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いよいよ、来月の誕生日を迎えれば満60歳。
還暦である。
老後の糧とするべく修行中の野菜づくりも、今はオフシーズン。
仕事の方も、ここのところ「座り仕事」が増えてきてしまって、完全に運動不足。
そこで、50代最後の山登りを敢行することにした。
元旦に、北海道に行き、函館山は登ったけれど、あそこの頂上まではロープウェイ。
自分の足を使った登山は久しぶりとなった。
一時は、山歩きはマイブーム。
埼玉県にある「関東ふれあいの道」は、13コース全て踏破した。
(当ブログ参照 )
しかし、あの頃に鍛えた足腰がいまだ健在かは少々心もとない。
いやいや昔取った杵柄とばかり、調子に乗って、高峰に挑んで、みっともないことになるのも嫌なので、川越から日帰り可能な、1000mクラスの低山を探してみた。
通常は、朝一番のバスにのって、鉄道アクセスが基本であるが、オフシーズンのバスの時刻表がかなり怪しい。
そこで、軽自動車の新車も購入したばかりなので、遠出の試運転も兼ねて、チョイスしたのが、栃木県鹿沼市の石裂山。
これで、「おざくさん」と読ませるというから、ほとんど宛字。
山頂までの標高は、879.4m。
よし、これなら、なまった体に喝を入れるには、お手頃だ。
朝の5時30分に出発して、麓の加蘇山神社の社務所に現着したのが8時前。
到着した社務所は、無人でほとんど心霊スポット状態。
神社の歴史は古く、文献に登場するのは、元慶二年(878年)まで遡る。
当時の朝廷が「下野国賀蘇山神に従五位下を授けた」と「日本三大実録」に記されているとのこと。
車はここの境内に停めさせてもらうことにした。
(このもうちょっと先に、無料の駐車場はありましたが)
ところがである。
登山コースの入り口に、この看板。
コース入口の看板は、「ハイキング」を上塗りして、「登山コース」に書き換えられていた。
事故で死亡者まで出たということでは、穏やかでない。
もちろん、たとえ標高は低かろうと、山を舐めるつもりは毛頭ない。
装備は万全とは行かないまでも、できる限りの登山仕様で来ている。
深呼吸ひとつ。気合いを入れて、出発前のストレッチしていると、20代の若者三人組が到着。
狭い山道を、後ろから追われると、ペースが狂うので、彼らを先にやり過ごしてから、「春まだ来」の鬱蒼とした山に歩を進めた。
ゆるい山道を歩くと、すぐに加蘇山神社。
さらに進むと周遊コースの分岐点。
どちらに回っても、またここに戻ってくる。
ここは、案内板の指示通りに回ることにする。
久しぶりの、山の空気を吸い込みながら、歩をすすめると、すぐに樹齢千年という「千本カツラ」。
神社の御神木で、二本の木が寄り添うように立っていることから「縁結びの千本カツラ」。
この先に「中の宮」の休憩所があるが、この先から一気に登山モードになる。
山岳信仰を色濃く伝える「奥の宮」は、山腹の洞窟の中に祀られた「おやしろ」。
岩に固定された急なハシゴを登っていく。
ほとんどロッククライミング。
ここから先、東剣ノ峰、西剣ノ峰、石裂山、月山と続くコースは、標高こそ、1000mに満たないとはいえ、アップダウンが厳しい完全な登山コース。
急斜面あり、くさり場あり、ほとんど垂直に近いハシゴ階段あり。
「山は舐めていない」などとは言いつつ、このハードさは完全に想定超え。
石裂山おそるべし。
数々の難所を超えて、最後の展望スポット、月山の山頂で、やっとランチ。
これが至福の時間。なんと美味しかったことよ。
「石裂山回遊登山」コースの平均的所要時間は、245分というから4時間ちょっと。
後から来る登山パーティの気配を感じたら、あたりの撮影などをしながら、先に行ってもらう。
老人に無理は禁物。
最後までマイペースで歩き、麓の社務所に戻った時には、出発してから5時間経過。
やはり、完全に体は鈍っていましたね。
今年還暦の爺いが、いつまでも若いつもりでいる方が危険というもの。
息は切れるは、足は釣るわ。
やはり、日頃からの鍛錬が大事と思い知りました。
これは、また近々に、「山歩き」を計画せねばなりますまい。
日曜日の山歩きで、パンパンになった足だが、意外にも月曜日には回復。
いやいや、自分もまだまだ若いなと思っていたら、1日置いた火曜日に、体のあちこちが痛み出しました。
歳をとると、疲労の巡りも遅くなる模様。
これからも、自然と上手に付き合いながら、せめて長生きをしたいものです。
日曜日の動画はこちら。
養老翁も、今年で83歳とか。
かくゆう僕自身も、来月になれば満60歳。還暦である。
この方の著書は好きで、もう何冊も読ませてもらっているが、こちらの年齢を重ねるにつれ、おっしゃっていることが腑に落ちてくるようになった。
この本は、月刊誌「Voice」に連載されていた時事エッセイを一冊にしたものなので、論点は多岐に及ぶ。
養老氏の文章は、いつもそうだが、簡潔明瞭で、センテンスがとにかく短い。
なにせ学者さんですから、書こうと思えば、論文調の文章もかけるはず。
それを「わかりやすく」翻訳して短い文章にしてくれている。ありがたい。
これで、僕のような頭の血の巡りの悪いものにでも、養老氏の膨大な科学の知見が、スイスイと頭に入ってくる。
いやいや、そうではないな。入っているような気になれるというのが正解かもしれない。
それが証拠に、いざその感想を書こうかという段になると、はて? 何が書いてあったんだっけと、筆が止まることが(もちろん、実際には筆ではないが)いうことがしばしば。
こちらのような凡人には、やはりこの天才老人は、いつまでたっても雲上の仙人なのである。
理解してもいないのに、理解したふりをするから、どうしても受売りになる。
そんなわけで、読んでいて、思わず膝を叩くようなセンテンスに遭遇すると、著作権もへったくれもなく、備忘録のつもりで、僕はツイッターにアップしている。
今回はこれを持って、読書感想といたします。
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自然を感性で捉えれば風流になり、理性で捉えれば学問になる。
環境問題がおかしくなるのは、「環境」と「自分は別」という文化を、「環境」なんてそもそもなかった社会に持ち込んだのが根本 。
楽をすると、どこかで元を取られる。しっぺ返しが来ることになる。でも、世の中の仕組みでは、そ れは、いわないことになっている。そうすると、みんなが楽ができなくなるからである。
人口が減るということは、大人が子供達ら向かって、「おまえなんか要らない」と言っているのと同じこと。
世界を数字で測れば、確かにわかりやすい。けれど、だからといって、世界自体がわかりやすくなったわけではない。
口だけで大臣を やっているから、口だけで首になる。
不快な真実より、心地よい嘘がいい。それが聞き手の本音。
法律はつまるところ言葉でしかない。言葉を決めれば、世界が決まる。誰もがそう思っている。人間はいつのまにか、そういう社会を作ってしまったのである。
社会システム自体が、時と場合によっては、ウソを強要していることは事実。それに個人で反抗すれば、残念ながら損をする。
あらゆる技術は、本来は体を使ってやるのが正しい。
意味のないものに、現代人はあこがれる。なぜかといえば、身の回りに意味のあるものしか置かないからである。
嫌いなのは、実は好 きと同じ。向きは違うが関心は強い。
現在の日本人が、常識を変えず、生き方を変えないで、そのまま経過すると、日本社 会は消える。
朝風呂がいいということになった。
なんのことかというと、血圧である。
会社の健康診断を担当してくれた病院から、ご丁寧に通知をもらったのが3ヶ月前。
このブログにも書いた。
要は「診察を受けろ」という催促。
昔から病院も薬も嫌いなので、無視しようと思ったが、さすがに、還暦を控えると気にもなる。
そこで、その代わりにオムロンの血圧計を買った。
これで家にいるときは、気が向いた時に度々計測してみる。
確かに、上は、150を越えることがある。
それでも、同じ「赤紙」をもらった同僚は、200を超えても、ちゃんと普通に仕事をしているし(彼は、病院にはいった模様)、老人ホームで働いている自治会のおばさまからは、「そんなのは高いうちに入らない」と言われたりするので、マイペースで調整することにした。
春からずっと、ベジタリアンをやってきたので、食生活で改善できると思っていたが、この冬になって、畑からの野菜の供給が途切れてくると、カロリーの高いものにも手が出る。
そうすると、テキメンに血圧も上がる。
基本的に、食い意地が張っているので、わかってはいても、食べ物で健康をコントロールするのはなかなか難しいですね。
十年前に、生活習慣を変えて、ダイエットには成功したが、血圧はなかなか手強い。
時には、160を超える時もあれば、130になるときもある。
血圧というやつは、かなり乱高下するようだ。
さて、朝風呂の話。
基本的に、風呂には入らない。
湯船に浸かることはなく、朝出勤前に、シャワーを浴びるというのが習慣になっている。
それがなぜ、朝風呂かというと、畑で採れたレモングラスが、なかなか処分しきれないで、大量に残っていたので、入浴剤の代わりにしようと思い立ったからである。
レモングラスのハーブ風呂である。
これで試しに、風呂上がりに、血圧を測ってみたら、なんと上が117まで下がった。
次の日が125。
ちなみに、仕事を終えた帰宅後に測定は、やはり157あった。
これは明らかに、入浴後は血圧が下がっている。
これは、ネタになると思って、すぐにツイッターでつぶやいた。
しかし、どうやら、それはレモングラスの効能ではなく、湯船に浸かること自体が、どうやら血圧にはいいらしい。
調べてみると、適温で湯船に浸かることで、血管が膨張して、血の巡りが良くなるのこと。
言われてみれば、納得。
湯の温度は、色々やってみて、47度くらいがちょうどいいということになった。
でも、これはあくまでも僕の場合。
個体差はあると思われる。
ネットで調べると、38度から40度くらいのぬるま湯が一番いいとか書いてあったが、これでは、冬場はぬるくてしょうがない。
風呂から出ると、すぐに湯冷めしてしまう。
エアコンはなるべく使わないようにしたいので、「ちょっと熱いかな」というくらいの風呂がベスト。
風呂上がりもしばらくは、薄着でいられる。
今朝は、118まで下がってくれた。
血圧もこの値なら、文句は言われないだろう。
血管が、膨張すればいいのだろうと思って、熱い風呂に我慢して入ると、血圧は逆に上昇するらしい。
心臓への負担が増えるからとのこと。
要するに、一番リラックスできる温度が適温ということらしい。
リラックスできるならということで、湯船に浸かりながら、ヘッドフォンでジャズを聴いたてみた。
ビル・エヴァンスの「Walth For Debby」
1961年に録音された、ジャズの名盤だ。
ビル・エヴァンスのピアノはもちろんだが、スコット・ラファロのベースが素晴らしい。
ビレッジ・バンガードの客たちのノイズも心地よい。
そういえば、彼のドキュメンタリー映画が作られたそうだ。
『BILL EVANCE TIME REMEMBERED』
貴重な映像がふんだんにあるらしいので、これは見てみたいもの。
Amazon Prime にラインアップしてくれれば嬉しい。
麻薬の常用で、ある意味破滅型だった彼の人生は「時間をかけた自殺」といわれた。
その彼の名盤を、「ヒノキの香り」の入浴剤を入れた朝風呂で聞くこちらは、老後も健康に留意をして過ごし、少しでも長生きしたいものだ。
「ラバーソウル」は、1965年リリースのビートルズ6枚目のオリジナル・アルバム。
ところで、覚えてますか?
ビートルズのアルバムの中で、これだけ、ステレオのパンポッドを、右にひねると、ボーカルが綺麗に消え、演奏だけになるんですね。
ステレオへの過渡期の、試行錯誤だったのでしょう。
プロデューサーのジョージ・マーティンが、ボーカルトラックを左。
演奏トラックを右に分けて録音。
つまり、オリジナルのレコードが、そのままカラオケになるわけです。
これは嬉しかったですね。
まだ、カラオケなんてなかった時代です。
ビートルズの楽曲を歌おうと思ったら、コード譜付きの歌本を買ってきて、下手なギター掻き鳴らしながら弾き語りで歌うしかなかった。
難しいコードなんて出てきたらお手上げでした。
でも、このアルバムの楽曲だけは、ビートルズのオリジナル演奏をバックに歌えました。
このアルバムの僕の中の評価は、ビートルズの数多ある傑作アルバムの陰に隠れて、正直いってあまり高くはなかったのですから、この「カラオケできる」効果でいつのまにか評価もうなぎのぼり。
おそらく、僕がアルバム全曲を一番最初に歌えるようになったのは、この「ラバーソウル」だったと思います。
さて、時は過ぎて、いまやネットカラオケの時代。
ビートルズのすべての楽曲が、好きな時にいつでも自宅で歌えるようになりました。
ありがたや。
しかも何回コーラスを重ねてもオーケー。
それから、とちったり外したりしたら、途中から何回でも録り直せます。
そして公開にしておけば、世界中のビートルズファンと、コラボもできます。
まさに、ビートルズは国境を越える。
いい時代になりました。
さて、久しぶりに、このアルバムの全曲を歌いましたので、拙いイラスト共に、ご披露いたします。
こうやって、アルバム全曲並べてみると、この邦題がなんともダサくて味があるなあ。
時代を感じます。
日本のマーケットのために、宣伝部が邦題をつけていたのも、確かこのアルバムまででした。
これも今となっては懐かしや。
(おっと、「愛こそすべて」がありましたか)
アナログA面
2. 「ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド)Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」
3. 「ユー・ウォント・シー・ミー You Won't See Me」
4. 「ひとりぼっちのあいつ(ノーウェア・マン)Nowhere Man」
5. 「嘘つき女(シンク・フォー・ユアセルフ Think for Yourself」
アナログB面
1.「消えた恋(ホワット・ゴーズ・オン) What Goes on」
3. 「君はいずこへ(アイム・ルッキング・スルー・ユー) I'm Looking Through You」
5. 「ウェイト Wait」