1972年のフランス映画「エマニエル夫人」
もうひとつは、1973年のイタリア映画「愛の嵐」
「エマニエル夫人」で、物憂げに木編みの椅子に座ってポーズしているのはシルビア・クリステル。
「愛の嵐」で、官能的にポーズをとっているのは、シャーロット・ランプリング。
二人とも、当時のヨーロッパ映画で、思い切りよく脱いでくれていた女優さんなので、僕のようなスケベな映画ファンには印象深い女優でした。
今でこそ、こんなエロティックな、乳首まで露出したような画像は、少なくとも公の場ではご法度になってしまいましたが、あの当時はこの絵が、そのままポスターに使用され、堂々と町のいろいろな場所に貼られていたものです。
当時は、今のようなAVはありませんでしたが、僕らのようなスケベのために、ポルノ映画というものが上映されていました。
AVコーナーは、TSUTAYAでも GEO でも、隔離された一角で18歳以下立ち入り禁止の暖簾の向こう側に陳列されていますが、当時は、かなり刺激的なポルノ映画の宣伝ポスターも、映画館周辺の壁にベタベタと貼ってあったものです。
実際、今のようなインターネットなどという情報メディアはありませんでしたが、僕などは、雑誌活字情報以外では、案外この官能的なポスターに股間を刺激され、ふらふらと映画館に吸い込まれた記憶があります。
そういえば、深夜テレビ番組も明らかに今より過激でした。
とくに「トゥナイト」「11PM」「独占!おとなの時間」「23時ショー」。
どの番組も、おっぱいくらいは当たり前。
実にサービス精神であふれており、実際にその過激さで視聴率を競っていたものです。
しかし、気がつけば、別に法律がきつくなったわけでもないのに、テレビや映画ではエロイものは激減。
スケベたちのニーズに応えるのは、もはやAVくらいしかなくなってきています。
しかし、浴びるほど、そのものズバリ、挿入シーンオンパレードのAVも、同様に見てきた身としては、最近はこれもやや食傷気味。
気がつけば、スキップボタンか早送りボタンに指がかかることが多い訳です。
やはり、エロというのは、そのものズバリ、それだけをこれでもかと見せられては、次第に感覚が麻痺していくもの。
ここにきて、なぜかあの頃の、普通の映画の中のエロスが、やはり捨てがたいという心境になってきました。
そういう心境になってふと今の映画はどうかと考えて見ると、映画とAVの間に、質のいいエロス作品が少ないのではないかという結論。
これでは、今の若者たちが、いいスケベになれません。
今は、草食系などといって、そういうくくりの男子を、褒めるでもなく、悲しむのでもない不思議な扱いをしていますが、おいおい、男子がスケベでなくてどうするという気が、どうもオジサン的にはしてしまいます。
日本全体、もっとスケベになっていいなあ。
そうすれば、日本の景気だって、もっとよくなりますって。
だってあの頃は、少なくとも今よりも、経済は絶好調でしたからね。
もっと街角にエロを!
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