50年代となると、僕の生まれる前ですので、彼女たちの姿の印象は、
後に見た名画座ということになります。
大学生になる頃には、情報誌「ぴあ」も登場。
毎回これを購入して、関東一円、ほとんどの名画座は出かけたのではないでしょうか。
池袋文芸坐、早稲田松竹、飯田橋佳作座、蒲田アポロ、銀座並木座・・・・
彼女たちを見ていたのは、けして、ふかふかではないそんな3本立て名画座の
シートに座り、ポップコーンを食べながらでしたね。
50年代の女優を一人上げろということになれば、この人かな。
マリリン・モンロー。
36歳の若さでセンセーショナルにこの世を去った、彼女の印象は、
世の男たちにとっては強烈だったんではないでしょうか。
彼女の出世作と言えば、スクリーンではじめて、モンローウォークがさく裂した「ナイアガラ」
その歴史的シーンは、当時いっぱしの映画評論家気取りだった僕としては、
何度か見て、うんちくを語ろうとしたもんですが、世の中が騒ぐような印象はなかったなあ。
それよりも、「帰らざる河」あたりの彼女の方が、生々しい色気がありました。
あとそうそう、ビリー・ワイルダー監督は、やはり職人監督だけあって、
彼女を使うのがとてもうまかったですね。
「お熱いのがお好き」のマリリン・モンローは、良くも世悪くも、後世に彼女の
イメージを決定づけた感があります。
彼女の死によって、製作が中止された「女房は生きていた」の監督も彼でした。
映画の印象は、まるでないんですが、この特大のバストの印象は強烈さでした。
こんなスタイルの人は、絶対に日本ではお目にかかれないというくらいのスタイル。
本屋の息子でしたので、映画雑誌や、大人向けのエッチな雑誌も、
かくれて眺めていましたので、この名前だけはよーく覚えていました。
この方、実はIQが163という知性派なんですが、自分のファンは、そんなことには
興味なんてないということを熟知していたとのこと。
34歳で若くして亡くなっています。
まあ、グレース・ケリーと言えば、やはりモナコ王妃としての彼女。
シンデレラ・ストーリーを地でいったような女優さんでしたね。
タイプ的には、僕の好みとはちょっと違うのですが、まあこれくらいエレガントという形容詞が
ピッタリとくる女優はいません。
彼女の出演作品は、ほとんど見てますね。
ゲイリー・クーパーと共演した「真昼の決闘」あたりでは、まだそれほどの印象はないのですが、
彼女の美しさを最も引き出した監督は、やはりヒッチコックでしょうか。
「泥棒成金」「裏窓」「ダイヤルМを廻せ」
どの作品も、彼女は魅力的でした。
「僕の、残りの作品は、すべて彼女が主演でもいい。」
あの名監督に、そこまで言わせた、彼女の魅力はさすがというべきでしょう。
で、僕の好きな作品を1本上げろといわれれば、実はヒッチコック作品ではありません。
「喝采」という映画。
共演は、ビング・クロスビー。
この映画で、彼女はアカデミー主演女優賞を獲得します。
こり映画の中で、彼女が、ほとんどノーメイクで登場するシーンがあります。
それでも、はっとするような美しさがにじみ出ていました。
このシーンの印象が、僕としては、強烈でしたね。
ジーナ・ロロブリジータ。
やはり、50年代にも、イタリアには゜こういう、僕好みの女優さんがちゃんといます。
この強烈にエキゾティックな顔立ちと、強烈なバスト。
セッククスアピールとは、これをいうのだという魅力を振りまいていました。
映画でいえば、「ノートルダムのせむし男」のエスメラルダ。
「ソロモンとシバの女王」なんかもよかったですよね。
とにかく、彼女が出ていれば、なんの映画でも追っかけるのは彼女のお色気だけ。
映画の内容はどうでもいいという感じでした。
たぶん、見たのは、全部テレビの洋画劇場でしたね。
もちろん、家族でみていましたから、父親の語るウンチクに適当に話を合わせて
いたのを覚えています。
アヌーク・エーメ。
この人は、大人の女という感じで。落ち着いた感じが好きでした。
やはり、1965年の「男と女」のイメージが強いのかな。
でも、彼女の美しさの全盛期は、50年代。
60年代の「甘い生活」や、40年代の若きアヌーク・エーメもいいですが、
僕が一本上げろと言われたら、やはり「モンパルナスの灯」。
これが1958年。
ファンファンこと、ジェラール・フィリップのお相手役でしたが、
まあきれいだったこと。
イングリット・バーグマン。
この人は、本来は、40年代の女優に入れたいところですが、ここに入れておきます。
「カサブランカ」は、1943年。
「誰がために鐘は鳴る」は、1940年。
あの名シーンが鮮やかに浮かびます。
50年代の彼女はというと、あの「世紀の不倫」といわれながら、
イタリアに自ら出向き、ロベルト・ロッセリーニ監督の作品に出ていた時代。
周囲には、色恋のために、キャリアを棒に振ったという見方をされていましたが、
それでも、彼女は女優業を続けていきました。
そんな時代を経て、1956年に出演した「追想」という映画で、見事彼女は、
アカデミー賞主演女優賞を受賞。
この時彼女は、40歳近かったわけですが、僕からは、ものすごく魅力的だったなあ。
年をとってから、また新たな魅力が加わるという女優というのは、そんなにいません。
特に、セックスアピールで売る女優は、30代までが限界。
彼女の墓には「彼女は生の最後まで演技をした」と刻まれています。
まさに、大女優でしたね。
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