オーディオブックで、運転しながら朗読を聞きました。
「ヴィヨンの妻」は、太宰が昭和21年から22年頃にかけて執筆。
放蕩の亭主に振り回されながらも、前向きに生きようとする妻「さっちゃん」の健気な物語。
イラストは、2009年に根岸吉太郎が映画化した『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』のスチールをお手本にしました。
しかしこの映画はまだ未見。
なので、このブログは、小説についての感想ということで、あえて、顔は描きませんでした。
あしからず。
本の挿絵のつもりです。
恥ずかしながら、本屋の息子だった割には、こういう名作はほとんど読んでおりません。
漫画ばっかり読んでおりました。
でも、こういう小説の挿絵を描く人にはなりたかったんですよね。
でも、挿絵書くなら、小説は読んでないと描けないんですけどね。
閑話休題。
さて、ヴィヨンて誰よ。
僕の場合は、まずそこからです。
てなわけで、まず 軽く Wiki してみました。
調べてみると、フランスの詩人でしたね。フランソワ・ヴィヨン。
かなりヤンチャしていた人のようです。
強盗、障害、殺人までしでかした人ですから、ちょっとヤンチャくらいじゃ、すまないかもしれません。
かなりヤバい人。
15世紀のひとです。
放蕩詩人というより、暴走詩人ですな。
この物語の、作家のご主人も、かなり危うい人ですが、ご存知の通り、太宰も、無頼派と言われるように、堕落志望の危うい作家。
この「さっちゃん」の夫・大谷には、色濃く自分自身反を投影させているとみて間違いないでしょう。
とといいますか、プロフィールがまるで太宰ですよね。
こりゃ「さっちゃん」もいい迷惑です。
先頃、直木賞を受賞した漫才コンビ・ピースの又吉直樹然り、純文学をこころざす人たちには、なぜか神格化されているのがこの太宰治という作家。
彼の作品は、本作以外には、高校の現代国語の教科書に載っていた「走れメロス」しか読んでおりませんので、偉そうなことは言えませんが、なにか、こんな乱れた私生活を送っていても、自分は小説家なんだからいいだろう言われているようで、僕はあまりいい気がしないんですよね。
それもこれもみんな、自分の小説家としての肥やしになるんだよ。
そんなこと、彼はもちろん言っていないんでしょうが、そう聞こえてしまうものはしょうがない。
おいおい、太宰さん。
あんたが、そんなに自堕落なのは、小説のため?
しかし、そういう私生活の中から、「斜陽」「人間失格」「富嶽百景」なんていう傑作も生まれているわけですから、その良し悪しは、ちょっと微妙なところ。
でも、プロフィール読む限り、こんなめちゃめちゃな私生活でも許されちゃう職業って、やはり小説家くらいなものでしょうか。
要するに、作品もしくは芸を生業にしている人は強いということです。
そういう人は、自分はどうしようもなくても、創作した作品で評価される道が残っているからです。
クスリやっても、不倫しても、作品で勝負できる人はしぶとく生き残るもの。
そこへいくと、バラエティでお茶を濁す程度の、キャラだけで売っているタレントなんて、スキャンダル一発であっという間に沈んでしまいます。
よほどしたたかでないと、そこからまた浮き上がるのは至難の技。
まさに芸は身を助けるです。
そこへいくと、作家でも食べていける又吉直樹先生は大丈夫そうですね。
多少羽目を外しても、得意の筆で、それを肥やしにした作品を発表すれば、復活は容易いというもの。
でも、その相方の綾部くんは厳しいかな。
いかにも、女関係で羽目を外しそうですが、やっちゃったら最後、世間の目は厳しそう。
でも、それはしょうがない。
それが、芸のないタレントの辛いところです。
せめて、又吉先生に見捨てられないように、ついていくしかありませんね。
それがダメなら、あともう一つの方法があります。
それは「ヴィヨンの妻」を娶ること。
がんばって。
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