気がつけば、もうお盆も過ぎてしまいましたが、7月の27日28日と、八ヶ岳連峰野辺山高原を歩いてきました
涼しかったですよ。
高原全体に、エアコン23℃設定の冷房聞かせたような涼しさ。
早朝などは、まだ肌寒いくらいでした。
朝一番大宮駅発の新幹線「あさま603号」に乗って佐久平まで。
そこから、小海線の各駅に乗り換えて、清里駅まで。
到着したのは、ちょうど10時でした。
宿は、そのひとつ手前の野辺山駅にある民宿です。
切符ももちろんそこまで購入したのですが、電車の中の観光ポスターを見て、降車駅を変更しました。
清里駅から、飯盛山を登って、野辺山駅まで下りてくるトレッキングコースを見つけたんですね。
清里周辺は、実は以前にもドライブで何度か来たことがありました。
清泉寮のソフトクリームも、美しの森の展望台もすでに、当時のガールフレンドと体験済み。
でも、この飯盛山の登山コースは、登ったことがなかったので、今回はこれに即断しました。
清里の駅前は、相変わらずお洒落な佇まい。
しかし、平日の昼間とあって、さすがに人影はまばら。
小学生を引率しているグループが元気な声を上げていました。
駅前の観光協会で、いきたいコースを説明したら、登山口の入り口を詳しく教えてくれました。
飯盛山ですが、これ「いいもりやま」と発音したくなりますが、そういうと、地元の人には苦笑いされます。
これで「めしもりやま」と読むのが正解。
頂上が、ご飯を茶碗に盛ったような形をしているのでそう呼ばれているそうです。
その飯盛山の清里側からの登山口は、平沢地区まであるきます。
その途中に、滝が二つ。
千ヶ滝と宮司の滝。
実は、僕は滝オタク。
滝には目がありません。
特に日本の滝の風情が好きです。
ナイアガラ瀑布や、イグアナの滝といった、世界に目を向ければ、壮大なスケールの滝も多くありますが、やはりすごいけれどもどこか風情に欠けます。
圧倒されますが、俳句を読もうというモードにはならない。
やはり、日本の滝には、なんといっても情緒があります。
風情とはスケールではないんですね。
自然とのコラボレーション具合なんです。
まず一つ目の千ヶ滝。
こんな滝です。
遊歩道「せせらぎの道」は整備されていて、滝壺の近くまで降りていけます。
ひんやりとした空気と、豊富な水量の滝からの飛沫は、心地よいマイナスイオン。
流れ落ちる滝の音と、森の鳥たちのさえずりのサラウンドの中で、しばし立ち尽くしておりました。
ああ、気持ちいい。
そして、県道まで戻ると、その反対側に、宮司の滝の入口。
女子中学生の団体が滝方面へ向かいましたので、後を追いかけることにしました。
宮司の滝までは、けっこうアクロバチックな道を歩かされます。
岩に打ち込んであるチェーンをしっかりと握らないと、谷へ落ちてしまうというような道。
女子中学生たちの最後尾について、やや緊張しながら滝へアクセス。
宮司の滝は、こんな滝です。
日光の竜頭ノ滝のような三段階式の滝。
この滝が、白ひげを躍らせている龍のように見えるからかどうなのか、古来「よいまもの」が棲みつき、この平沢地区の貧しかった集落の人々を守ったという言い伝えがあるそうな。
この滝を中心にした歩道沿いには、大門川渓谷が展開し、ヤマメやイワナも生息。
秋の紅葉は見事とのこと。
なかなか、滝オタクの溜飲を下げる風情で、楽しませてもらいました。
但し、この得体の知れない旅オヤジは、女子中学生たちにはかなり怪しげに映ったようで、露骨に眉間にしわを寄せている女子中学生も数名。
すでに、私も58歳。
もしや、加齢臭でもなかったか。そんな不安もよぎります。
そうであれば、申し訳ない。大変失礼しました。
さて、コースは、本来であれば、県道まで戻って、平沢地区の登山口まで進むようになっているのですが、滝に来る道の途中に、「飯盛山」方面という標識がありましたので、「おっ、近道かな。」と勝手に推測して、これを進むことにしました。
しかし、これはやめておけばよかった。
後になって、ルートマップを確認したら、廃道化していて、ルートは未整備と書いてありました。
確かにその通りで、道案内の看板はあるのですが、道は、両脇から伸びた笹の葉に覆われて、それをかき分けていけば、どうやらその下に道らしきものがあるよというような獣道。
ガサガサという物音に振り返れば、鹿が跳ね回っていたりで、かなり野趣満点。
道行く先を塞ぐように門が見えた時は冷や汗。
「うわあ、勘弁してよ。ここまで来て、戻れないぞ。」
しかし、近づくと、野生動物の侵入を防ぐために作られた門であることが判明。
結んであるロープを外して進めということになっていました。
道無き道を進んでいると、舗装された山道に出ます。
ここで、ルートマップを見直しましたが、情けない話、自分がどこにいるのかがわかりません。
予定の時間もだいぶ過ぎていて、大きくため息。
不安に駆られながら、怪しげな山道を行くと、なんとか車の通る道に出ました。
しかし、ここはどこ?
見ると、飯盛山方面の看板が道路の反対側にあったので、かなり怪しげな看板ではありましたが、それを信じて再び山道に入ります。
しばらく登ると、目指す前方に電波塔。
何人かの人がそこで作業していました。
しかし、感じるのはどうも冷たい視線。
「すいません。飯盛山へ登るルートはこちらでいいんですか?」
思い切って聞いて見ると、かなりのインターバルを置いての返答。
「いや、僕らもここまでしか登って来たことがないんでわかりません。
その先に道ないんじゃないですか?」
確かに、見た感じ、登山ルートという気配はまるでなし。
背後に、嘲笑の気配を感じながら、先ほどの自動車道までやむなく戻ります。
さて、右か左か。
状況から、山へ上がる方角を選択して、しばらく歩くと「この先しし岩」という案内看板。
そこは、ルートマップにものっているビューポイント。
やっと、自分がどこにいるか判明です。
しかし、しし岩は、平沢地区の登山道から飯盛山山頂を目指し、そこから野辺山方面に降りていったゴール地点。
山頂にたどり着く前に、ゴールに到着というわけです。
なんとも甚だしくコースアウトしたものです。
山歩きの感は、ほぼ3年間のブランクでかなり怪しいものになっていましたね。
苦笑いです。
さて、まずはしし岩。
ちょうど、平沢峠の北側に位置するしし岩。
溶岩塊が地上に浮き出た様が、ちょうど獅子の顔に見えるというのですが、多分遠目でそう見えるのでしょう。
登っていって、あたりをグルグルと徘徊してみても、どこをどう見ればライオンの顔?
それよりも、実感としては、ゴジラの背びれの上を歩いているような感覚でした。
どこかの岩影から、ゴジラの目がギョロリとこちらを睨んできそうな気配。
隣接した峠は、大きな駐車場になっており、野辺山高原の中では、車で絶景が見に行けるビューポイント。
さて、飯盛山の山頂を目指して出発したトレッキングは、お恥ずかしい話、山頂を踏まないまま、先にゴール地点に到着。
さて、どうしたものか。
ここから、山頂を目指そうかとも思いましたが、この後は、村役場にも寄ったりしたかったので、この日の山頂アタックは結局断念。
翌日の仕切り直しとして、予約した宿へと向かうことにいたしました。
獅子岩から野辺山の駅まではおよそ3o分。
一本道で、途中「JR最高地点」やら国立宇宙電波観測所、ベジタボールウィズ(プラネタリウム)などもありましたが、時間の都合で、やむなくみんなスルー。
そして、野辺山駅。
ここ野辺山駅は、JRの駅の中では、最も標高の高い場所にある駅として有名です。
ちなみに、その標高は1375m。
「天国に最も近い駅」ということになります。
さて、予約した民宿は、「ゲストハウス高原野菜」。
ご主人は、駅まで迎えにきてくれるということでしたが、歩いて20分ほどだということで、ブラブラと高原の空気に浸りながら歩くことにいたしました。
野辺山高原は、山登り、渓流釣り、天体観測の愛好者にとっては絶好の場所。
ただし、僕の今回のメインテーマは、農業視察。
宿の周辺は、八ヶ岳連峰を一望にしながら、見渡す限りの高原野菜の畑。
キャベツ、レタス、グリーンボール、白菜、トレビス。
会社の畑を借りて、野菜を栽培している身としては、やはり広い畑で栽培されている高原野菜が気になります。
しかし、この日は、そこそこ歩きましたので、本格的リサーチは、翌日早朝ということにして、まずは宿ご自慢のラジウム鉱砂泉につかって、おいしい高原野菜の夕食をいただきながら思い出していたのが、ずっと昔に見たテレビドラマ「高原へいらっしゃい」。
1976年製作のTBSのドラマです。主演は、田宮二郎。
舞台になったのが、八ヶ岳高原ホテル。
あの頃の僕のアイドルだった由美かおるが、ウェイトレス役で出演していたので、毎回見ていました。
ドラマは、経営難に苦しむホテルの再建ストーリー。2003年には、佐藤浩市主演でリメイクもされたそうですが、そちらは未見。
後に大学生になって、観光地のホテルのアルバイトをする経験もしたので、個人的には、この「高原へいらっしゃい」は、思い出深いドラマでした。
主演の田宮二郎は、このドラマの二年後に、壮絶な死に方をしましたけどね。
さて、翌朝。
仕事の流れで、夜明け前には目が覚めてしまうリズムになっており、目が覚めたのが午前3時。
窓から、眺めると畑の方に明かりがチラチラ。
なるほど、高原野菜の収穫は、こんな時間から始まっているようです。
夜明けの畑へ出てみると、かすかに聞こえる懐かしい70年代ポップス。
でも、これ歌謡曲ではありません。
洋楽でしたね。
収穫の作業は4、5人のチームでやっているのですが、よく耳をすますと聞こえるのは日本語ではない。
年配のご婦人の他に、作業をしているの人の多くは外国人労働者。
だから、BGMは、美空ひばりではなくて、スリー・ディグリーズというわけです。
なるほど、人手不足の波は、農業の分野にもヒタヒタと押し寄せているようです。
この時期はレタス収穫の最盛期。
畑の真ん中に巨大なコンテナが置かれ、作業員たちは、農協指定の段ボールの中にレタスを詰め込みます。
そして、そのコンテナが段ボールでいっぱいになると、どこからか巨大なトラクターが現れ、いっぱいになったコンテナをそのまま、運び上げ、農協の配送デポまでまっしぐら。
まだ薄暗い、広い畑の公道には、この野菜満載のコンテナを掴んだ巨大トラクターが、ひっきりなしに走っています。
早朝収穫された野菜は、そのままJAから、首都圏の青果市場へ直行。
そして、そこから、その日のうちに青果店に配達され、食卓へ届くというわけです。
我が社もその青果流通の一端を担わせてもらっています。
高原野菜は、新鮮さが命。
会社の畑でも、リーフレタスは栽培していますが、レタスはなかなかデリケートな野菜。
新鮮な野菜を食卓に届けるために、八ヶ岳高原の野菜収穫は、夜明け前から始動しているというわけです。
定年後は、田舎へ引っ込んで、農業に従事したいというのが僕の青写真ですので、体を動かすんだという覚悟さえできていれば、早起きは慣れたもの。
今のような給料はいただけなくても、就職口はなんとかありそうです。
「いやあ、でも、これだけではなかなか食べていけませんよ。みんな兼業ですから。」
これは、箱詰めを手伝わせてもらった、白菜畑の老婦人の言葉。
「野菜畑は、冬になったら、働きたくても働けないからね。」
重みずっしりです。
でもやはり「田舎暮らし」は捨てられないなあ。
宿に戻ると、奥さんが作ってくれた朝食は、またまた高原野菜たっぷりのメニュー。
ご主人から、朝採りのレタスをいただいて、ご機嫌でチェックアウト。
さっきまで、キッチンで朝食の支度をしていた奥様が、駅まで送ってくれました。
「私は浅草生まれで、主人も東京。35年前に脱サラしてこっちに来たのよ。」
これは車の中で宿の奥さんから聞かせてもらった話。
理由は単純明快。「山が好きだったからね。」
35年前の自分はといえば、まだまだ夢も希望もあった大学生。
仕事はなんにせよ、東京で生きていくんだと思っていました。
しかし、よもや、定年間近になって、田舎暮らしを画策していようとは露ほども思いもしませんでした。
さて、野辺山の駅まで送ってもらったら、レンタサイクル屋へ直行。
飯盛山の山頂を再トライを前に、チャリンコで、滝山牧場へ向かいました。
八ヶ岳の東山麓に広がる滝沢牧場は、野辺山高原のほぼ中央に位置する自然体験牧場。
敷地内にいる動物たちは、牛以外に、馬、羊、山羊など。
牛の乳搾りや乗馬体験もでき、四輪バギーにも乗れます。
この日も、幼稚園や小学校の団体が、広いの牧場を占拠。
先生たちが、走り回る子供たちを追いかけて忙しく走り回っておりました。
ここでは旅の気分もあり、ふだんなら封印して入るソフトクリームも購入。
やはり、こういう場所で食べるソフトクリームには、プラスアルファがあります。
うまいのなんの。
子供たちが、乳搾りをするところも見学。
今年の夏は、個人的には、会社の畑で取れるハーブと野菜ジュースのみで過ごそうと決めております。
自動販売機のジュースにも一切手を出さない。
但し、牛乳だけは別。
いつでも、冷蔵庫に牛乳だけは欠かさない牛乳オタクです。
その肥えているはずの舌で飲んでも、牧場の牛乳は明らかに濃厚。
おいしくいただきました。
食堂のメニューには、牛肉のステーキもあるのですが、まさか、牧場の牛を肉の塊にする体験コーナーはないだろうなあ。
でも元気な小学生の皆さん。
それも、大切な牧場の仕事だということは、お忘れなく。
とにかく、高冷地の野辺山高原は、乳牛にとっては、ストレス最小の楽園。
伸び伸びと育ったウシのミルクが、美味しくないわけがない。
南牧村畜産物直売所にも立ち寄りましたが、芳醇な乳製品のオンパレード。
高原野菜と新鮮の牛乳。
ここには、今までも何回か来ましたが、それがこんなに魅力的に感じられたのは今回が初めて。
年齢を重ねてきたことで、僕の中で、何かのスイッチが切りかわったのでしょう。
さて、飯盛山リベンジ。
野辺山の駅で、公営の無料バスを待って、しし岩の飯盛山登山口へ向かいます。
さて、ここに戻ってきて、昨日は気が付かなかった標識を発見。
分水嶺ですね。
分水嶺というのは、要するに、山に降った雨水を異なった水系に分かつ山の峰々。
昔読んだ森村誠一の推理小説のタイトルだったので、この言葉だけはインプットされていました。
ここから、北の斜面に流れた雨水は、小川となり、千曲川・信濃川となって日本海へ。
南の斜面に流れた雨水は、富士川となり太平洋へ注ぐというわけ。
日本一の川が信濃川です。。
その大河の最初の一滴がこの平沢峠のどこかかで生まれている。
もちろん、その写真はデジカメでは撮れませんが、ちょっと考えただけでもわくわくしますね。
わくわくついでにもうひとつ。
「フォッサ・マグナ」です。
憶えていますか?
中学の地理の時間に習いました。
別名「大地溝帯」。「中央構造線」ともいいますね。
僕は、地理の成績はあまりよくありませんでしたが、この「フォッサ・マグナ」は、その言葉の響きが、なんだかカッコよくて自然に頭に入ってきました。
これが、地理の試験に出て、「大地溝帯」が正解のところ、僕は「フォッサ・マグナ」と書いて正解をもらって、悦に入っていた記憶があります。
この、「フォッサ・マグナ」の名づけの親は、ナウマン博士。
明治時代に日本にやってきていたドイツの地質学者。
あのナウマンゾウの化石の発見者でもあります。
その彼がこの地を訪れて、赤石山脈(南アルプス)を眺めていたときに、その著しく奇妙な地形を眼前にして、フォッサ・マグナの存在に着眼したとのこと。
糸魚川静岡構造線ともいわれますが、地質学上、大変重要な日本を縦断する断層です。
さて、飯盛山山頂へアタックです。
しし岩登山口から、樹林の中をしばし歩きます。
目を楽しませてくれるのは、色とりどりの高山植物の数々。
ニッコウキスゲ、シモツケソウ、レンゲツツジ、ウスユキソウ・・・
常々思うことですが、こういう野山に咲く花を、写真に撮って、後で検索しなくても、その場で名前ぐらいは諳んじられる自然に精通した爺さんになりたいもの。
「それがわかってなんになるの?」
そういわれてしまうと実も蓋もありませんが、少なくともそれが、個人的には「かっこいい」と思えるようになったのは、やはり山歩きをするようになってからですね。
もちろん、その域に達するには、まだまだ修行が足りません。
さて、登山道は、やがて昨日上がってきた平沢集落からの登山口との分岐点。
ここからの「飯盛山」の風景が、ちょうど「ご飯を盛った」ようにもっこりと見えます。
もちろん、これがその名前の由来。
さあ、その山頂が視界に入ってくると、多少の上りも、苦ではなくなります。
さて、いよいよ飯盛山山頂。
ここは、標高1643m。
3年前に歩いた埼玉県の山岳トレッキングでは、ほとんど、1000mクラスの山でしたから、自分の脚で登った山としては、最高標高ということになります。
しかし、残念ながら、この陽の山頂はどんよりとした曇り空。
ご自慢の360度パノラマは、見られませんでした。
晴れていればそこに見えるのは、南アルプス連峰、八ヶ岳連峰、そして富士山。
まあいいでしょう。
相手は自然です。
「サービスが悪い」と文句を言っても始まりません。
そんなことも含めて楽しむのが、「自然と触れ合う」ということ。
それでなんの文句もありません。
今回はこれで良しとします。
また次にここにくる、楽しみが増えたということですから。
さて、二日間にわたる八ヶ岳散策。
村役場でもいろいろと聞いてきましたが、今回宿泊させてもらった民宿のオーナー夫婦同様、都会からこの地へ移住してくる人は多いそうです。
みんな同様に、「自然が好き」「山が好き」という人たち。
そういう人たちにとって、やはりこの八ヶ岳の自然は、申し分のない環境です。
しかし、現実問題は、そこでの暮らしの糧となる「働き口」。
自然の中で暮らすということは、つまり自然の中で働かせてもらうということ。
相手が自然ですから、そこには労働基準法はありません。
しかし、そのかわり、定年もない。
恥ずかしながら、ここまで、60年近く、なにかと中途半端な人生を送ってまいりましたので、今の自分には、老後の支えとなる貯金もなければ、なにか特殊の技術や能力があるわけではありません。
あるのは、今の会社で、サークル活動として経験させてもらった野菜作りのノウハウと、多少のパソコンスキルと、とりあえず健康な体だけ。
とにかく、これだけの「モチモノ」で、果たして僕のようなものが、田舎で暮らしていけるかどうかは、現在各方面にリサーチし研究中。
色々なリサーチしてわかることは、みなさん農業だけでは食べていけないということ。
それが、綺麗ごとではない、田舎暮らしの現実ではあります。
しかし、「貧乏」さえ覚悟してしまえば、どうせ家族などはもたなかった身。
「なんとかなるでしょう。」と、案外楽観的ではあります。
少なくとも、そこそこ稼いでも、その代わり、神経をすり減らし、ストレスをため込む都会の生活よりは、貧乏でも、自然の中にいる生活の方が、自分にとっては、より「幸福」に近い。
こうやって、田舎へ来て、自然の中で時を過ごすたびに、その思いは強まるばかりです。
さあ、定年までもう2年を切りました。
なんだかんだといって、グズグズしてはいられなくなりました。
今回の動画です。
八ヶ岳高原・飯盛山トレッキング
野菜を作ろう2017 野辺山高原編