両親が亡くなった後、ずっと実家に住んでいた弟夫婦が、引っ越しましたので、このタイミングで実家を処分することにいたしました。
そんなわけで、久しぶりに実家にいってみました。
残された荷物は、近いうちにすべて廃棄処分ということになりますが、やはり捨てられないのはアルバム。
写真の撮影自体は、父親の趣味でしたが、その撮りちらかした写真をマメに整理していたのが母親でした。
家族の写真だけでなく、親戚もろもろも、隣近所や、実家界隈のもろもろまで、丁寧に分けて保存してありました。
残っていたアルバムはすべて持ち帰り、すべてスキャニング。
アルバムは、思い切って処分してしまいました。
ここ何年かで、持っているすべての本を自炊で電子書籍化してしまいましたから、
今回は、その勢いですね。
弟たちからは、ブーイングも出そうですが、我々の老後も、これを共有して楽しめると
思えば、彼らも理解してくれるでしょう。
アナログのままでは、やはり劣化して、最終的には、捨てるしかなくなるのだと思います。
残るは、ビデオだなあ。これも、はやいところ、デジタル化しておかないと、そのうち見れなくなります。
子供の頃の柿沢少年について、母親から、あとでよく言われたのは、
「あんたは、ちょこまかしてて、リスみたいな子だったよ。」
まあ、これをどう受け取るかですが。
早口で、落ち着きがない、情緒不安定な子供という自覚はありましたが、
まあ、そこそこ、可愛かったということでしょう。
さあ、では、実家に残っていたアルバムの中から、僕の少年時代の写真を何枚か紹介しておきましょう。
僕は、父親にとっては、はじめての子供でしたので、彼にしてみれば、さぞや可愛かったことでしょう。
とにかく、僕の写真はたくさん残っていました。奮発して、ライカも買ったんだそうです。
ところが、僕の1年半後に生まれた弟の写真となると一気に激減。
わが父親が、いかに飽きっぽかったか。
それが、またこの6年後に生まれた弟の頃になると、俄然写真を撮り出します。
というわけで、次男だけは、いまだにブーブーいっています。
おじいちゃんと僕。
歌舞伎役者の声色をやったり、大河内伝次郎のモノマネをしたりと、
けっこう粋な人でした。
おばあちゃんと僕。
ちなみにこの本屋は、大田区の平和島の駅前にありました。
屋号は、「たまや」。そして、僕のおばあちゃんの名前が「タマ」。
電車でお出かけ。
電車に乗ると、いつもこうやって、窓から景色を眺めては、ニコニコしている子供だったそうです。
電話と少年。
この電話は、覚えてるなあ。お気に入りのオモチャでした。
ヨダレと少年。
この涎が垂れるまで、じっとカメラを持って構えていたであろう父親のネバリが実ったショット。
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