僕らの子供の頃は、子供の遊びとして、当たり前に野球がありました。
ユニフォームなどもなく、場所が狭ければ三角ベース。
人数が足りなければ、キャッチャーは相手チームに貸し出し。
今のようなリトルリーグなんて、聞いたこともなかった時代です。
そんな中でも、野球のセンスに長けていた子供はいて、そういう子はたいてい四番でピッチャー。
そいつが一人いるだけで、チームは勝てるものだから、取り合いです。
そして、そういう子は、たいてい中学に入って野球部に所属。
でも、中学の野球部ともなると、地域ではそこそこ野球センスのある少年たちが集まって来ています。
中学の部活で野球を始めれば、いつまでも子供広場(子供の頃の我が家の近くには、『なかよし広場』というのがありました)の三角ベースのヒーローというわけにはいきません。
気がつけば、我々の間ではヒーローだったその子は、中学ではレギュラーにもなれず、卒業する頃には、野球部もやめ、髪を伸ばして、フォークギターなんかを抱えていましたね。
そいつも、おそらく今頃は、近所の河川敷で、可愛い孫とキャッチボール。
そんなところでしょうか。
さて、大谷翔平。24歳。
彼をみていると、とにかくワクワクするんですね。
面白い。
だって、その子供広場の野球のヒーローが、エースで四番のまま、甲子園へ行き、プロに入り、そして2018年はメジャーリーグへ。
かつて野球少年だった我々にとって、こんな痛快なことはありません。
とにかく、自らのポテンシャルを信じて、夢見た道へ一直線。
お金の勘定などおかまいなし。
あと何年か日本で野球をしていれば、得られるはずの莫大な契約金を捨てて、メジャーリーグの最低保証契約金の年間5200万円で、海を渡ったわけです。
これもまた痛快。
彼がどのチームでプレーしようと、応援せずにいられません。
その大谷翔平の2018年の成績は以下の通り。
打者として、シーズン104試合出場。打率285.。打点61。ホームラン自己最多の22本。
投手として、10試合登板。4勝2敗。
彼は、6月に靭帯損傷が見つかり、一度戦線を離脱しています。
しかし、打者としては7月に復帰。
9月には一度投手としても復帰を果たしましたが、新たに靭帯損傷が見つかり再離脱。
そのまま、打者としてシーズンを終え、オフシーズンにトミー・ジョン手術を受け、リハビリを続けて、来シーズンから再び二刀流に挑戦。
この辺りも、下手に妥協せず、二刀流まっしぐらが実に爽快。
もちろん、本人が、怪我から手術を決心するまでの間には、相当落ち込んで悩んでいたということは、NHKスペシャルの特集でも確認できました。
でも、一度決めたら、もううじうじ迷わないという、気持ちの切り替えも見事。
メジャーリーグでの、本格的な二刀流は、その長い歴史の中でも、あの野球の神様「バンビーノ」ベーブ・ルース以来と言います。
そのベーブ・ルースも、本格的に二刀流を敢行したシーズンは、1914年からの数年のみ。
以降は、ご存知の通り、ホームランバッターとして打撃専門でした。
さあ、大谷翔平様。
それが生易しいものでないことは承知で申し上げます。
こちらの無責任も承知のうえです。
出来ることなら、せめてあと10年。
その二刀流を続けて、大リーグの常識を塗り替えてはもらえまいか。
その理由はいたって簡単。
だって、痛快ですもの。
拙いイラストではありますが、彼の投球フォームとバッティングフォームを描いてみました。
これが、とにかくなんとも、描きごごちのいい綺麗なフォームなんですね。
そのシルエットだけでも、彼とすぐわかる美しいフォーム。
打って、投げて絵になる素材なんて、オジサンにとっては、あの長嶋茂雄以来。
あなたの手術の成功と、2019年の活躍を祈っております。
2018年のシーズン、本当にお疲れ様でした。