峰秀子がどういう女優だなんて知りません。
オバサンたちが語っていた「あの映画」というのが、「浮雲」という映画だと知ったのは、それをはじめて見た大学生の頃。
池袋の名画座の暗闇の中で、絶妙の演技で観るものをひきつけるスクリーンの中の高峰秀子という女優の魅力にまいりながら、小さい頃、オバサンたちが語っていたセリフの断片がはじめてつながりました。
「あの伊香保の温泉いったのよ。」
「マフラーの使い方マネしたね。」
なるほどなるほど。
『浮雲』は1955年に公開。
ですから、僕の生まれる4年前の映画。
監督は、成瀬巳喜男。
原作林芙美子で、脚本が水木洋子。
若き日の岡本喜八がチーフ助監督。
そして、主演に高峰秀子と森雅之。
脇を固めた俳優も豪華です。加藤大介。まだお人形さんみたいな岡田茉莉子。
仏印での同僚には、金子信雄。
これだけのスタッフとキャストが揃って、この名作は生まれたわけです。
この映画は、まぎれもなく恋愛映画です。
時あたかも、映画文化全盛の50年代。
海の向こうのハリウッドでは、美男美女が、オールカラーの大スクリーンの中で、派手な演出をバックにやたらチュッチュとしまくっていた頃に、日本ではこんなにも情緒あふれる、シックで「大人」の恋愛映画が作られていたかと思うと、たまりません。
この「浮雲」には、派手なラブシーンは一切ありません。
かろうじて、二人の控えめなキスシーン(唇を合わせるカットはなし)があるのみ。
それでも、長い時の流れの中で、この男女の心情の機微を絶妙に描き出す演出の妙。
そして、なによりも、主演の二人の圧倒的説得力にあふれる演技力。
この映画への賞賛は、いろいろな人が、いろいろなところで、語りつくしている感はありますが、こうして自分が、この映画の主人公たちよりも、年上になって、あらためて再見しても、やはり、この映画への評価は変わらず。
願わくば、旬の俳優たちで、このシナリオを今風にアレンジして、適当にラブシーンも増やし、「あの名作をふたたび」なんていう安易なリメイクなんてしてもらいたくないですね。
この映画の、高峰秀子を超えられる女優なんて、残念ながら今の日本にはちょっといないだろうなあ。
それは、映画冒頭のこのシーンを確認するだけでご理解いただけると思います。
終戦を迎え、妻との離婚を宣言して富岡(森雅之)は先に帰国します。
後を追って東京の富岡の家を訪れるゆき子。
彼女は男の家を訪ね、表札を確認して、家の中に声をかけます。
出てきたのは富岡の母、そして次に妻。
不審そうな顔で、ゆき子の頭から靴の先まで確認するような妻の視線。
そして、金歯がキラリ。
「農林省」の使いと聞いて、安心したように、やっと夫に取り次ぎます。
そして、バツが悪いような、微妙な面持ちで、家中から出て来る富岡。
このとき、その富岡をやっとその目で確認したときのゆき子の表情。
これが絶妙でした。
僕は、この高峰秀子の演技一発でやられてしまいましたね。
「妻とは別れて待っているといった男の言葉がウソだったこと」
「その夫の家族に冷たい視線を浴びたこと」
「でも異国の地で、愛を誓い合った相手と再会できたこと」
そんな、女の複雑な感情の襞を、たったワンカットの表情だけで表現して見せた高峰秀子の演技力。
作り方を変えれば、ポルノ映画にもなっても不思議ではない、男と女のドロドロした愛憎劇を、かくも格調高い文芸映画にさせたのは、やはり彼女の楚々とした美しさと、その類まれなる演技力による功績が大といっていいのだと思います。
高峰秀子あっぱれ。
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