さて、日曜日に、「関東ふれあいの道」埼玉県の7番目のコース、
「長瀞の自然と歴史を学ぶみち」を歩いてまいりました。
長瀞は、埼玉県で育った者であれば、学校の遠足などで、一度は必ず訪れている
定番の場所といってもいいでしょう。
11月の最後の日曜日で、紅葉もピークとあって、人出はかなりのもの。
今までの山歩きの中で、一番たくさんの「ヒト」を鑑賞したコースとなりました。
コースはまず、秩父鉄道の上長瀞駅で下車。
荒川沿いを歩き、長瀞名物の岩畳を眺め、長瀞駅から宝登山に上り、
反対側の県道バス停まで下りるという8.8キロコース。
まずは、前回同様、東武東上線で、終点の寄居駅まで向かいました。
ここで、秩父鉄道の待ち時間で、朝食でもとろうと駅前に降り立ちましたが、
駅前周辺には、ファストフードはおろかコンビニもなし。
朝も早いので、一般商店はみな開店前。
しかし駅前周辺は、この週末で「寄居町産業文化祭」が開催されており、
出店の準備であわただしく人が行き交っていましたね。
しかし、どの出店も、腹を空かした旅人の朝食までは用意されておらず、
電車の時間も迫ってきたりで、結局、朝食はとれずに電車に飛び乗りました。
ところが、電車にしばらく揺られていると、どうも様子がおかしい。
「おや」と思って、おそるおそる着いた駅の名前を確認したら、なんと反対方向に
向かっているではありませんか。
「あらあ、やっちまった。」
あわてて、下りたのが、熊谷に近い、「大麻生」駅。
ホームに飛び降りて、寒いベンチに座って、反対行の電車を待とうとしたら、どうやら
僕と同じチョンボをやってしまったカップルがもう一組。
どうも、「三峰口」行と、「羽生」行の電車が、ほぼ同時刻に入ってきたので間違えたようです。
しかし、僕の場合は、旅は、予定通りにはいかないことを楽しむ主義。
あわてず騒がず、リュックサックから、こういう時のために持ってきた iPad を取り出して、
駅のホームでせっせと「お絵描き」。
(何を描いていたのかは、当ブログでご確認ください。)
ちなみに、寄居駅では、「駅前にコンビニがないこと」「駅のホームのトイレがキレイで
気持ちいい」なんてことを、ツイッターでつぶやいたら、寄居の関係者の方に
リツイートされていましたね。
なるほど、こういう情報が生きた情報というわけですな。
さて、そんなこんなで、「上長瀞」駅に到着したのが10時30分。
前回同様、遅いスタートとなってしまいました。
さて、駅前通りを、まっすぐ進むとあっという間に荒川。
ちょっとコースアウトして、河原にでると、カヌーを楽しんでいる人たちや
ライン下りの舟遊びを楽しんでいる人たち。
今までの埼玉県のコースは、ひたすら山中を歩くというコースが多く、
本格的に川沿いを歩くという道がなかったので、けっこう新鮮でした。
しばらく歩くと、長瀞の名勝岩畳。
長瀞は、親鼻橋から高砂橋に至る、荒川本流の両岸約4キロに渡る
広大な渓谷で、長瀞式結晶片岩が露出して、段丘を作り、この岩畳を形成しています。
風光明媚で、学術的にも貴重であるため、この長瀞が「地球の窓」と呼ばれているというのは
遠い小学校の遠足の時のうろ覚えの記憶。
50代で訪れた本日は、用を足した駅からずっと、僕の「社会の窓」がフルオープンだったのはご愛嬌。
かつてここを訪れた、宮沢賢治が、この岩畳にある「虎岩」を見て、こう詠んでいます。
「つくづくと粋なもやうな博多帯 荒川岸の片岩のいろ」
しかし、本日ここを訪れた、宮沢賢治ならぬ柿沢謙二は、短歌は詠まずに、デジカメをパシャリ。
そして、先に進みます。
長瀞駅の近くの河原まで歩くと、そこはライン下りの終点になっており、お昼近くとあって
たくさんの人だかり。
寄居駅で、朝食にありつけなかったので、この河原に出ている屋台の「アユの塩焼き」(500円)と
「原木のしいたけ串焼き」(300円)を買って、これを一気にガブリ。
そして、駅から下りてくる人をかき分けながら、土産物通りを歩きます。
今まで、初夏から夏にかけて歩いてきた、山歩きのコースでは、花や昆虫やキノコなど、
山を賑わしていた主役たちをカメラにおさめてまいりましたが、本日の主役は、
どうやら、この観光客のオバチャンたち。この生物は実にたくましい。
とにかくオバチャンたちは元気でした。亭主も、もちろん一緒にいるのですか、
どのカップルも、完全にイニシアチブをとっているのは、ほとんどオバチャンたち。
旦那たちは、みんなオマケみたいで、明らかに分が悪い。
どうやら、この構図は、年齢を重ねるほどに、顕著にその傾向が見えるようです。
まあ、「歳をとっては、女房に従え。」
オトウサンたちが、余生を幸せに生きたいと思うのなら、それしかないのかなあと
思ってしまいますね。齢を重ねては、どうやらそれが、夫婦円満の秘訣なのかと思います。
さて、賑やかな、長瀞の駅前を過ぎると、宝登山入口の鳥居。
本日は七五三ということもあって、神社まで車が繋がっています。
ここは、これまでにも何度か歩きました。
そこで、今回は、神社の境内に上る途中にある、国 指 定 重 要 文 化 財
「旧新井住宅」に立ち寄ってみました。
僕は、自然も好きですが、実はこういう古民家もかなり愛好家です。
入場料200円ですが、躊躇せずに中へ入ります。
旧新井家は、260年前と言いますから、江戸時代から続いていた養蚕農家。
秩父では、一昔前は、養蚕は基幹産業でした。
今は、減ってしまった桑畑も、当時はあたり一面。
しかし、現在では、ご多分に漏れず、農家の高齢化で、残っている養蚕農家は24軒とのこと。
今は、産業というよりは、文化として残っているというところでしょうか。
建物は桁行十間半、梁間五間の板葺、一部中二階がある切妻造。
まあしかし、こういう古民家なら、いろといわれれば、僕は一日でもいられます。
さて、参道の終点は、宝登山神社。
本日は、七五三。着物姿の女の子と、それに合わせたフォーマルウェアの
パパやママが多数。けっこうな賑わいです。
さて、この神社に伝わる伝説。
日本武尊(ヤマトタケル)は東夷平定の帰路、甲斐(山梨県)の酒折宮から、
武蔵(秩父、奥多摩、奥武蔵)を通って、上野(群馬県)へ向かい、「碓日坂」を越えて
信濃へ入ったという伝説が残っているのが日本書紀。
1900年も前の、神武天皇の時代です。
この時山火事に遭遇したタケルノミコトを救ったのが、多くの巨犬だったとか。
この火消しワンちゃんが、火を消し止めたことが由来で、
この山についた名前が「火止山」(ほとざん)。
これが後年になって、宝登山となったという話しだそうです。
まあ、この犬が、実は犬ではなくて、狼だったというのが、このあたりに伝わるオオカミ伝説。
山頂まで、およそ小一時間の山道を、ロープウェイを見上げながら歩くと、
山頂近くにあるのが、宝登山奥社。
この奥社の鳥居前に、おっかない顔をした割には、やたら痩せこけた犬の銅像があるのですが、
これは、犬と言われるよりは、オオカミと言われた方がシックリと来ます。
奥社前の売店の店先に、焚き火がありましたので、田舎まんじゅうを食べながら
温まっていると、突如、売店のオバチャンが、秩父民謡を謡い出す大サービス。
思わず、ビデオカメラを向けてしまいました。
さて、いよいよ山頂です。
宝登山の山頂は標高497メートル。
500メートルに満たない山なのですが、そこからの眺めはそうは感じさせません。
山頂では、おもいおもいにくつろぐ人たち。
そして、艶やかな寒桜。
宝登山山頂は、今までのコースではじめて、山の頂で、携帯が圏外になりませんでしたので、
この絶景を iPhone でも動画撮影して、あちこちに送信しまくりました。
さて、ここまで歩いた距離は、約8.8キロのコースのうちのおよそ5キロ位です。
残りは、あと3キロとチョット。
しかし、下るのは、勢いがつきますので、あまりはしょって歩きますと、
テキメンに膝をやられますからご用心。
三軒屋集落を過ぎ、おだやかな里山の風景の中を歩いているうちに、県道が見えてきます。
ここまでくれば、ゴールは間近。
しばらく歩くと、バス停が見えてまいりました。
宝登山神社で購入した、くるみの実を手のひらでグリグリとやりながら
到着したのが「稲荷前」バス停。
「関東ふれあいの道」のコース案内には、バス停でふたつ先の、「根古屋橋」まで歩けと言ってきますが、
車と一緒に、県道を歩いても面白くもなんともないので、バスが来るまで、ここで待つことにしました。
さて、以上で、関東ふれあいの道、埼玉県の7番目のコースは踏破。
時刻は、14時30分。歩数計のカウントは、20623歩。
長瀞の紅葉を満喫できた一日でした。
帰りは、iPhone のナビタイムにしたがって、西武線とバスを乗り継いで
自宅に到着したのが午後6時。
早速ビデオ編集にとりかかりました。
さあそれでは、スタートからここまでのおよそ4時間のトレッキングコースを、
ぎゅっと圧縮して、12分半の動画に編集してみましたので、どうぞご覧あれ。
さあ、来週はもう12月です。
今年の冬は寒くなりそうな予報ですが、本格的に雪などが降る前に、
関東ふれあいの道のコースを、あといくつを歩けるでしょうか。
埼玉県のコース。残り全部であと6つ。
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