1942年といいますから、昭和17年に公開されたコテコテの国策映画。
WOWOWでオンエアされたものを iPad で鑑賞。
「ハワイ・マレー沖海戦」の「ハワイ」は、あの有名な「真珠湾奇襲攻撃」のこと。
「マレー沖」というのは、その二日後に決行された、敵艦『プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈した海戦のこと。
双方ともに、日本海軍の大勝利に終わっておりますので、軍部の命により、東宝が、国威発揚のプロパガンダ映画として製作し公開されたもの。
しかし、この映画は、そういった歴史的背景よりも、僕らにとっては、あの「ウルトラマン」の円谷英二が、特技監督を務めた特撮映画の草分けとしての歴史的価値の方が大きい映画ですね。
完全な国策映画として製作された作品にもかかわらず、「活動屋は信じられない」という軍部の一方的なキメツケにより、満足のいく軍事資料の提供がなされないまま、円谷英二は、集められるだけの資料を収集して、緻密な真珠湾のミニチュアを作成します。
そして、撮影された戦闘しシーンの当時としては圧倒的なリアリズム。
その出来は、GHQが実戦の映像と勘違いし、資料提供を求めたほどのレベルでした。
国策映画ということもあってか、映画スタッフやキャストのクレジットは一切なし。
当時の日本映画のトップクラスのキャストやスタッフが集結しているにもかかわらず、その紹介が一切なしという異例の公開でした。
実際の監督は、黒澤明の師匠でもある山本嘉次郎。
主人公の姉に原節子。
予科練教官の山下大尉に藤田進。
艦長役に、大河内伝次郎。
予科練の倉田三飛曹役では、まだ少年の面影の残る木村功の顔も確認できましたし、おじいちゃん俳優としての印象が強い花沢徳衛の顔も確認できました。
古い映画を見るときは、密かにそんな楽しみがありますね。
後の、「ゴジラ」や「ウルトラマン」に引き継がれる、東宝ミニチュア特撮の原点を知る上でも、僕にとっては、貴重な映画でした。
この映画の製作過程には大きな嘘があります。
海軍が資料を出してくれなかったので・・・というのですが、確かに山本嘉次郎には出さなかったでしょう。
でも円谷英二は、この映画以前に、真珠湾攻撃のマニュアル映画を作っていたのです。東宝には航空教育資料製作所という秘密スタジオがあり、そこでは主に海軍の注文により、51本物軍事マニュアル映画を作っていたのです。
勿論、円谷特撮、うしおそうじらのアニメーションなどによってです。この航空教育資料製作所での仕事が、『ハワイマレー沖海戦』以下、さらに戦後の『ゴジラ』以下の特撮の元になったのです。
勿論、私は円谷英二を批難する者ではありません。
航空教育資料製作所は、戦後の東宝ストライキを経て新東宝撮影所になり、今は日大商学部になっています。
投稿情報: さすらい日乗 | 2016年8 月17日 (水曜日) 午前 08時22分
貴重な情報どうもありがとうございます。
投稿情報: sukebezizy | 2016年8 月18日 (木曜日) 午後 06時08分