2017年公開のアメリカ映画。
慎ましいほどの低予算で作られた割には、スリラー映画として楽しめました。
これが、アメリカでは大ヒット。
しかし、日本では大コケ。
やはり、人種差別というテーマは、島国の単一民族国家日本ではピンとこないようです。
主演は黒人俳優ダニエル・カルーヤ。
監督も黒人でジョーダン・ピール。これが初メガホン。
人種差別問題を扱った映画は過去にもたくさんあります。
古くは、KKKをヒーローとして描いた「國民の創生」
ロバートマリガン監督の「アラバマ物語」。
アラン・パーカー監督の「ミシシッピー・バーニング」
シドニー・ポワチエ主演の「招かれざる客」「夜の大捜査線」。
どれも社会派の名作で、やはりこの問題を取り上げると硬派の力の入った作品になります。
アメリカ社会も、黒人大統領オバマが登場するなど、人種問題は徐々に社会の表舞台からはなくなりつつあるようには見えます
しかし、これはそう簡単にクリアになる問題ではなさそう。
その問題は質を変え、社会の奥深くでいまだに根強く静かにうごめいているようです。
この映画も、白人女性と付き合い始めた黒人カメラマンか、彼女の実家に訪れるところから始まるサスペンススリラー。
いくら人種問題が進歩してきたとはいえ、黒人と白人のカップルは、アメリカでもいまだ少数派。
見ている方は、何も説明されなくても、もうそれだけで、この黒人青年には何かが起こると想像してしまいます。
しかし、彼女の家族は、この黒人青年に対して、表面上はたいへんお行儀が良い。
完全に身構えている主人公も、次第にこの家族に心を許していきますが・・・
そして、集まってくる彼女の親族たち。
そして、彼らは・・
まあ、このあたりを伏線張りまくりの絶妙の脚本で、心理サスペンスとして盛り上げていました。
脚本は、アカデミー賞を取っていますね。
でもまあ、ブログでかけるのはこのあたりまででしょう。
さて、人種問題です。
人種問題の根っこにあったのは、やはり「違うもの」に対する排除感情。
ホロコーストも、いじめも、実は根っこは一緒のような気がしています。
これって、社会的に集団を構成して生きてきた人間という種の本能です。
仲間は結束して守るけど、他のグループには、自分たちを守るために攻撃的になる。
そして、集団として強い方が、どうしても支配する側になる。
相手より優位に立つのは、正直「気持ちがいい」
気持ちのいいことは、やめられない。
いってしまうと、身も蓋もありませんが、要はそういうことでしょう。
従って、人間の本能に根ざすものを、社会から排除しようとするのは簡単ではない。
なにせ、性欲や、食欲や、権力欲と同じ次元の人の本能なのですから。
だから、ここで、どうしても必要になってくるのは理性。
もしくは知性といってもいいかもしれない。
つまり、本能の暴走を、コントロールするには、社会も個人ももっと成熟して、理性でコントロールできる大人になるしかない。
ですから、人種問題は、難しい。
当然そう簡単には、アメリカ社会からなくなることはないのだと思います。
だって、すべての人が大人になれるわけがない。
理性がそこまで至らない人は、どうしたって残ります。
となれば、あとは社会のバランス。
そんな人がいても、社会全体が、人種差別はいけないという空気になっていれば、そうでない人は黙るしかない。
それで、なんとか人種問題が過激になるのは避けられるんだろうなあ。
人種問題が過激だった時代は、社会がそのバランスを保てなかったわけです。
だから、オバマ大統領が選出されたのも、僕はある意味ではアメリカの理性なんだと思っています。
多くの白人投票者たちは、みんな、本能のところは上手にコントロールして、ここはオバマでなければいけないと理性で思ったんじゃないかしら。
そして、その理性を保てる社会人こそが、多民族国家アメリカを支える一流の市民になり得るという自覚が彼ら自身にある。
それが今のアメリカなのでしょう。
そして、この映画。
人種問題に対して、成熟してきたその反動で、歪まざるを得なくなった人々の本能と理性のバランスが、巧みにあぶり出されて秀逸なスリラーになっているというわけです。
「アラバマ物語」を今製作しても、ヒットはしないんだろうなあ。
とにかく、そんなことは、彼等はもう、言われなくてもわかっているのですから。
ちなみに最後に一言。
ヒットする映画のクライマックスは、やはりこの傑作スリラーでも、本能に訴えるものでしたね。
ここだけは、理屈ではダメなようです。
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